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 福さんはあの後「それじゃあ」とだけ残してニコニコ顔でかなめと涼の前から立ち去った。暫し二人はピンク色の名刺を呆然と見つめていたがふと我に返り、蛍の光に急かされるようにレジが並ぶ通路に早足で向ったが既に福さんの姿は見えなくなっていた。


 とりあえず買い物籠の品物をレジで清算し、かなめの家まで戻ってきたが帰り道の間涼の機嫌が目に見えて悪かったのは気のせいではないだろう。ホットプレートで肉を黙々と焼いている現在も涼の眉間には皺が寄っている。今は小皺が増えるよと軽口を挟めるような雰囲気ではなかった。先程福さんのことをお世話になっていると紹介したのがタイミング的に悪かったのだろうか。そう思いながらかなめは焦げかけたキャベツとたまねぎを口に運んでいた。


「はのね」


 ほどよく焼けた肉を口に運んだ後涼が口を開くが、まだ口の中に半分以上肉が残っているため若干聞き取りづらい。


「はい、これどうぞ」


 かなめはテーブルに置かれたウォッカベースのカクテルが注がれたコップを涼に手渡す。それを箸を持っていない左手で受け取ると、涼はもぐもぐと肉をよく噛んで飲み込んだ後にコップのカクテルを一気に飲み干した。


「ありがと。でさ」


 涼はそこで一度言葉を切るとコップをテーブルに置くと右手に持っている箸をかなめに向ける。何時もなら行儀が悪いとぼやくことも出来るのだが、今は目に見える地雷を踏みに行くこともない。そう思い何となくかなめは居住まいを正した。


「……かなめってそっちの趣味があったの?」


 八畳の居間と六畳の寝室しかないこの家には勿論かなめと涼しかいないのだが、良く聞かなければ聞き逃してしまうほどの小さな声で涼は疑問を口にした。その顔をよく見ると機嫌が悪いと思っていた表情には不安が入り混じっているようだった。


 事の発端は勿論福さんがかなめに差し出したあのピンク色の名刺だ。ダンディーマダムと書かれた店名の下には源氏名だろう「マツ子」と書かれていた。更にその下には男っぽい骨太な文字で「また来てね」と書かれている。名刺の裏側にはホームページのアドレスとご丁寧なことにQRコードが載っていた。

 既に嫌な予感しかしなかったが、かなめがそのQRコードをスーパーから出た後にスマホで読み込むと直ぐに店のものだろうと思われるホームページに移動をした。


 表示されたトップ画面には「ダンディーマダム」の文字と、残念ながら女性には見えない際どい衣装を着たおっさんたちが六人並んで映っていた。所謂オカマバーと言うやつだ。その下には営業時間や料金、キャストの書き込みなどが表示されていたが、かなめは汗にぬれる指先でそっと電源ボタンを長押ししてスマホの電源を落とした。


 それからかなめのアパートに着くまでと言うもの、涼の冷たい視線に晒されながら無言の帰宅となったのである。いっそのこと綺麗なお姉さんが並んでいた方がダメージは少なかっただろう。


「いやいやいや!俺はそっちには興味なんてないから!」


 箸を突きつけられたかなめは慌てて手を振りながら全力で否定をする。


「だってあんた一緒にいるのに一切手を出さないし、挙句に銭湯でお世話になってるおっさんが持ってきた名刺がアレだよ?完全にアウトだと思ったんだけど」

「色々否定することもあるけども……。これだけ待たせてるのに涼に返事する前に手を出すのはダメだろう」

「あたしは構わないけど」

「いやいやいやいや、俺としてはそこらへんはもっとこう、なんていうかなぁ」

「あーあ、意気地ねぇなぁ」

「……すみませんね。意気地なしで」

「ホントだよ。もう」


 珍しく涼が溜息を吐くとかなめは苦笑することしか出来なかった。暫く二人は無言でいたがホットプレートで焼かれていた肉が食べ頃になると何時もの空気が戻り始めた。


「もう一杯酒もらってもいい?」

「おう、飲め飲め。余しても俺はカクテル飲まないからな」

「ありがと。肉焼けたから皿に上げとくよ」

「ありがと」


 かなめがコップにカクテルを注ぎ、涼は取り皿に焼け上がった肉を載せていく。そうして暫くは他愛の無い話をしながら焼肉を楽しんでいた。大皿に移し変えた肉が最後の一枚になりそれをホットプレートに載せ終えると、かなめは酔いが回ってきたのか少し顔が赤くなっている涼に向かって口を開いた。ちなみに野菜はまだ半分ほど残っている。


「涼は何時まで休み?」

「ん、とりあえずは一週間は大丈夫」

「マジか……」

「そこで嫌そうな顔するなバカ」


 売れっ子ペンキ絵師の涼が一週間も休みを作ったのは本当に頑張ったのだろうとかなめは感心していた。その行動力と決断力は同じ社会人として見習うべきところだろう。そしてその時間をかなめと一緒にいるために使ってくれている涼に対し、福さんが手渡してくれた情報とは言え、オカマバーへと連れて行くことに抵抗を感じるのは仕方ないだろう。涼がまた一週間後に来るならばその間の時間を使って一人で件の店に行くことも出来たのだが、福の神様はどうやらかなめには厳しいようだ。


「とりあえず俺の仕事が早めに終わったときにそのダンディーマダムに行こうと思ってるんだけど……」

「はぁ?あんたもしかして本当にそっち系なの?」

「違うって!……あー、この際だから涼にだけは言っておくよ。今やってることはあの福さんからの話なんだ。以前のやつもみんなそう。あの人は実はちょっと凄い人?でいいのかなあ……。で、名刺を俺にくれたのもきっと意味のあることなんだよ、多分だけど。……多分だけど。何でかはまだ詳しくは言えないけど、約束どおりこの件が終わったら返事も含めて全部話すよ。だから出来れば涼にも一緒に来て欲しいなぁって思ってるんだけど、流石に今回ばかりは無理にとは言わない」


 かなめはそう一息に言い切るとじっと、少し不安げに涼の顔を見つめる。涼は暫くかなめの顔を眺めていたが、取り皿の焼きあがった肉を箸で掴むと口に運び咀嚼して飲み込んだ。コップの中のカクテルを一気に呷ると溜息を一つ吐く。朱が差した顔は少し妖艶な感じがして、かなめは溜まっていたつばを飲み込む時に喉が鳴らないよう気を付けたが無駄な努力だったようだ。


「はぁー。分かったよ。一緒に行ってやるって言ったろ?」

「……ありがとう。涼」

「返事は期待してるからね」

「……前向きに検討します」


 かなめは安心したように大きく息を吐くと温くなったビールを流し込んだ。

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