小学校時代 2

 小学生の頃、学校の近くに小さな沼があって、そこは首吊り沼と呼ばれていました。

 通学路のすぐ近くにあり、たぶん農業用の溜池だったのではないかと思います。小さな沼なのに、澱みきった水は茶色がかったドロリとした深緑色をしていて、沼の上に張り出した山桜の太い枝が、いかにも首吊り出来そうに見え、黒い不気味な影を沼面に映していました。

 底の見えない恐怖は、子供の心にオバケを見せるのでしょうか。

 夕方遅くに通ると沼面に立つ幽霊が出るとか、呼ぶ声が聞こえるとか、まことしやかなデマが、代々伝えられていました。

 そこには霊は居ないのですが。


 そんな濡れ衣を掛けられた場所が、あちこちに在りました。

 形が微妙に変わる二十三夜の碑。毎日見ていましたが、形が変わったことはありません。

 動く地蔵。動かしたくともビクともしません。

 幽霊がおいでおいでをする垂れ柳のある袋小路。幽霊は出ませんが、強風や強い雨の翌日は大量の毛虫やナメクジが落ちていて、別な意味で阿鼻叫喚になる場所でした。


 小学生というのは怖いもの知らずというのか、暇を持て余しているというのか。ちびっこギャング団と化して、噂のある現場を訪ね歩きました。

 そして問うのです。霊感のあるという子供に。

「ここ、ここには幽霊見える?」 

 そうして意図していない真偽のふるいに掛けられて、小学校高学年になる頃までには、霊感があると周囲が結論を出したメンバーが揃います。

 

 実は、私はその中に含まれていませんでした。


 幼稚園時代に「視える」という異質な存在扱いされたくない、と用心してしまった私は、一切関わらないようにしていました。

 更に群れて遊ぶ事が苦手だった為、放課になるとすぐ家へ帰っていたので、自然に一匹狼の立場になっていたのです。 

 それが良かったのか悪かったのか。

 

 視る能力は薄れることなく、その後も身近に怪異を感じながら、過ごす事になります。

  


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