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「いらっしゃーい」


 開けっ放しの入り口に掛けられた、変色した暖簾をくぐる男に向かい食堂の中におかみさんの声が響いた。律儀に毎週変わらない時間にやってくる男に向かいニヤニヤとした笑みを浮かべている。


「お邪魔します」


 かなめはカウンターに椅子に座り壁に掛けられたテレビを眺めるおかみさんに挨拶をすると、薄汚れた兎の人形がぶら下がったバッグを何時も使っているテーブルの上に置いた後に椅子を引いて座った。すぐにおかみさんが氷水をテーブルに持ってくる。

 まだ残暑がきつい日が続いておりのどが渇いていたのだろう、かなめはテーブルに置かれた氷水を一息に飲み干す。おかみさんは慣れたものでかなめが氷水を飲み干しコップをテーブルに置いたのを見計らい水差しからコップに水を並々と注ぐと、またカウンターの椅子に座りテレビを見始めた。もう一人のお客が来るまでは注文が来ないことを知っているからだ。


 かなめが来店して五分ほど過ぎコップの氷が半分溶けかかった頃、暖簾が手で押しのけられ涼が店に入ってくる。軽く手を上げるたまま動きを止めたかなめの姿を確認すると向かいの椅子に座った。

 今日は何時もの水色のキャップを被っているのは変わらないがデニムのワンピースを着ている。背中には黒い小さなリュックを掛け、首元にはシルバーの細いチェーンが汗で張り付いていた。


「こんにちわ。もしかして惚れ直した?」


 リュックを椅子の背もたれに掛けると、悪戯が成功したとばかりに涼はニヤニヤとした顔をかなめに近付ける。かなめは顔を真っ赤にしたまま、まだ手を上げていた。見る見るうちに耳が真っ赤に染まり目が泳ぎだす。

 おかみさんはテレビで流れている韓国ドラマそっちのけで二人の様子をニヤニヤしながら眺めている。


「たまにはこういう格好も面白いだろ?あんたのそういう顔も見れたし満足したわー」

「……心臓止まるわ」


 顔を近付けたままニヤニヤする涼に向かってかなめは搾り出すようにそれだけ言うと、コップの水を音を立てて飲み干した。チラチラと目線が首筋に巻きついたシルバーチェーンに行ってしまったのは男の性か。スレンダーな体型の胸元に視線が行かなかった自分にかなめはむなしい敢闘賞を送った。


「おばちゃんコーヒーとナポリタンとサンドイッチ!かなめはラーメンで良いんだろ?」


 慌てるかなめの顔をしばらく見続けて満足したのか、涼は椅子の背もたれに身体を預けると大きな声で注文をする。無言で頷くかなめを見て「ラーメン追加!」と威勢よく声を上げる。


「んで感想は?」

「……心臓が止まる」

「さっき聞いた。はい、別の言葉でどうぞ?」

「……びっくりしたよ。女らしい格好見たの初めてだし。似合ってます。降参です。参りました」


 かなめの消え入りそうな声でそう言った。最後のほうは早口で、片言の日本語にしか聞こえなかったがそれを聞いて涼は満足そうに何度も大きく頷いた。


「いやー思い切ってよかったわ。こういうの着るのって久しぶりだからさ、似合ってなかったらどうしようか結構悩んでたんだよなぁ」

「いや、似合ってるよ」


 少し落ち着いたかなめは苦笑しながらそう答える。すると涼ははにかんだような笑顔を見せた。それを見たかなめがもう一度耳まで赤くしてしまったのは仕方ないことか。観客であるおかみさんは腕を振りながら「もっと男らしく褒めなさいよ!」とか「ここで押し倒しても構わないのに!」等と一人で盛り上がっている。尚、既にテレビは消されている。


「それで今日はどうするんだ?」

「ああ、今日は沼田さんと一緒に松本さんの家に行く予定。その後は決まってないよ。何か出来そうなら続けるし無理そうなら解散かな」

「そっか。上手くいくと良いね」


 そういって涼はもう一度微笑んだ。

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