とある令月の温和に成りし平日にて
私の家族はたびたび変なところがある。まずは私と弟の名前だ。私の名前は「メグミ」と呼んで「恵」。弟の名前は「ケイ」と呼んで「恵」。いくら双子の姉弟だからって、同じ漢字にすることなくない? 姉の柿本恵と弟の柿本恵。この字面だけ見せると、たいていの人が「ん?」って顔をする。私のパパとお父さんもそうだ。孤児院にいた私とケイの名前を見たとき、きょとんとした顔をよく覚えている。なぜこんなヘンテコな名前にしたのか、名付け親であろう実の両親に聞いてみたいところではある。だけど私が小学校に入学した日に、実の両親は事故で死んでしまった。だから私とケイの名前の由来は一生わからない。
変わっているのは私たち双子の名前だけではない。パパとお父さん、つまり今の私たちの育ての親ふたりなのだが、彼らも少し変だ。数日前私はパパとお父さんの馴れ初めを聞いたのだけれど、二人は高校生のときに始めて出会ったらしい。入学式の日に友だちになって、三年生のときに恋人(仮)になり、その夏から秋にかけて一応恋人(本)になり、大学四年間は同棲して、卒業後に籍を入れたらしい。ほら見るからに変だ。恋人(仮)って何? 恋人(本)って何? いくら問いただしても、パパとお父さんは顔を見合わせて苦く笑うだけで細かい事情を話してくれない。馴れ初め話って、娘息子に意気揚々と惚気たくなるものじゃないの? やっぱり変だ。怪しい。子どもに隠している秘密があるに違いない。だって、何よりもっと変なことがある。
「変なことって何?」
「それはですねケイくん」
「なんですかメグミ姉さん」
「最近パパとお父さんは、私とケイに隠れてコソコソ何かをしている」
「何かって?」
「ナニかな」
ケイに思い切りデコピンされた。「あいたっ」ビタンッとデコピンらしからぬ音と比例して、そこそこに痛い。
「なんでデコピンすんのよお」
「姉さんが中学生らしからぬこと言うからだよ」
「小粋なジョークのつもりだったのに」
「大人からすると、未成年の下ネタほど何とも言えない気持ちになるものはないらしいよ」
「子どもからしたら、大人の下ネタほど目も当てられないものはないのにね」
ケイは慣れた様子で私のベッドに座っている。というか、そもそも私とケイの部屋はずっと一緒だから、慣れた様子も何もない。今私たちが住んでいるのは賃貸のマンションで、私とケイが養子として引き取られるのと同時に引っ越してきたところだ。養子になったのは小学校一年生のとき。今は中学二年生。パパとお父さんの子どもになって、かれこれ八年ぐらい経った。姉弟ふたりで一つの子ども部屋は、そろそろ手狭になりつつある。
「ケイも気づいてるでしょ。最近パパとお父さんがコソコソ話してるの」
「それは、まあ」
「今まで二人がコソコソすることなんて、私たちの誕生日が近づいたときぐらいしかないのに」
「あとクリスマスのときね」
「……意外と程よくコソコソしてる?」
「一般家庭と比べれば少ない方なんじゃないかな」
ケイの隣に座って足を組む。ケイも私の真似をするように足を組む。弟は姉のポーズを真似をすることが好きらしい。
「昨日、先に寝たふりしてこっそりリビングを覗いたんだけど」
「これみよがしに『トイレ行く』って宣言して部屋出たとき?」
「そうしたらパパもお父さんも、やけに真剣な顔して話し合ってて」
「声は聞こえなかったの?」
「近づきすぎたらバレちゃうと思って」
「僕を連れてってくれればよかったのに」
ケイは地獄耳だから、ぼそっと文句を言ってもすぐに気づかれてしまう。「ケイは頭が固い」と呟けば、「姉さんの頭が柔らかすぎるんだよこの間の中間テストの平均点なに? 高校行かないつもりなの? なんで勉強中にSNSを見るの?」と二倍以上で返事が来る。そういうところはちょっと面倒臭い。言ったら四倍で返ってくるから言わないけど。
「まあちょっと気になる程度だったし。一人の方がスパイ感でるし」
「自分が楽しみたかっただけじゃないか。僕もスパイ感体験したい」
「でも本当にやけに真剣な顔してたんだって。絶対変だよ」
「そんなパパとお父さんがいつもおちゃらけてるみたいな言い方はよくない」
「お父さんは大抵おちゃらけてるように見えるよ」
「おちゃらけてるんじゃなくて、お父さんは明るい人だから」
