第3話

 「つったたた……首と肩が……」

 節々の悲鳴に耐えながら、ゆっくりと身体を動かす。翼を転がしたベッドを共有するというわけにもいかず、結局ソファで一夜を明かした。この生活を始めた頃はなんともなかったけれども、今ではそうもいかないようだった。

 翼の様子を確認すると、規則正しいリズムで腹が上下している。うむ、健康そうで何より。

 ペタペタ、とフローリングを鳴らしながらキッチンへと向かう。普段は料理の担当は翼だけれども、こうやって潰れてしまった翌日にもやらせるのは忍びない。

 冷蔵庫を開けると、前日の残り物と一般的な食材に加えて、名前の分からない調味料だったりが散在していた。買い物担当は私のはずなのに、こうした事がよくある。翼曰く「趣味の範囲だから自分で買うよ」との事だが、それを許してしまったら全てが家事が趣味だと宣う彼女の独壇場になってしまうのでそれは全力で阻止しているはずなのだが……。まぁ、趣味をやめさせるのもまた違う訳だけれども……。

 話が逸れた。パタン、と冷蔵庫を閉じて私に扱える食材を思い出す。牛乳に卵、ソーセージ、キャベツ、レタス、白菜、ほうれん草ににんじん、鶏肉に魚、と言ったところだろうか……。

 うん、何を作っていいのかさっぱりわからない。

 スマートフォンを開く。最近のご時世、かなり便利になったものだ。食材を打ち込むだけで、世の中のセンスのある人たちが考えついたメニューが画面に収まらないほどズラッと並ぶ。私はその中から自分の力量でできるものを選択するだけ。寧ろ、それしか出来ない。私には彼らのように、自分で何かを作り出すを作り出すなんて事、出来ないから。


****


 「よし……後は、タイマーをセットして‥‥と」


 なんとかレシピに沿って料理を仕上げる段階にまで来た。あとは、鍋で煮込んでいるに片付けをするだけだ。

 調理器具を洗っていると、視界の端で誰かが歩いている気配がした。誰か、なんてこの部屋にいる人数を考えたら一人しかいないんだけれども。


 「あ、おはよう」

 「んーー」

 

 ゴン、と背中に緩い衝撃を感じる。


 「……二日酔い??」

 「んーー、多分……それ…。ごめん、今日仕事なはずなのに……」

 

 弱々しい声と共にグリグリと数回頭が押し付けられると、呻き声と共に動きが止まった。


 「頭痛い?」

 「まぁ……そこそこって感じ……だけど…」


 含みのある言い方に内心首を捻りつつ皿をカゴにいれつつ水を止める。

 すると、それを狙ったかのように、肩に手がかけられた。鷲掴みにされているのにも関わらず肩が跳ねる。


 「いっだだだだだだぁ!?」


 次の瞬間どこが刺激されているのかも分からないほどの激痛が走り、情けない悲鳴をあげる。3秒ほどで痛みからは解放され、ゼェゼェと荒い息をしたまま振り返る。


 「何やってんの!?」

 「頭痛くなったわ……」

 「自分のせいだよね!?」

 「まぁー、そうだね。いやぁ、やっぱり個人の限界を超えたアルコールを摂取するもんじゃないや。それと——」

 ちょっと翼が言葉を切って、再度口を割る。


 「ケイ、今日、ちゃんと寝れた?」


 鍋がコトコトと煮込まれる音だけが響く。何も言う事ができない。蛇に睨まれた蛙とはこの事か。沈黙を肯定ととったのか、翼がもう一度口を開く。


 「ケイ、めちゃくちゃ肩凝ってるじゃん。最近疲れてるっしょ?何があったのかは正直分からないし、多分、私なんかじゃ解決できない事だと思う。けどさ、自分の身体くらい労いな?」

 まぁ、自分が酔いつぶれたのが元凶なんだけどさ、と翼は肩を竦めながら付け足した。

 違う、そうじゃない。翼を潰したのは、私なのだ。私が疲れていなければ、翼も潰れる事などなかった。

 そう言いたかったはずなのに、何故か舌が張り付いてしまったかのように声が出ない。どうして?分からない。分からなくて、今度はゆっくりと喉が締められるようだった。


 沈黙を破ったのは、軽快なタイマー音。

 翼は無言で鍋にかかっていた火を止める。そして、ちらりと時計を見やりながら言った。


 「結構時間まずいんじゃない?早く食べよっか」


 錆びついた歯車が、ギィギィと音を立てながらゆっくりと回り始めたような感覚。私が返事をする前に、翼は鍋敷きをテーブルに運ぶ。それにつられるように、私も皿を運んだ。食器と飲み物が全部揃い、鍋をテーブルに運ぶ。


 「ごめんね。今日、仕事なはずなのに」

 「ううん。いいの。いつも作ってもらっているから、今日くらい」


 翼が酔いつぶれた翌日に繰り広げられる毎朝の会話。それを、今日も繰り返す。違ったのは、台所での会話だけ。これが終れば、私は今日も会社に行くし、翼も翼で家で仕事をするんだろう。

 それが、今日は無性に有り難かった。でないと、また歯車が止まってしまう気がした。


 「ちなみにさ、今日は何が作ったの?」

 鍋の蓋を開ける直前に翼が問いかける。

 「鶏肉のスープ」

 「やった。前、作ってくれたよね。あれ、美味しかったなぁー。二日酔いにも優しいしさ」


 ザリ、と鍋と蓋が擦れる音がする。あぁ、そうだ。そういえばそうだった。

 わずかに開いた蓋から溢れ出した匂いは、確かに以前嗅いだことのある匂いだった。

 

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