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 沼田さんの似合わないウィンクの後、保樹は一度席を立つと茶の間の奥へと一度入っていった。そして間もなく茶の間へ戻ってきたときにはその手には最中が四つ握られていた。それをそれぞれの前に置く。


「仏壇に上がっているもので悪いのだが一人では何時も余しているので食べてくれ」


 席に座りながら保樹がそう言うと沼田さんはこれ幸いにと最中の包みを開けると言葉もなく齧り付いた。糖尿病のため糖分の摂取は奥さんから厳しく言いつけられている筈だが、その行動には全く持って躊躇はない。


「沼田さん甘いものは控えたほうが良いんじゃないですか?」

「お前には貸しがあるからな。よろしく頼むわ」


 かなめの言葉には耳を貸さず直ぐに完食する。沼田さんの視線がかなめの最中に向いたため、かなめは沼田さんの手の届かない場所まで最中を避難させた。


「それで、一体君がここにきた目的は何かね」


 それを暫くは眺めていた保樹だが仕方なくと言った様子で口を開いた。先程よりは表情や口調には刺々しさや敵意というものは感じない。まだ警戒をしている様子は伝わるがそれは仕方のないことだろう。


「はい、出来れば息子さんとお会いできる場をご用意して頂けるならば非常に助かります」

「なるほど、私がそれを教えなかった場合はどうしたのかね」

「まぁ、また手がかりを探すだけですよ。こういったことには多少ですが慣れておりますので」

「そんなことをして君に何の得があるんだね」

「普通に考えるとありませんね」


 苦笑いして答えるかなめに保樹は一度視線を外すと溜息を吐く。


「全く持って理解が出来んよ」

「仰るとおりで」 


 正直なところかなめも良く分かっていない。福さんのお使いは何時も突然で意味が不明なことが多い。もう少し何をするのか教えて欲しいとは思うのだが藪を突いて蛇を出すのも怖いのだ。ただ苦笑して答えるしか出来なかった。


「静夫、もう一度確認をする」

「ああ、大丈夫だ」 

「そうか。分かった」


 二人の間ではそれだけの確認で十分だったのだろう。保樹は沼田さんが口の端を上げて微笑んだのを確認すると、何かを覚悟するように一度深呼吸をした後に居住まいを正してかなめに向き合った。


「先ずは先ほどの暴言を改めて詫びよう。変人だと騒ぎ立てて申し訳ない」

「い、いえいえ。私も自覚をしておりますので頭を上げてください」


 そしてかなめに向かって頭を下げる。それに驚いたかなめは慌てて頭を上げてもらうよう言葉をかける。


「いや、教育者としてはあるまじき発言だった」

「こちらこそ突然お邪魔した挙句に訳の分からないことを言っているのは理解しているつもりです。頭を下げるのはこちらですので頭を上げてください」

「言い訳をするつもりではないのだが妻に先立たれて最近息子とも出て行かれたばかりでな。……おかしくなっていたのはこちらのほうだ。非礼を許して欲しい」

「昔から七面倒臭ぇ奴なんだよ。気にすんなかなめちゃん」

「お前は黙っていろ」

「はいはい、分かりましたよ」


 テーブルに額がつきそうな程頭を下げたまま保樹はギロリと沼田さんを睨みつけると、沼田さんは肩をすくめておどけてみせる。


「と、とりあえず松本さん頭を上げていただけないでしょうか?」

「許して頂けるのか」

「も、勿論ですよ」

「申し訳ない」


 保樹はそう言うとゆっくり頭を上げる。その顔には僅かだが笑みが浮かんでいた。


「若いということは羨ましいな。私にももう少し若さがあれば勇介を許してやれたのかもしれないな」


 そしてぽつり、と小さな声で零すと壁に開けられた穴をぼんやりと眺めた。


「ああ、兄の俊夫の家の住所を伝えよう。引っ越していなければ今でもそこにいるはずだ。出て行った勇介の居場所は分からないが恐らくは一緒にいるだろうな。これは一応親の勘だがね」


 保樹は壁の穴を見つめたままそう言い終えると立ち上がり食器棚の隣に置かれたメモ帳にペンを走らせ、メモをちぎるとテーブルの前まで戻ってくる。


「そちらのお嬢さんにも非礼を詫びよう。彼のことを変人扱いをして申し訳なかった」


 メモを手にしたまま保樹は手持ち無沙汰に目の前の最中を眺めていた涼に向かって頭を下げた。


「あ、いや別にあたしは気にしていないよ。さっきしっかり謝ってたみたいだしね」


 突然話を振られるとは思ってもいなかったのだろう、涼はやや慌てた風に手をひらひらを振る。


「先ほどは随分と睨まれてしまったからね。よほど大事な彼なのだろう」

「……まぁね」

「羨ましいね、色男」


 保樹はそう言うと頭を上げかなめにメモを差し出す。


「……大切な友人ですよ」


 かなめはそう言うと椅子から立ち上がり丁寧に一礼をした後保樹からメモを受け取る。涼はやや不満げな顔をしながら続いて席を立った。それを見て保樹は楽しそうに一度鼻を鳴らした。


「すまねぇなぁ保樹。無理言ってよ」


 そういって沼田さんも席を立つ。手には最中が三つ握られている。


「俺とお前の仲だろう。隠してあるアードベッグのオールドボトルで手を打ってやる」

「ちょ、お前……!!それはねぇんじゃねぇのか!?」

「なに、この前酒屋の坂本さんから聞いたもんでな。焼酎も隠れ蓑に買っているようだが糖尿病になってから日本酒の変わりに最近はシングルモルトを嗜んでいるらしいじゃないか。味の分からないお前が飲むより俺が飲んだほうが酒も嬉しいだろう」


 思わず最中を一つ床に落としてしまった沼田さんは、ぎりぎりと音がしそうなほど歯噛みをしていたが、ふと思い出したようにかなめの尻を最中を持っていない反対の手で振りぬくように叩いた。風船が割れた破裂音にも似た大きな音が響き渡る。


「いったぁぁ!!!」


 突然尻を叩かれたかなめは身体を逆に反らせながら思い切り飛び上がる。


「馬鹿なことをしでかしちまったな……かなめちゃんよぉ」

「沼田さん割と綺麗な感じにお話まとまったじゃないですかぁ!?」

「何で俺の隠し財産を放出することになってんだよ!」

「酒を奢るといったのは静夫、お前だろうに」

「何か納得いかねぇよ!」


 沼田さんはそういいながら最中を拾うと保樹の肩を掴み玄関の方へと向かって引きずっていく。姿が見えなくなったが、玄関付近からはなにやら一方的に沼田さんは保樹にやりこまれているような会話が断片的に聞こえていた。


 残されたかなめと涼はきょとんとした顔をして暫く顔を見合わせていたが、遠ざかる二人の声に慌てて茶の間を後にした。

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