第2話 雨の庭
見せたいもの———?
紫はなんだろうと思いながら店内に入る。
すると、更に店の奥の雨森家の屋敷の方へと通された。
明るい木目調の壁の渡り廊下が続く。その渡り廊下の大きな掃き出し窓から庭に出るように若店長が紫を促す。
紫は窓から見えたものに思わず驚きの声を上げていた。
「花の壁だわ——」
五十坪にも満たない小さな庭を埋め尽くす花、花、花。レンガ造りの建物を覆って空にまで延びていく満開の白い小さな花々。
「あっ、ゴメン。履くものがなかったね。ちょっと待ってて……」
若店長が慌てて下に降りるための履き物を探しに家の方へと戻って行く。けれど紫は裸足のまま庭に降りてしまう。
(綺麗——)
紫の目は庭を埋め尽くす真っ白なバラにくぎ付けになっていた。
(さっきのバラだわ。こんなにたくさん……花の壁のように……なんて綺麗———」
つた生の『きぼう』のバラは紫の背丈を遥かにこえてカーテンのように揺らめく。かすかに甘い香りがする中を包まれるように歩いていく。
「ゴメン……待たせて……」
若店長がとりあえずスリッパを手に紫の姿を探すと、そこに裸足の妖精を見つけた。
若店長はア然と彼女を見つめる。
庭を一周してくる少女から目が離せない。
(驚いた———、本当に真っ白な『きぼう』の妖精みたいだ。もろ、タイプなんだけど。いや、待て……何を考えている。相手は高校生だぞ。犯罪ものだぞ……僕は……)
そんなことを考えていると、ポツリ、ポツリと雨の雫が落ちてきた。見ている間に激しく降りだす。
「うわっ! 雨だよ、お嬢さん!」
そう声をかけても少女は雨にも気づかず『きぼう』に魅せられたままたたずんでいた。
「おいおい?」
慌てて若店長は少女に駆け寄り声をかけるがちっとも反応してこない。
(完全に陶酔してるな……)
驚いたが迷っている場合ではない。雨はますます強くなってくる。
「失礼」
そう言うと若店長は少女の膝に腕をかけると軽々と抱き上げ急いで家の方へ走る。
「ふぅ———」
軒先きに避難した若店長は紫を抱いたままため息を吐く。
紫はそこで初めて我に返った。
「あっ……?あの……私、どうしたんだろう?……すいません、ご迷惑をお掛けしてしまって………」
紫はまさかの体勢に体を縮めて固まっていた。
そんな紫に若店長はにっこり笑いかける。
「どう? 『きぼう』の花をずいぶん気にいってくれたみたいだね?」
「あの……」
腕の中で恥ずかしそうに見上げてくる紫を抱いたまま若店長は悪戯っぽく軽く回ってみる。
「わぁぁ……あのっ……」
「はははは、大丈夫、変なことはしないよ。なんか……嬉しくってね」
それだけ言うと若店長は紫を廊下に降ろす。
「悪いけどそこのドア開けるとバスタオルがあるから取ってきて」
「えっ、あ……はいっ」
紫は急いで言われたようにすぐ近くのドアを開け…そこは脱衣所でバスタオルを一枚取ってくる。
「すいません、私がぼぉ——っとしていたせいで……」
廊下に上がったずぶ濡れの若店長にバスタオルを渡す。
「違う、違う。濡れてるのは君だよ、ドボドボだよ。ほら……」
若店長は紫の髪をそっと拭いていく。
「わ……私よりも先にあなたが……」
「君だよ……って、まだ君の名前も聞いてなかったね」
「あ、あの……」
紫は若店長にされるままじっとしている。
「紫と言います。私……明日もこのバラを見に来てもいいですか?」
「いいよ。紫ちゃんか……可愛い名前だね」
「私は……まだ、あなたの名前を知りません。……ここでバイトを始めたらあなたのことをいっぱいわかるかと思います」
拭いている若店長の手がピタリと止まる。どきりとするようなことを言ってきて多少慌てた。
「ゴメン……制服の方は自分で……」
「はい、ありがとうございます」
肩にかけたバスタオルをつかみながら紫がほんわかと笑う。制服を拭く紫を若店長は(不思議な子だなぁ)そう思って見ていた。
(さっきのことといい、今といい……まるで『きぼう』に魅入られているみたいで……)
『きぼう』の庭に他人を入れたことはなかった。
けれどこの子——紫には自分の育てたバラを見てもらいたい——そう思ったのだ。
目の前にいる少女に特別な感情が芽生えていた。若店長はジワジワ高鳴ってくる少女への想いを押し留めるのに苦労する。
簡単に言ってしまえば一目惚れをした。
紫は制服を拭き終わるとなんのためらいもなく、まだ雫のたれている若店長の髪を拭こうと手を伸ばす。
「あっ……、と、とどきません」
身長差
若店長の身長は188センチ
「ふふ……かがんじゃおうかな?」
若店長は冗談を言いながらも紫からバスタオルを受けとると自分で髪を拭く。
「もしよかったら……明日からでもバイトに来て欲しいな。時間は……」
「わぁ、ありがとうございます。採用ですね。素敵な花屋さんで働いてみたかったんです。
学校が終わったらすぐ来ます。四時には来れますから」
「うん、それでいいから。
それじゃあ……よろしく、紫ちゃん」
「はい、よろしくお願いします」
紫は勢いよく頭を下げた。
こうして『画家の花屋』は葉月 紫を迎え、若店長は少しばかり楽しい毎日を送り始めた。
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