第47話 花束にかえて 新田

バラばかりの写真集を繰る手が、その指が必ず同じページの同じ所をなぞっているのに気付いたのはごく最近だった。


(写っている人をなぞってる?……)


パパのお気に入りの写真集。

色とりどりのバラが満載の本。

そこに、あの花屋さんが連れて来てくれた、パパを目覚めさせてくれた妖精さんが写っていた。

その人がちゃんとした人間で、どういう人だったのか、十年の歳月を重ねた新田カナエにも分かるようになっていた。


「パパ……」


後ろから呼び掛けられて慌てて新田裕介ははバラの写真集を閉じた。


カナエはこの春から会社勤めを始めた新社会人だ。会社の制服を着たまま新田の書斎に入って来た。


「おかえり。僕も今帰ってきたばかりで………、これから御飯の用意をするよ」


「大丈夫よ、パパ、私がするから」


そう言う娘が随分たくましく思える新田だった。

カナエの母のユイが乳ガンで亡くなってから早三か月。まさか妻までガンになるとは思わず、発見も遅くなり、あっという間に逝ってしまった。


(まだ悲しみもいえぬだろうに、この子はこの子なりに人生の新しいスタートを切っている)


新田はほんの少しだけカナエの将来に安堵すると共に、二人になった生活を楽しんでやって行こうと決めていた。

一度は肺ガンで死にかけた人生の残りを、目の前にいる娘に捧げて、まだまだ頑張るつもりだった。



写真集を片付けて 居間に行くと、新田の目に驚くものがテーブルに置いてあった。


「これ……、どうしたんだ?」


あまりに驚いて言葉が続かない。するとカナエが説明し始めた。


「今日、お花屋さんに寄って来たの。画家の花屋って言う変な名前の花屋さんに……。

パパの診察はその近くの病院でしょ。だから、あの人に会えるなら、もしかしたら、多分、近くのお花屋さんじゃないかと思って……。

そしたら、お花のいい香りに誘われてお店に入ったら……」


新田は驚愕したまま娘の姿を見つめていた。鼓動がやけに早くなり胸を打つのが自分でもわかってくる。


懐かしい、懐かしい名前の花屋。

若店長、紫ちゃん、百合さん。

毎日、毎日、バラを買いに行った日々……。

そして………冬哉。


懐かしい顔が浮かぶ反面、娘にずっと隠してきた事を気付かれたのではないかという怖れが身体中を揺さぶってくる。

自分はもう少しでカナエを不幸にしてしまう所だった。不貞への後悔と懺悔。


けれど———、


あのバラに込めた想いだけはどれだけの年月が経とうが消す事が出来なかった。


「カナエ………、それで、花屋さんには何をしに行ったんだい?」


新田の手は微かに震えていた。

カナエは冷蔵庫から玉ねぎを取り出しながら答える。


「あのバラの写真集に写る人は………パパの大切な人ですか?………って聞いてきたの」


それこそ——、一番の核心の質問だ。


新田は震える手でかろうじてテーブルに捕まって崩れそうな自分の体を支えた。


「店長さんも、紫さんも、写真集のその人はパパの大切な人だって言ったわ。

でも、それだけ。

それ以上は、もし聞きたかったらパパに聞いてって言われた」


新田は言葉が出ない。とても真実は話せそうにはなかった。


「パパ、安心して。私、何も聞かないから」


カナエは玉ねぎを持ったまま振り返った。


「私ね………、パパが元気になったのはやっぱりあの妖精さん達のおかげだと思ってるの。

紫さん、今も凄い綺麗で本当に妖精さんみたいだし……。

紫さんから落ちたあの白い花びらも、あの日来た妖精さんの事も、何があったかは絶対誰にも喋らない。

魔法が解けちゃったらイヤだから………、パパにはずっと、ずっと元気でいて欲しいから……」


「紫ちゃんが……妖精さんか……」


あの可愛い子が何か不思議な力をくれたあの白い花びらが思い出される。

新田はテーブルの上の小さな白い『きぼう』のバラの花束を見つめていた。


「理由は話してくれなかったけど、お花屋さんがその花束をパパにって。

これを見たらパパには全て分かるから渡して欲しいって頼まれたの」


「………」


「パパ……、

パパが大切にしている人なら会いに行っていいんだよ。私ももう子供じゃない。

全然、大丈夫だから」


「カナエ………」


「会いに行ってあげて………、その人パパが来るのを待っているから。

ずっと、ずっと待ってるから……」


新田はテーブルの上の花束をそっと抱え上げた。

『きぼう』と言う名の小さな白いバラ。

辛い恋をしたのではない。

一生に一度の素晴らしい恋をした。

そしてまだ続いている。

ずっと、ずっと会いたくて、会いたくて仕方ない人を今も愛している。


求めて止まない如月冬哉の姿が浮かんでくる。


新田は黙ってまた書斎に入ると如月の写真集を繰り始めた。

この中に、如月の想いが溶け込んでいた。


(百万本にして想いを返すから……)


写真だけでもそのバラの多さは花の波のように空にまで伸びて咲き、今にも空から花が落ちてきて花に埋もれそうに咲き誇っている。

花のウエーブの中を歩く如月の姿。

はにかんだように笑う如月。

どれも、どれもバラ以上に美しいままの如月。


写真集を繰る手が最後のページで止まる。


「画家の花屋が全ての始まりだったね。

もう……、行かないと決めていた。もう……二度と……」


(会いに来て……)



最後のページには新田と如月を繋いだラッピングされたただ一本のバラの花束が写っていた。




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