左手

 それが私の前にあらわれたのは、高校に進学した頃だったと思います。

 大嫌いな数学の問題が解けず、眠気と闘っていた最中に、それは落ちてきました。今、まさに格闘中の問題の上に、左手がボトッと──。


 何処から出てきたのか、なぜ手首までの左手なのか、何が起きているのかという疑問より先に、眠気に気が立っていた私は「邪魔じゃーっ!」と、ムズッと掴んで投げ捨てていました。

 まさか掴めるとも投げられるとも思ってなく、ただ単なる本能的な行動でした。

 ハッと我に返った時には左手は消えていて、数学で頭が疲れて幻覚を見たのだ、と理解不能な結論を出して寝ました。


 不可思議な話を書いていて言うのも変ですが、私は怪異現象には半信半疑です。それだけ体験していて何を言ってるんだと、言われたこともありますが、幻覚幻聴ではないという証明を出来ない以上、これは間違いなく怪異現象です、と胸を張って断言することは出来ません。

 そんな考えを持っていたせいもあってか、怪異現象に対して恐怖をあまり感じなかったのかもしれません。


 この夜の左手を翌朝には忘れていたのですが、左手は何が気に入ったのか、この後何度も出没するようになりました。

 ある時、1日何やら妙な気配を感じたのに、何も起きず視ることもなく済んだ日がありました。変な日だったと思いつつ寝ようと、部屋の照明を消そうとしたら、紐に左手がぶら下がっていたことがありました。

 またある時は、座ろうとした椅子の上に左手がちまっと居たり、お気に入りのぬいぐるみの頭に乗っていたこともありました。

 イビキをかいて爆睡する愛犬の頭の上に、ちょこんと乗っていたこともあります。それはちょっと犬としてどうなのよと、呆れましたが。


 そんな風に左手が出没するのは、2年ほど続いたでしょうか。

 何がしたいのか、私に何かして欲しいのか、左手には目的があったのかもしれません。けれど私は一切、問い掛けませんでした。


 半信半疑ではありますが、私は怪異現象には関わらないのが一番だ、と考えています。

 問い掛ける、ということは、そちら側と繋がる危険が生じることになる、と思うのです。

 もしあの時、私が左手に目的を尋ねていたら、私の身に何かが起きていたかもしれません。

 怪異現象が起きても起きたままに受け流して、深入りをしないようにし続けるうち、左手は出没しなくなっていました。


 私ではない誰かに取り憑いて、目的を果たしたのかどうか、知る由もありません。


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