第3話 若店長
温かい日差しが『画家の花屋』の店さきを照らす日曜日の午後。
東側にある窓からは柔らかい光が入りこむ。バラやスイートピー、ガーベラやビオラのさまざまな花で満たされた店内が、色の魔法をかけられたように輝きを増す。
店番の仕事を任せられている葉月 紫はヒマをもて余し、丸椅子に座りながら大アクビをしていた。
そこへ、この花屋の若店長、雨森 芳樹が店の奥から声を掛けてきた。
「紫ちゃーん」
若店長はおいでおいでと手まねきをしている。
『画家の花屋』の店の奥は花屋を営む雨森家の屋敷になっている。
そう広くはない家の中に事務所を兼ねた小部屋もある。
「なんですか、店長」
「ついておいで」
長身で細身の若店長はその長い足で屋敷へと続く渡り廊下を歩いていく。遅れまいと紫も小走りについていく。
この渡り廊下を渡りきったすぐの小部屋が事務所だが、若店長は途中の大きな掃き出し窓を開けると、そこから庭先へと降りて行った。
紫も足元の庭石に置かれた自分専用の和柄のサンダルを履く。
紫はそのサンダルをはくと嬉々として庭の小さな花達に駆け寄る。
かすかに甘い香りがしていた。『きぼう』の白い小さな花が満開の季節。
紫がバイトを始めてもうすぐ一年。 二人にとっては二度目の春を迎えていた。
「紫ちゃんと初めて会った時も『きぼう』が満開の時だったね」
「はい。私、以外に長続きだったでしょう?
最初はハサミも上手く使えなかったのに……」
「だねー」
若店長はにやりと笑う。
紫が全くの温室育ちで教育に手こずったのは、大変というより……手取り足取りで楽しすぎたのだけれど……。
ただ、一年も一緒にいるのに紫とは店長とバイトという平行線のままの距離が縮まらないままだった。
だから、今日は少しでも想いを伝えたかった。
若店長は片手で包んでしまえそうな小さな白い花冠をなでながら言う。
「『きぼう』のことを少し話していいかな……聞いておいて欲しいんだ」
紫は若店長の隣りでコクリと頷く。
「この花一重の花弁で華やかさはないけど可憐な感じがするだろう。
これでもバラの一種なんだよ」
「 バラ……なんですか……でも、すごく可愛いです」
「うん、可愛いだろ。
これね、『画家の花屋』が代々引き継いで育てているバラなんだ
『きぼう』はね、ウチの亡くなった州じいちゃんが若い頃、友人のバラ育種家から貰ったのを大事に育てだしたのが始まり。
このバラだけは途絶えさせるなよって死んだ親父からも厳命が下ってる大切な花なんだ。
枯れないよう気をつけてるし、もし枯れても大丈夫なように枝分けしてコンテナに何鉢か作ってある」
(そういえば店先にこの花に似た鉢花が十個ほどあったような)
紫はふと思い出す。
「それほど大切にされてる花を自分の代で枯らしちゃったら面目が立たないですもんね。気合い入っちゃいますよね」
「ああ、責任重大だろー」
「本当ですね」
「州じいちゃんが花屋を始めるきっかけになった花なんだ。だから、ウチでは家宝なわけ」
「友人の方から貰ったものだから、ですか」
「そう、それもあるけど、実はね……」
若店長は紫を見てにやっと笑う。
「これ、僕が高校の頃、じいちゃんから直接聞いた話だから間違いないよ。
実はね———友人は恋敵で、彼の奥さんになった女性に、ずっと魅かれてたんだって。
好きだった女性は友人のもので、どんなに欲しくても手は出せない。
だから、せめて彼女と友人が品種改良して作ったこのバラを大切にしたかった、そう言ってた。
彼女が好きだったバラ。
彼女が『きぼう』と名付けたバラ。
じいちゃんはそうやって何年も育ててるうちに、いつの間にか花屋を始めてたんだって。
呆れるだろう。失恋して、道楽をいつの間にか商売にしてさ。
後々の僕がどれだけ苦労して管理してるのか、あの世に向かって叫んでやりたいよ」
紫は顔をほころばしながら言う。
「何て叫ぶんですか」
若店長は少し考えて、
「今年も満開ですよ、かな」
若店長と紫は揃って晴れ渡る空を見上げた。
若店長は掛けていたエプロンからフローリストナイフを取り出した。
そして、まだ咲ききらない花冠をえらんで枝を切る。器用にナイフを使い枝の下の葉と、小さなトゲを切り落としていく。
見事としかいいようがない手さばき。
「想いを花束に代えて相手に贈る。花束は言葉以上に愛を語るから。
花はなかなかステキな、便利なアイテムだと僕は思うんだよね。
花を贈られて嫌な人なんて花粉症の人を除けばめったにいないからね。
だから僕は思うんだよ。 あの頃の州じいちゃんの想いは、たぶん、彼女に届いてた、ってね」
見ている間に若店長はバラをラフィア紐で結わえて一抱えもある花束にしてしまった。
「店長ってすごい。まるでパフォーマンスを観てるみたい。花をくるくるってひねったら、あっという間に花束ができるんだもん」
「慣れだよ、慣れ。紫ちゃんも練習すれば出来るようになるさ」
「……だといいんですけど……」
出来ればそうなりたいと紫は思っていた。バイトを始めた理由もそこにある。
「教えるよ、少しずつね」
「はい」
「ところで、バラの花言葉はおぼえたかい」
「もちろんです。若店長から貰った宿題ですから」
花屋で働くなら花の種類と花言葉くらい知っている事と言われ必死になって覚えたのだった。
「バラの花言葉は、愛、情熱、可憐などなど、です。他にもチューリップは美しい瞳、スズランは繊細、睡蓮は清純な心」
「ふむふむ、良く覚えたね」
若店長は満足そうにうなずく。
「この小さな白いバラにつけるなら、愛らしいという花言葉がぴったりくるかと思うんだ。
その花言葉と一緒に紫ちゃんに贈るよ」
若店長が花束をそっとさしだす。
「私に、ですか?」
紫は腕一杯の白いバラの花束を受け取った。愛らしいという花言葉とともに。紫の頬が紅潮し緩んでしまう。
「紫ちゃんにはこの庭ごとあげたいくらいなんだけどね」
「またまたぁ……」
二人は顔を見合わせて笑いあった。
『きぼう』という名のバラに祖父が想いを込めたのは、決して言ってはならない言葉。
(愛している)
けれど伝わった。
同じように若店長も想いを込めて贈ったことを紫はまだ気づけずにいた。
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