「地味にネガティブなところはあるけどね」
「そういうところ絶対僕たちに隠せてると思ってるよね」
「バレバレなのにね」
話がズレてしまった。ええと、パパとお父さんが変だって話。二人がコソコソ何かを話しているって話。
「姉さんは何が不安なの」
ケイはいつだって物事の本質を突きたがる。双子なのに、私とケイは似ているようで似ていない。足を組み直すと、ケイも足を組み直す。「万が一の可能性なんだけど」と、私はおそるおそる言う。
「なに」
「りこん、について話し合っている、とか」
きょとんと瞬くケイの目。つるんとした瞳が私を見る。
「その発想は予想してなかった」
「だってえ」
両手でケイの頬をぐりぐりと回す。ケイのほっぺたは柔らかくて好ましい。不安なことがあると、私は決まってケイのほっぺたを触るのが定番だ。だからケイもされるがままになっている。
「姉さん本気で言ってる? パパとお父さんに限ってそんな可能性あるわけないじゃん」
「日本の離婚率はここ十年以上、三十五パーセント前後なんですよケイくん。三組のうち一組は離婚しちゃうんだよ。ほら見て」
私は目につけているホロレンズ―――コンタクトレンズ型のスマートデバイスを起動し、インターネット画面をケイと共有する。先月の誕生日に、パパとお父さんにねだって買ってもらった最新型だ。コソコソとサプライズでプレゼントを用意したかったらしいパパとお父さんは残念そうにしていたけれど、それはそれ。お父さんは「今どきは何でもコンパクトですごいよなあ。オレらが中学生のときはパカパカが全盛期でスマホが出てきたのは高校生のときで」なんてブツブツ親父臭いことを言っていたけれど、それはよくあることなので無視。
開きっぱなしのSNSを閉じ、昨日調べたページを開く。日本の離婚率は三十五パーセントで云々かんぬんといったことが書かれた記事だ。それをケイに見せる。
「ほらこの記事に書いてある」私が鼻高々にしてみせると、ケイは鼻を小さく鳴らした。
「これ厳密には違うんだよ」
「え」
「婚姻件数はその年の数なのに、離婚件数はそれ以前に結婚した人の離婚の数も入れてるから。こっちの記事の方が正確」
言いながらケイは別のページを開く。するとそこには細かいグラフと、「現在の年間離婚率は1パーセントであり、近年は横ばい傾向である」という文章が掲載されていた。「……なるほど」「でしょ」ケイが鼻を高くする。負けを認めたくなくて私は口を尖らせ、ホロレンズをシャットダウンする。
「この統計とパパとお父さんの事情が合致するとは限らない」
「自分から見せておいて言う? ていうか、離婚するような素振りなんて全然ないじゃん」
「大人はコソコソしなくても子どもに色んなことを隠せるものじゃん」
「パパとお父さんはコソコソしないと色んなことを隠せないタイプだよ」
「そうだけどお」
ぐりぐり回す。ケイは呆れた顔をしつつ、されるがままになってくれる。
「億が一にそうだとして、だったら姉さんはどうするの」
「闘う」
「これまた物騒な」とケイは言って、組んでいた足を解く。それからなぜかベッドの上で正座をするから、私も倣って正座する。
「闘うって、具体的に、何とどうやって?」
「パパたちの離婚と、その気になれば拳を使って」
「物騒だよ姉さん」
「なんならケイのロケットパンチも使って」
「そんな機能ないから」
「戦争も辞さない」
「辞して辞して」
どうどう、と言わんばかりに宥められる。それでも不安は拭いきれない。だって私は。
「離れるのは嫌だよ」
孤児院にいた頃、ずっとそればかりを考えていた。
小学校の入学式の日。お母さんたちは見に来ると言っていたのに、みんな来なかった。車の事故で二人とも亡くなったと聞かされて、あっという間に私とケイだけになった。孤児院につれていかれて、双子の私たちはなぜか変な目で見られることが多くて、今後によってはケイと離れ離れになるかもしれないと言われて。不安だった。怖かった。ケイまでいなくなってしまったら、私は寂しくて死んでしまうと本気で思っていた。だから二人で家出のようにケイと孤児院を抜け出した。
