渚①

 ──予感はしている。俺はお前と仲直りなんてできやしないって、俺が謝ったところでお前は許してくれやしない。


 だけれども、俺は諦められなかった。お前とこんなに苦しい関係になるくらいならば、俺はお前と縁を切ればよかった。もう二度と、口を聞かないように徹底的に無視して、いつの間にか互いの関係なんか忘れてしまうような、そんなことをすればよかったんだ。

 そんなこと、俺にはできない。俺は俺の中でお前が親友であって欲しくて、その関係をまだ続けていたいくて。もう二度と戻らない関係、そう理解はしていた。


 だけれども。


 県道330を冷風が駆け抜けていた。駆け抜けて、走っている渚の体に鬱陶しく絡みついて来て、とても走りづらい。風が体温を奪おうとして、汗で張り付いた体育着がとても冷たく、不快なものに感じ得る。あと、4kmだった。


 8km、8kmを走り終わったら俺は。

 俺はなんと言えばいいのだろうか、そんなことばかりを考えていて、自分のペースが乱れていることに気がつかなかった。吐く息がいつもよりも荒くて、いつもよりも早く走っていることに気がつき、すぐにペースを戻そうとした。

 彼に対する贖罪の言葉を述べればいいのだろうか、それとも俺が思っている気持ちのありったけを全部彼にぶつければいいのだろうか。よく青春ドラマなんかを見ていると、仲違いをした両方が喧嘩を通して互いの気持ちをまっすぐに伝え合い、仲直りをするというシーンがよく見られた。

 アレのようにやれば俺も仲直りできるのだろうか。だけれども現実というものはそこまで甘ったれたものではないことも知っている。


 実際に、喧嘩をして仲直りをするという事例を渚は見たことがなかった。


 では、自分の感情を殺して、「俺が悪かった」と謝ればいいのだろうか。いや、それも多分違う。感情を殺してまで仲直りをしたいとは思えない、それにこの件に関して言えば、俺は断じて悪くないのだ。

 だからこそ、俺は謝らない。なら、どうすればいいのだろうか。


本当に、どうすれば。

空を見上げて見ると、吸い込まれるような快晴。胸のすくような、快晴。


 乱れたペースは、なかなか元には戻ってくれない。

 努力しても、努力してももう、元には戻ってくれない。

 息が薄くなる。体の中の酸素濃度が薄くなる。心臓がばくばくと苦しい。足は重く、沈んでいく。全身の力が抜けて、ただのゴム人形になれるような気がする。誰かに空気を入れてもらわないと自立すらできないただの人形。


 不意に、もうどうでもいいかな、と嫌な考えが頭をよぎった。それはダメだと、渚の中のだれかが言っているのに、その考えは膨張し、脳髄を一色に染め上げてしまいそうになる。

 脳髄が、胸の奥の心、柔らかい部分が。


 諦めの色に染まりそうになる。


 あぁ、もうどうでも。


 正面に、ぼやけた輪郭が見えた。その輪郭はゆらゆらと頼りなさげに揺れていて、触れてしまえば煙のように霧散してしまいそうなほどに無気力な、疲れ果てた輪郭。体躯はしっかりとしているのに、頼りなさげに揺れているせいでとても去年まで運動部に所属していたとは思えないほどに、虚弱に見える。

 あぁ、同じだと渚は思った。目の前の少年は、凪は諦めそうになっているのだ。何かを心に誓い、だけれども試練を前にして志半ばで諦めようと、折れようとしている。


 それだけはダメだ、諦めてはいけない。


 そう思った時、なんて卑怯な男なのだろうと内心自嘲した。自分が諦めようとしているのに、彼が諦めようとすることをダメだと否定しているとはなんとも馬鹿らしい、愚かなものだ。

 だから、俺も諦めない。そう決意した、彼が横切る時に感謝の気持ちを込めて、諦めるなと背中を押すために、息を精一杯にためて。


「走れ!!」


同時に足を振り上げる。走りきるのだと、決意するように。


 背後で凪が驚いたように振り返る様子が容易に想像できて、苦笑が浮かんだ。諦めてはいけない、どうしようかと少しだけ迷った。どう声をかければいいのだろうか。


「うるせえ!! とっくのとっくに走っとるわ!!」


 背後から怒号が聞こえて、苦笑が明らかな笑みに変わる。あぁ、考えても仕方がないではないか。その時はその時なのだ、俺が謝るのか、喧嘩するのかはその時の俺が決めればいい。その時の俺に責任をなすりつければいいのだ。


 足が軽く感じた。足を跳躍させる、走る。空を見上げてみると、吸い込まれそうな青空色がすらりと広がっていて、とても心地がいい。激励しているようにも感じられた。

 見上げた視線を戻し、前を見ているといつもよりもペースが早いことがわかった。だけれども直そうとは思わない、このまま最速を走ればいいだけ、このままで8kmを走りきればいいだけなのだ。無理に戻そうとしなくていい。


 しばらく走っていると、誰かの背中が見えた。腕を大きくスイングさせ、大きい足幅で走っている背中。走り方に特徴があってすぐにわかった。彼だった。

 頭に、妙案が浮かんだ気がした。ペースをさらに早める。彼に追いつければ、それでいい。


 追いついて、並んで、そして。


「絶対に追い越してやる」

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