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 写真にはまだ開店したばかりなのだろうか、品揃えも少なくこざっぱりとした沼田さんの店の前でランドセルを背負い満面の笑みを浮かべる活発そうな男の子と、その背中に身体の半分を隠すようにしている不安げな顔の小柄な幼稚園児くらいの男の子が写っていた。


「確かランドセルにそのぬいぐるみが付いていたと思うんだけど……、そうそう。これこれ」


 奥さんはそういいながらランドセルに横にぶら下がっているものを指差す。写真はやや色褪せていたが、見たところ形などはほぼ同じように思えた。奥さんは間違いないというように頷いている。


「松本さんのところの敏雄君と勇介君だわ。このときは確か小学校の入学前の準備に店に買い物に来たはずよ。懐かしいわぁ。もう二十年近く前になるんじゃないかしら。入学の後も度々お店でハサミとかセロテープとか買いに来てくれていたから間違えないわ。あのお人形さん可愛いわねって言ったらお母さんが作ってくれたって嬉しそうに言ってたもの」

「あー、松本の倅かぁ」

「奥さん手先が器用でねぇ、パッチワークとか裁縫とかお上手だったのよ。弟の勇介君も小学校に入学するとき色違いのお人形さんランドセルに付けてたわねぇ」

「そうだったか?俺は全然覚えてねぇわ」

「そうでしょうね。何仕入れたかも忘れるくらいですから期待はしていませんよ」

「お、おう」


 奥さんはそういいながらペラペラとアルバムをめくっていくが、どうやらその二人が写っていたのは一枚だけのようだった。


「ごめんねぇかなめちゃん。この一枚しか写ってるのは無かったけど、多分間違いは無いわよ」

「沼田さんの奥さんの言うことなら間違えないですね。それにしてもそんな昔の話を良く憶えてらっしゃいましたね。本当に助かりました」

「何となく思い出したのよ。まだまだ私も呆けちゃいないって事かしらね」


 そう言って奥さんは楽しそうにからからと笑い声を上げる。釣られてかなめと涼も声を上げて笑った。


「それにしても松本の倅さん二人とも見かけなくなったよなぁ……」


 三人が笑っている間沼田さんは顎に手を当て何かを考え込んでいたようだ。そう言うと、顎に当てた親指で大分伸び始めた髭をじゃりじゃりと音がする位に撫で付ける。


「松本の奥さんが亡くなってからよぉ、兄貴の俊夫君がこの町のどこだかの会社に就職したところくらいまでは小耳に挟むこともあったんだけど、そこら辺から話は聞かなくなったなぁ。……確か半年くらい前に売れ残りのグラスセット買ってくれたのが俊夫君を見かけた最後だなぁ」

「弟さんはお店には来てないんですか?」

「勇介君は来たことねぇなぁ。今はやりの引きこもりって奴なんだって保樹がぼやいてたっけか。……ああ、松本の下の名前な。去年飲みに行ったときにバッタリ会ってよ、話したの憶えてるわ」


 沼田さんはそう言うとぼりぼりと白髪が混じった頭を掻きながら複雑な表情をしていた。奥さんも亡くなった松本さんの奥さんのことを思い出していたのだろうか。「いい人だったのにねぇ」と一言漏らすと溜息をついた。思わずかなめと涼も口を閉じて目を伏せる。

 しばらく四人は無言のままでいたが、沼田さんは意を決したようにかなめの目を見ながら口を開く。


「……かなめちゃんよぉ。最近じゃあ皆でおめぇのこと馬鹿みてぇなことやってるって噂してるの知ってるよな?俺は頭わりぃから何やってるのか良くわからねぇけど、どうせそれ続けるんだろ?昔から俺はかなめちゃん見てるから意味も無い事やる奴だとは思ってないぜ。ウチの馬鹿息子より随分成績も優秀だったのも知ってるし、なんたってあの伝説の生徒会長様だもんな。やるときゃやる男だってのも知ってる」


