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 食事の後かなめと涼はぶらぶらと駅前を歩き回っていた。

 例の人形は涼が食堂の中でどこからかソーイングセットを取り出し、手早く紐を縫い付けるとかなめの鞄にぶら下げた。その紐は外そうと思えば簡単に外すことができるとのことだった。意外な技術を見せられた大将が思わず「涼ちゃん良いお嫁さんになれるよ!」と口にした途端、女性二人から「考えが古いセクハラ親父」と罵られていた。昭和の男には逆風が吹く時代だとかなめは小さく溜息を気付かれないように吐いていた。


「今日は何時まで歩きまわるのさ?」

「んー?気が済むまでかなぁ。涼は時間あるの?」

「休みだから晩御飯奢ってくれるなら付き合ってあげる」

「さいですか……」


 軽口を叩きながら涼はニコニコと笑っている。中身を知らなければ一発で惚れてしまいそうなほどの笑顔だった。どうやら今日も機嫌が良いらしい。幸い中身を知っているかなめは少し顔を赤くするだけで済んでいたが。


 大久保かなめは変人だ。


 小さな田舎町で彼のことを知らないものはそう少なくない。潰れかけた銭湯で三助という良く分からない仕事に着き、背中を洗うだけで客から流し札をもらうとそれをお駄賃のような僅かなお金に変えるだけの能無し。同級生の年収の三分の一に届くか届かないかという体たらく。

 休日には何をしているのか街を歩き回り色々なところに顔を突っ込んでは無駄な厄介ごとに巻き込まれている。


 そう付き合いの浅い町の住人から白い目で見られていた。


 間違ってはいないだろうとかなめは思う。

 休みの日の行動は嘘ではないし、この時代に金を稼げない人間が金を物差しにする人間に何を言っても無駄だろう。だが三助は「背中を流すだけ」の仕事ではなく、ましてや誰にでも出来る仕事でもない。先代には色々なことを教わった。そしてその矜持は言葉に出すものではなく行動で示す。だから何も言わない。分かってくれる人が一人でもいればそれでいいとかなめは思ってはいるが、ありがたいことにふじの湯の常連は全員が理解者だった。


 福さんや柳さん達の事などは間違っても口には出来ない。変人の上に妄想癖まで持っていると言う事にでもなれば、何かの丁稚上げで檻の付いた部屋に入院という可能性も全くのゼロではないだろう。流石にそこまで嫌われているとは考えたくは無いとかなめも思っているのだが。


 ともかく自分でも変人と自覚のあるかなめはふじの湯の中で出来た以外の人付き合いを極力避けている。必要以上には他人に踏み込まず、踏み込ませない。勿論自分のやっている仕事やその役割について誇りを持っているのだが、自分に付き合う人間が同類だとみなされるのにはやるせない気持ちにさせられる。


「あ、晩御飯はラーメン食べたいなぁ」

「俺さっき食ってたでしょ」

「私食べてないもん」

「うっわ傲慢。ってか今食べたばかりなのにもう晩飯のこと考えてるの?マジで太るよ?」

「うっさい死ね」


 それでもこの残念な美人は周りの言葉など気にも留めずにかなめと一緒にいることをやめなかった。元々変人寄りだった気もしないことは無いのだが、口にすると怖いのでかなめは黙っている。沈黙は金だ。


「とりあえずは神社行ってお寺行って商店街。ま、いつもの散歩コースだ」

「あんたホント暇だよね。爺臭いわ。中身お爺ちゃんでしょ」

「お爺ちゃんじゃないです。心は少年のつもりです」

「最悪。あんたがエロ本ばっかり買ってるの知らないとでも思った?」

「エロ本とか大きな声で言うな!それに買ってないし!」

「だってこの前コンビニの佐藤さんから聞いているし」

「あれ買ってないから!無理矢理渡されただけだから!」

「バッチリ貰ってんじゃん。バーカ」

「誘導尋問じゃないかよ!佐藤さんのバカ!」


 ともあれ福さんのお使いは何かと歩き回る必要がある上に、かなめが苦手な人付き合いが必要になることが多かった。そこは今では涼の出番となることも多くなっていた。一笑千金、大抵の人間は美人の微笑みの前では口が軽くなるようだった。但し男性に限ると断りが付くのだが。その効果はたった今もコンビニオーナー佐藤さんの口を割らせていたことでも明らかだ。


「んじゃあ今日も始めますか。エロ本親父のお散歩」

「違うんだって!あれは佐藤さんが勝手に渡してくるんだって!」

「じゃー後であんたの家入らせてね」

「いやいやいやいや。私には拒否権と黙秘権があります」

「行使するには餃子とワンタンスープの追加を要求します」


 がっくりとうなだれるかなめの横を笑いながら涼が通り過ぎる。


「福さん。幸せ少しだけ分けてください。あとお小遣いも少し」


 かなめが呟くとそれに答えるように兎の人形がかたりと揺れた。

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