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かなめと涼は沼田さんが運転する軽自動車の後部座席に並んで座っていた。
目的地は人形の持ち主の親である松本家。車で商店街から十分ほどの距離だった。車の免許を持ってはいるが車を所有していないかなめには有難い話だ。
沼田さんの店に二人で着いた際に奥さんが涼の姿を見て騒ぎ始め、服がどうだとか髪型がどうだとか盛り上がってしまい出発が二十分ほど遅れてしまったが、その話を中断させられる度胸を男二人が持ち合わせていなかったのは仕方ないことだろう。かなめとしては涼が意外とその手の情報について詳しいという、何時もの様子からは想像していなかった一面を知ることが出来たので得るものもあったのだが。
「かなめちゃんよぅ、俺が手伝えるのはここまでだから後は自分で何とかしろよ。馬鹿なこと言い始めたら尻ひっぱたくから覚悟しとけよ」
「本当に何から何まで有難う御座います。馬鹿なこと言ったら遠慮なく尻ひっぱたいて下さい」
運転席で煙草を吹かしながら沼田さんがかなめに話しかける。かなめは軽く頭を下げながら答えると松本家が見えてきた。
駅前から少し離れた住宅地の一角、北国では最近一般的な無落雪式の平らな屋根ではなく、青いトタン屋根の少し古めの一軒家の隣に沼田さんは車を停めた。玄関の「松本保樹」と書かれた表札が掛かっている。沼田さんが車のエンジンを切ると車から降りる。かなめと涼もそれを見て車から降りた。
沼田さんは二人にそこで待つように言った後に、少し雑草が伸びている玄関前の庭を横切ると玄関のインターホンを押した。しばらくすると玄関のドアが開き中から白いワイシャツに黒のスラックスを着た、やや白髪交じりの疲れた表情の中年が玄関前に出てくる。彼が松本保樹なのだろう。沼田さんは親しげに声を掛けると、暫くの間雑談を交わしていたが内容は二人には聞こえなかった。やがて話が一段落したのだろうか、沼田さんは二人のほうを向くと手招きをした。
かなめと涼はそれを合図に庭を横切ると玄関の手前まで歩いていく。
「保樹。こいつらがこの前電話で話した二人だ。話だけでも聞いてやってくれ」
「約束だからな。話だけは聞いてやるよ。……ここで話すのもなんだろう、中で話そう。妻がいないから茶は出せないが」
かなめと涼に対し警戒心があるのだろう、保樹は腕を組むと開いたドアの中へと入っていった。残された三人も少し遅れて玄関の中へと入っていった。
玄関はこざっぱりとしていて埃のひとつも見当たらない。今脱いだのだろう健康サンダルが、少し乱れて黒光りする革靴の横に並んでいた。三人は靴を脱ぐと保樹に促されて茶の間へと入っていく。
茶の間も玄関同様にこざっぱりと整理されており清潔な印象が感じられた。四人掛けの食卓テーブルと四脚の椅子の他には食器棚と最低限の家電製品、キッチン程度しか並べられていない。だが、その部屋の中にいくつかこの空間の中にはそぐわないものが視界に映った。
壁に開けられた拳大の穴が見えるだけで五つ。位置を変えればまだ何処かにもありそうだと直感的に感じられ、かなめと涼は思わず足を止めてしまった。
その反応は予想していたのだろう、保樹は組んだ腕を下ろすと食卓テーブルに収められた椅子を引いて着席を促す。三人が座ったのを確認すると台所からお盆を取り食器棚からはガラスのコップを四つ取り出す。次に冷蔵庫から麦茶の入った容器を取り出しそれらをテーブルに置くと、沼田さんが手馴れたようにコップに麦茶を注ぎ四人の前に並べた。
「お恥ずかしい話だが息子の勇介の仕業でね。妻が亡くなってからというもの言い合いになることが増えてしまいつい最近家を出て行ったよ」
自嘲気味に保樹がそう話し出す。先程よりも顔に疲れの色が濃く浮かんでいる。