そして今のパパとお父さんと出会った。二人が私とケイを選んでくれた。受け入れてくれた。大事にしてくれた。そばにいてくれた。ここで話すには時間が足りないほど、考えたこともグルグルしたことも怒ったことも叱られたことも喧嘩したこともたくさんあったけど。それでも、それ以上にたくさん笑って嬉しくて優しくて。ケイがいて、パパとお父さんがいる。その時間はあまりにあたたかくて、おだやかで、なごやかで。それとさよならするのは、私にとって世界の何よりも残酷なことだから。
「だから私は、討ち死にを覚悟してでも離婚を阻止せねばならない」
「死を簡単に覚悟しないて」
ケイの頬を触り続けていると、コンコンと、部屋の扉をノックする音がした。話している内容がアレなのもあって、悪いことをしているわけでもないのに慌ててケイの頬から手を離す。
「はいどうぞ」「うわケイちょっと」なんでそんなすぐに入るのをオッケーしちゃうのか。まずお父さんとパパ、どっちが来訪者か推測したかったのに。そんな時間もなく、無情にガチャリと扉は開く。
「晩飯できたぞー。……なんで二人ともベッドで正座してんの?」
部屋に入ってきたのはお父さんだった。私とケイを見て、お父さんは目をきょとんとさせる。
「学校から帰ってくるなり部屋に引きこもってるってパパに聞いてたから、てっきりケイに勉強教えてもらってるのかと思ってたのに」
「今はそんなことより大事なことがあるんだよお父さん」
「そんなことじゃないぞメグミ。この間のテストの点数は当時のオレよりひどい」
「お父さんとパパって離婚するの?」
「うわ」
「は?」
流れるように物事の本質にトドメを差すケイはあんまり好きじゃない。お父さんは心底不思議そうに首を傾げ、私とケイの前にしゃがみ込んだ。
「しないし今後するつもりも一切合切ないけど。なんで?」
「姉さんが二人の離婚の危機を心配して、戦争を起こそうとしていたから」
「ははあ。さてはまたメグミの心配性が出たか。ほんとパパに似ちゃったな」
しみじみ言いながら、お父さんは顎に手を当てる。ときおり言動が親父臭くなっていることは、まだ言わないであげておこうとケイと相談して決めている。私はお父さんの表情を窺う。目を合わせる。
「……本当に離婚しない?」
「しないしない」
なごやかに笑いながら、お父さんは私とケイの手を握った。きみたちの父親になりたいんだと、パパと一緒に握ってくれた手。
「オレもパパもずっと、メグミとケイのそばにいる。メグミとケイを離れ離れにさせたりしない」
優しい声が胸にとけていく。隣を見ると、ケイはじっとお父さんを見つめている。
「なぜ離婚とか突拍子のない発想になったのかねメグミちゃんは」
「パパとお父さんがリビングでコソコソ話し合いしてるからだって」
「なんでもかんでもすぐ言うことなくない?」
「……あー」
ケイが事実報告すると、お父さんは「これはまずい」と言わんばかりに目を泳がせた。ほら後ろめたいことあるんじゃん! そもそもお父さんは隠し事もサプライズも下手なんだから、さっさと教えてくれればいいのに。
「なんでこうオレは直前でバレがちなのかなあ」
「パパはお父さんより顔に色んなことが出やすい」
「的確な指摘をありがとうケイ。あ、今日の晩飯カレーだから」
「えええ」
あからさまに話を逸らされたけど、それより重要事項が出てしまった。「またカレー?」と非難じみた声を上げてしまう。
我が家は一ヶ月に二回はカレーが出てくる。別に嫌いなわけじゃないし美味しいとは思うけど、たいていカレーはバリエーションを変えて三日ほど続くから飽きてしまうのだ。お父さんが開けっ放しにした扉から、慣れ親しみすぎたカレーの匂いが入ってくる。
「カレーはいいぞ。野菜なら基本的に何でも合うし作り置きできるしライスもうどんもオムライスもドリアもできるし、何より」
「何より?」
「どれだけ頻繁に作っても特別感がある」
「そうかなあ」
ケイの「そうかなあ」に同意する。お父さんはたまに変な感覚を持ち出してくる。辛いものが苦手なくせにカレーは辛口が好き。人生にはどうにもならない矛盾がたくさんあるんだと、数年前お父さんはこれみよがしに言っていた。
「何か特別なことがあったの? それがお父さんたちが隠していること?」
「お、さすがケイ察しがいい」
「私だって話の流れでわかるよ。どういう特別?」
「お祝いする系の特別」
私やケイの誕生日は先月過ぎたし、パパとお父さんの誕生日はもう少し先だ。クリスマスでも雛祭りでも子どもの日でパパとお父さんの結婚記念日でもない。一体何のお祝いをする必要があるのか。
