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 かなめと福さんは風呂から上がるとタオルを裸の肩に掛け美味そうにフルーツ牛乳を飲んでいた。勿論ポーズは腰に手を当てるあれだ。


「いやー仕事終わりに風呂に入ってフルーツ牛乳。生きてるって感じがするねぇ」


 福さんはたーん!と飲み終わった空き瓶を洗面所に叩きつけるようにして置くと、どっかりと籐で出来た椅子に腰掛けた。若干、いや既にメタボリックなお腹がぷるんと揺れる。

 かなめは静かに空き瓶を洗面所に置くと福さんの隣の椅子に座る。火照った身体にフルーツ牛乳を流し込み、カリカリと音を立てながらも働き続ける古い扇風機が送る風はまさに天国を感じさせる。


「でさ、今回のお願いなんだけども」


 暫く二人は無言でその天国を味わっていたが、全く脈絡も無いタイミングで福さんはかなめに向き直るとそう言った。何が「でさ」なのかは不明だ。

 だが、もうかなめはその手の会話に焦ることは無かった。

 もともと田舎の銭湯に来る人間は大部分は若者ではなく、酸いも甘いも経験して、それを見事に発酵させた味のある中年以上老人未満であることが多い。ご老人になってしまうと銭湯までの行き来や全くバリアフリーではないこの空間は少々足腰に辛いらしく、最近あちらこちらに出来上がったデイサービスなるものに通うことが多いらしい。ちなみに田舎の老人は八十歳を越してから、というのが皆の認識だ。それまでは目上の人に使われることが多い「お兄さん、お姉さん」だ。そう呼ばねば不敬罪となり恐ろしい目に合うことをかなめは身を持って知っていた。

 ただ、健康上の都合でデイサービスの風呂は湯温は40度あたりに設定されているらしくたまに来る「お兄さんお姉さん」などは「あんなぬるま湯なんかに入ってられない」と風呂に入りながら文句を言っている。


 大分話が逸れてしまったが、とどのつまりかなめは突然脈絡の無い話をされることが少なくない。一般的には「高齢者」と呼ばれるお客様に囲まれて日々仕事をしているのだ。ビールを飲んで風呂に入り「流し」の途中で眠っていたはずのお客さんに突然話しかけられても滞りなく会話を進められる程度には慣れている。勿論かなめの友人の中にも「話変わるんだけど」等といいながら完全に脈絡の無い話を始める人間は数多くいる。主に女子陣だが。


「さっきの人形ですよね?」

「そうそう。朝起きたら家の前に置いてあったんだよ。怖いから返してきて欲しいんだ」


 そう言うと福さんはまた何処からか薄汚れた小さな兎の人形をかなめの前に突き出した。


「噛まないから持ってごらんよ」


 曲線だけで構成されたような笑顔の福さんからかなめは人形を受け取る。ぐるりと周りを確かめてみるがなんてことはないただの人形だった。ただ、手作りなのか綿が何ちゃらポリエステルが何ちゃらだとかの表記がされたタグは見当たらない。


「随分大事にしてきたみたいなんだ。きっとこれを置いていった人は抜き差しなら無い事情でもあったんじゃぁないだろうかねぇ。きっと置いてきたこと後悔してるから渡してきて欲しい」

「分かりました」


 誰にどうやって返せば良いのか。そんなことを聞かずにかなめは大切なものの様にしっかりと両手で握ると福さんに向って頭を下げる。


「いやいや、お願いしてるのは私のほうだから頭なんか下げなくて良いんだよ。いつもお使いばかり頼んで申し訳ないねぇ」

「いえ、福さんのお陰でこうしてみんな幸せに生きてますから。このくらいのことなんてこと無いです」

「かなめちゃんは昔からいい子だったからねぇ。後はお嫁さんくらいかな?ああいや、こりゃ失礼。じゃあよろしく頼んだよー」


 がっはっは、と笑いながら福さんは肩にタオルを掛けたまま、つまりはほぼ全裸で番台がある脱衣室出口へと向かって歩いていくと煙のように消えた。


 福さん。もう少し正しく言うと福の神さん。


 ここふじの湯は神様や妖怪、果ては天使や悪魔も魂を洗いに来る田舎町の小さな銭湯だ。

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