「それで、私に何の様があった?静夫は何も教えてくれないもんだからな」
睨むように保樹はかなめと涼のほうを向いた。沼田さんも表情こそ変えていないが視線をかなめに向けている。涼は少し心配そうにかなめの顔を見た。
「こちらに見覚えはありませんか?」
三つの視線の中かなめは鞄にぶら下げられていた薄汚れた兎の人形を外すと、テーブルの上にゆっくりと置いた。保樹はちらりと人形に目を落としたが直ぐにかなめに視線を戻した。
「妻が息子達の入学式の祝いに作っていた人形だな。残念ながらどちらに作ったものかは記憶にはないよ」
懐かしいものを見たためか保樹の視線はやや和らいでいたが、それは直ぐに先ほどと変わらないものへと変わる。
「この人形がどうかしたのか?」
「ご本人へ返したいと思います」
「何故」
「そう、あるべきだからです」
質問の返答にはまるでなっていないかなめの言葉に保樹は一瞬あっけに取られていたが、口元を歪めると鼻を鳴らした。
「お前が商店街の変人か。ご苦労なことだ。噂は聞いているよ」
「恐れ入ります」
「で、その変人がわざわざこんな汚れた人形を息子に返したところで何がどうなるんだ」
「申し訳ありませんが正直なところ、どうなるかは私には分かりません。ただ、きっと悪いことは起こらないと思います」
かなめはそう言うとばつが悪そうに頭を掻く。それを見た保樹は目をむくと身体をかなめのほうへ乗り出す。
「ははは!お前はどうかしているよ!いまさらこんなものを持ってきて息子に返したいだと?そうすればどうなるかは分からないが悪い事は起こらない?お前が詐欺師ならあまりにも話の出来が悪い。私を馬鹿にしているのか!?」
「いえ、そのようなつもりは全くありません。自分でも不思議ですよ、こんなことをしているのは。運が良いのか悪いのか」
かなめは今にも殴りかかりそうな保樹を困ったような顔をしてただ見返している。沼田さんの表情は大分硬くなっていた。約束の尻を引っぱたくまで後僅かしか余裕は無さそうだった。涼はきつく口を真一文字に結び眉間には盛大に皺が寄っていた。身を乗り出して今にも保樹に殴りかかりそうな様子にも見えた。以前実際に殴りかかった実績があるため油断は出来ない。
「保樹、ガキ相手にそう興奮するな。麦茶でも飲めよ」
険悪な空気に思わず沼田さんが声を掛ける。車内では手伝わないと言ってはいたが根っからの善人なのだろう。思わず口に出してしまったことに気付いたのか不満げな顔をして、大きな手で少なくなった髪をくしゃくしゃとかき回した。
保樹はちらりと沼田さんを見るとゆっくりと乗り出した身体を椅子に戻すと、コップに注がれた麦茶を半分ほど飲み干した。少し落ち着いたのか表情が少しだけ柔らかくなる。
「取り乱してしまい申し訳ない。最近は疲れていてね。許してくれ」
「こいつ生徒からは鬼呼ばわりしてるからな。それ以上怒らせないほうが良いぜ」
保樹の言葉に茶化すように沼田さんが茶々を入れる。
「お前は……。何時も面倒ごとばっかり持ち込みやがって」
「ガキの頃からお前はそういう役回りだろ。頭がいいのが取り柄だったからな」
「お前が馬鹿ばっかりやるから俺がそうせざるをえなかったんだろうが」
「だからよ、この若者の頼みごとも仕事のうちだと思って面倒見てやってくれってよ。なぁ、保樹。頼むぜ。別にこいつらがぬいぐるみを渡そうが渡すまいが正直お前には関係ないだろう?」
「……お前今度何か奢れよ」
「分かった。そうこなきゃおめぇじゃねぇな」
大きく溜息を吐いた保樹が肩を降ろすのを見て沼田さんはかなめに向かって似合わないウインクをすると、かなめは深く頭を下げた後少し温くなった麦茶に手を伸ばした。
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