「本当はメグミたちが中学生になる前に実現したかったんだけどさ。貯金とかローンも考えてようやく」
「ローン?」
「あ、マイホーム」
「ぎゃ」
早速図星を突かれてしまったらしい。というかボロ出すの早すぎじゃない? お父さんは露骨に「しまった」と顔をして頭を抱える。
「あとでパパと一緒に大発表するつもりだったのに」
「マイホーム? 一戸建て? 本当に? そんなお金あるの?」
「貯蓄大丈夫なの?」
「子どもが親の貯蓄を心配するんじゃありません」
「だって僕の、」
そこでケイは言葉を詰まらせた。さっさと事実を述べたがる弟にしては珍しい。お父さんは小さく笑って手を伸ばす。ケイの頬と目元に触れる。じじ、と、つるんとしたケイの瞳が、お父さんに焦点をあてる。
「ケイ、オレたちがお金に困ってるように見える?」
「……見えない、けど」
「けど?」
「僕の新しい部品が必要になったとき、お父さんのビールが発泡酒に変わる。そしてパパ用の和菓子の量が減る」
「うっ」
お父さんが唸る。それは私も気づいてたけど、あえて言わなかったところだ。ケイだってわかっていたであろうに、マイホームの話はあまりにも想定外だったらしい。弟は効率的じゃないお金の使い方には理解をあまり示せない。
「子育ての必要経費のためだから、お前は気にしなくていいの」そう言ってお父さんはケイの頬をぐりぐりと両手で触る。ケイのほっぺたは、本当の人間のように精巧でやわらかい。ケイが抵抗しないのもあって、パパもよく触りがちだ。
「なんならオレは、ケイが新しい身体を欲しがらないのが不思議だよ」
「新しい身体?」
「中身は中学二年生なのに、見た目はずっと小学一年生のままで嫌じゃないのかなって」
「頭はお父さんやパパよりも良い自負があるけど」
「そこを突かれると痛いんだよなあ」
お父さんが申し訳なさそうに苦く笑う。でも、私も気にはなりつつ口にはしていなかった疑問だ。ケイは私の双子だけれど、同じ年に生まれたけれど、この家族の中で誰よりも頭が良い。お金さえあれば、相応の身体に取り替えることができるだろう。
だけど、私の弟は当然のように首を横に振った。
「僕はこのままでいいよ」
「そう?」
「間違えた」
「え」
「僕は、このままがいい」
私とお父さんは顔を見合わせる。ケイを見る。「そうか」とお父さんが呟く。「そうだよな。親から貰った、大事な身体だもんな」ケイは私を見て、それからゆっくりと頷く。
家庭用AIロボットは、今でこそ珍しくない。
犬や猫といった動物型はもちろん、人型もだいぶ普及されてきた。だけど、ケイほど本当の人間と見分けが付かないロボットを、私はまだ見たことがない。
実の両親が亡くなったときなんて、まずAIロボット自体がまだ認知されていなかった。というか、孤児院に引き取られたときはケイがロボットということも気づかれなくて、事実が発覚したのは頑なに食事を取ろうとしなかったからだった。ケイは食べ物や飲み物を身体に入れるとエラーが起きてしまう。エネルギーは太陽光で充電できる。普通に喋れるし普通に表情も変わる。そんなロボットすら当時は存在していなかった。ケイだけだった。ケイだけが特別で、異質な存在だった。
気味悪がった孤児院の人たちは、私とケイを引き離そうとした。今となっては気持ちはわからなくないけれど、当時の私はなんて酷い人たちだろうと憤った。なぜ、どうやって実の両親がケイを生み出したのかはわからない。もう知ることはできない。だけどケイはずっと私の弟だった。ずっと一緒にいてくれた。大事な家族だった。それなのに、その存在を引き離されるなんて、絶対に許せるはずがなかった。
そうして私とケイは、パパとお父さんに出会った。二人もケイに驚きはしたけれど、「すごい双子だな」と笑ってくれた。昔だけじゃなくて、未だに二人は私たちをむやみに褒めがちだ。
「メグミとケイを見てるとさ、すごい、前に進んでるって気持ちになるんだよな」
「『前に進んでる』とは」
「お前たちはいつもオレたちが夢だと思ってたものを、現実にして持ってきてくれるから。こう、可能性無限大な未来に突き進んでる感じ」
「それはケイだけなんじゃないの。私頭悪いし」
「まさか」とお父さんは笑い飛ばす。お父さんの笑顔は、いつも私の心を軽くしてくれる。「メグミもケイも、オレたちにとって将来有望の子どもたちだよ」