 そこで一度ふぅ、と息を吐くとすうっと黒縁眼鏡の奥の目が細くなる。


「でも今回は俺も話を聞いちまったからな。……興味本位で人様の事情に足突っ込むなら止めときな。その人形持ってどうしたいんだい」


 睨み付ける様に沼田さんがかなめを見つめ、奥さんは苦笑いを浮かべながら自分の旦那を見ていた。


「俺はこの人形を持ち主に返します」


 かなめはそう言うと鞄にぶら下げてある薄汚れた兎の人形を外すと手に取った。


「約束したんですよ。これを持ち主に返すって」


 視線を一度人形に落としてからかなめは沼田さんを正面から見据える。

 そうして五秒ほどしただろうか。沼田さんはゆっくりと息を吐くと目を閉じ、黒縁眼鏡を外すと眉間を指で揉み始めた。


「保樹は俺の同級生でよ。ちょっとした事情も知ってる。俺が持ってくんじゃダメかい」

「それが一番早いのかもしれませんね。でも、俺が渡さないとダメな気がするんです」

「どうしてもかい」

「多分、としか言えない所は辛いんですが、どうしてもです」


 沼田さんはしばらく眉間を揉んでいた指を離すと黒縁眼鏡を掛け直した。目を開けると苦笑が顔に浮かぶ。


「良くわかんねぇけど、しちめんどくせぇ事やってんだなかなめちゃん。町の人間が噂するのも良く分かった」

「すみません。その様子なら色々と迷惑をかけていることもありそうですね」


 かなめはそう言うと苦笑いを浮かべることしか出来なかった。


「こう見えてもそれなりに商売をやっているし、町内会での役員も商売と同じくらいにはやってるからな。人を見る目はあるほうだと思ってるよ。……ま、おっかあがこんなに怖いのを抜けなかったのは若かったからだなっていってぇ!!叩くなよ!……今回はかなめちゃんに任せるけど、もし間違いがあったら手加減抜きでケツぶっ叩くから憶えとけよ」

「良く憶えときます。沼田さんに叩かれたらケツが片方飛んできますから」


 かなめがそう言うと沼田さんは「小学生の頃は俺にケツ叩かれて泣いてたっけなぁ」と言いながら大声で笑い始めた。ひとしきり笑い終えると今度は涼のほうを向くとまじめな顔をして口を開く。


「それにしても涼ちゃんはこんな変わりもんのかなめちゃんのどこが良いってんだ?ウチの馬鹿息子の嫁にならねぇかっていってぇ!!おっかぁまた叩くなっての!!」

「ごめんねぇ涼ちゃん、ウチの旦那馬鹿だから何でも考えたこと口にするのよ。かなめちゃんはいい子だからよろしくねぇ」

「分かってますよおばさん。まったく、こんな変な奴と付き合えそうな奴は優しい私くらいしかいないんですから、もう少しありがたく思って欲しいんですよねぇ」

「そうよぉかなめちゃん。涼ちゃん逃がしたら後で泣くことになるわよー。もっともっと大事にしてあげないとー」

「えっ?俺が悪いんですか!?」

「ダメだかなめちゃん、女には勝てねぇ」


 沼田さんはそう言うと眉毛をへの字にしているかなめの肩をぽんぽんと叩くと大きな溜息をつく。


「ま、取り合えずだ。後で連絡とっておいてやるからよ、また店に顔出しな」

「いや、何から何まで有難う御座います」


 気が付けばなにやら再度男性批判に花が咲き始めた女性二人から男性二人はこそこそ距離をとると、沼田さんはかなめにそう言った。かなめはしっかりと頷いた後、人形を鞄に付け直す。


「……こんなこと頼める義理じゃねぇのは分かってるんだけどよ。保樹の奴今一寸困ってるんだ。もし力になれそうなことがあったら宜しくやってくれないか」

「俺に出来ることなら」

「俺も焼きが回ったよ。年下のかなめちゃんにお願い事するんだからさ」

「お使いするのこれでも結構慣れてるんですよ。他人だから意外といい方法が見つかるかもしれませんしね」

「ただ気をつけてくれよ。土足で人の家上がりこむようなことはしないでくれよ」

「はい。気をつけます」

「あーあ。不思議だよなぁ。何となく任せても大丈夫な気がしてくるのは」

「先代のお陰でしょうかね?まだまだ足元にも及びませんが」

「そうかもなぁ。まぁ、出来ることがありそうならで良いからよろしく頼むわ」


 二人は互いに手を出すと硬く握手を交わす。


「涼、そろそろ行こうか」

「分かったー」


 かなめが声を掛けると涼が返事をする。


「じゃあお世話になりました。また顔出しますのでよろしくお願いします」

「おう、わかったぜ」

「おばさんまたね」

「涼ちゃんまた来てねぇ」


 かなめと涼は沼田夫婦に頭を深く下げると再びアーケード街の道を歩き始めた。

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