蛍火幻想

 怪奇現象の類いの一番古い体験は、幼稚園に入る前の四、五歳頃だったでしょうか。


 季節が偶然にも夏だったのはたぶん、小さな子供が夜、家の外で遊ぶチャンスは、夏の夜の蛍狩りや花火くらいしかないからだと思います。

 だからあの夜の記憶も、夏の暑さと共に思い出すのでしょう。今も鮮明に覚えている夏の夜の記憶です。


 あの日の夜は熱帯夜でした。

 じっとりとした暑さの中、南に面した庭で、幼い私は兄達と蛍を見ていました。

 当時、家の南は水田しかなく、当然外灯など一切無く、漆黒の闇が広がる庭は蛍狩りには最適でした。

 この辺りで蛍と言えばヘイケボタルなので、ふわりふわりと飛ぶ淡い光は小さく、ゲンジボタルのような華やかさはありません。

 それでも外灯がない水田の暗闇の中、群れて舞う光は幻想的で綺麗だったのを覚えています。


 長兄が庭に迷い込んできた蛍を指差し、綺麗だねと私に声を掛けました。その蛍を目で追っているうちに、私はふと、それに気づいたのです。

 私は兄の腕を掴んで、無邪気に尋ねました。

「あーちゃん、あれ、なぁに?」

 尋ねながら、遠くを指差した私。


 南に広がる水田地帯は、200メートルほど先から土地が高台になっています。その斜面の中腹辺り、一段と闇が濃くなっている付近を、私は指差していたのです。

 そこには明らかに蛍とは異質な、薄青い光が揺らいでいました。

 蛍のように瞬いてもいないし、動かない。ぼうっと、仄かに浮かび上がっている焔は、ゆらりゆらりと微かに揺らめいていました。


 兄はしばらく目を凝らして闇を見ていたのですが、おもむろに私を振り返り、どの辺りに何が見えるのかと尋ね返してきました。


「あそこぉ、青い蛍!」

 真っ直ぐに腕を伸ばし、差し示して笑った私に、兄の顔色がサアッと変わりました。

 おうちに入ろうね、と言うなり私を抱えて、兄は家の中へ飛び込んだのです。何が起きているのか、当時の私には理解が出来なかったのですが。


 あれが、人魂や狐火と呼ばれる怪異現象だと知ったのは、いつの頃だったでしょうか。


 私が小学生の低学年の頃までは、まだ土葬が行われていました。

 土葬した遺体から燐が出て、自然発火すると青白い焔が出るなどという、まことしやかなデマが出回った時代です。

 それだけに土葬遺体の眠る墓地は、怖くて恐ろしい場所でした。


 兄が私を抱えて家へ逃げ込んだのも、今では頷けます。

 幼い私が差し示した場所は、まさに墓地の方向でしたから───。



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