お父さん、と呼んだのはケイだ。小さな声にも、お父さんは必ず返事をしてくれる。
「ん?」
「本当にマイホーム買うの」
「ああ。しかも新築だぞ。メグミとケイの新しい部屋も作る」
「四人の家?」
「四人の家だよ」
パパとお父さんさんと、私と、ケイの家。家族の家。
私が口を開こうとしたとき、ぐう、と誰かの音があった。音のした方に目を向ける。ケイは隠すようにお腹へ手を当てていた。
「カレーの匂いでつい」
「そうだカレーが出来たから呼びにきたんだったオレ」
「私もお腹減ってきた」
さっきからカレーの匂いが立ち込めているのもあって、空腹感が増している。ケイは太陽光があれば生きていけるけど、パパのおかげで、三年前に食事をエネルギーに変換できる機能が搭載された。ちなみにお父さんの職業は出版社の編集。パパは昔IT会社の営業だったけど、今はフリーのエンジニア兼ケイのメンテナンス係だ。
「今日はパパがカレー作ったの?」
「オレもちゃんと手伝ったぞ。今ごろ全員分よそい終わって待ちくたびれてる」
「パパらしいね」
「……今更だけどさ。そろそろパパのことも『お父さん』って呼んでやれば? いつまで経ってもアイツ『パパ』呼び恥ずかしがってるし」
「お父さんも『パパ』って呼んでるじゃん」
「お前たちの前ではな」
「どっちも『お父さん』だったらややこしいじゃん」
「パパは『諒太お父さん』、オレは『紘お父さん』でどうよ」
「長くて面倒くさい」
「じゃあ『親父』」
「絶対反抗期だって勘違いして落ち込むよパパ」
「だよなあ。ケイはどう思う?」
「僕はパパをパパと呼びたいし、お父さんはお父さんって呼びたい」
「そうかあ」
お父さんはご満悦な顔で私とケイの頭を撫でた。ケイの身体が大きくならないせいか、お父さんもパパも、いつまで経っても小学生扱いしている節がある。普通タカンな中学生の子どもの頭は撫でないものだよ、と、今ぐらいは言わないであげよう。
ようやくリビングに向かおうとベッドから降りかけて、「あ、しまった」と私は声をあげる。「どうしたメグミ」「どうしたの姉さん」「足しびれた」ずっと正座をしていたせいで、足がビリビリだ。ケイに容赦なく手を引かれ、「痛い痛い」と言いながらベッドを降りる。
「そういえば」
「なんですか足の痺れが理解できないケイくん」
「カレーの匂いって言葉にできる?」
突然の問いかけに、私もお父さんもきょとんとする。
「なに急に」
「この間公園で、見知らぬ女性ふたりと世間話してたんだけど。何かの拍子にカレーの話になって、『何年経ってもカレーの匂いは言葉にできない』って二人とも言ってて」
「すぐケイは見知らぬ人と仲良くなるよなあ」
「怪しい人についてっちゃダメだよ」
「瞬き一つで頭に搭載された防犯ベル鳴らせるから大丈夫」
ケイのロボットジョークはあまり面白くない。ジョークというかまあ事実なんだけど。
「カレーの匂いかあ」とお父さんはその場で考え込む。お父さんもパパも、いつだって私たちの言葉を真剣に考えてくれる。「……いい匂いかな」その割にはふわっとした回答しか返ってこないときも多いけど。
「二人はどうなんだよ」
「ん?」
「『どう』とは」
「メグミとケイ的に、カレーの匂いを言葉にするとどんな感じ?」
お父さんの問いかけに、私とケイは顔を見合わせる。それから目を閉じて息を吸う。カレーの匂いが胸いっぱいに広がる。
そこで、私とケイはいろんなことを思い出した。小学校の入学式の日。孤児院を抜け出した日。パパとお父さんと出会ったとき。初めて手をつないだとき。初めて喧嘩をしたとき。初めて四人で食事をしたとき。小学校の卒業式で、パパとお父さんが号泣したとき。中学校の入学式の日、ケイと一緒にカレーを作った夜。お父さんが笑ってくれた。パパも笑ってくれた。私とケイを抱きしめてくれた。
「おいなんでリビングに来ないんだよ、もうカレーよそったのに冷めるぞ」パパが部屋にやってくる。私とケイの部屋に四人が揃う。
目を開けて、パパとお父さんを見る。ケイを見る。うん、と頷き合う。
「―――平和の匂い」
そう言って、恵はやわらかく笑った。
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