第41話 クリスマス・ブーケ
クリスマス・ブーケを買い求める客で溢れている店内の盛況は徐々にピークを迎えつつあった。
これから夕方を迎えるまでがクリスマスでは最も忙しい時間帯。
予約が入っていた客には事前に用意したブーケがあるので後は会計だけで済む。母の百合にそちらは任せっきりにして良いが、男女問わず飛び込みでやって来る客の対応には、若店長一人ではとても厳しかった。
客の注文通りの花を聞いてショーケースから集めてくる所から始めなくてはならない客もいる。
また、客に気に入って貰えるようにアレンジもしなくてはならない。
お客様とはマンツーマン対応なので自然と時間が取られる。
次の客は待たされる。
かと言ってぞんざいな手抜き仕事は直ぐにばれてしまうので手は抜けない。
客がただ持ってきた花をクルクルと紙に包むだけなら、通常の生け花にでも使う用とかになってしまう。が、今日はクリスマス。
花々は当然誰かの為に想いを込めて贈られるのだから、最高に美しく、華やかに、褒めてもらえるように送り出してやらねばならない。
若店長は変な所にポリシーを持っていて、決して手を抜かない。そこが若店長の腕の見せ所でもあった。
しかし、花を束ねても花を包むラッピングとなると百合も慣れた手付きでしてくれるが、やはりこの忙しさではレジ対応でバタバタしてしまっている。百合にも手に余り始めていた。
その時——、
「店長、遅くなってすいません。ラッピングは私がします」
「紫……ちゃん!」
紫がいつものジャージに着替えエプロンもして、当たり前の様にラッピング用のフィルムを取り出し始めていた。
若店長と百合は驚いて手が止まる。
「なんで……」
紫がふんわりと笑顔を見せて隣に立つ若店長を見上げる。まだその顔色はどう見ても悪そうだった。
「紫ちゃん、大丈夫じゃないだろ? どうして?」
「いえ、大丈夫だから……」
紫には珍しく怒ったような口調。
チラリと店先を見ると紫の両親が心配そうに、怒ったように、そして諦めたようにこちらを見つめていた。
「いいのかい? 問題ありありだぞ」
声のトーンを落として若店長は紫を見つめながら言う。すぐ側にお客様がいるのでそこは考えながら言葉を選ぶ。
「………ごめん、本当に。………守れなかった………………」
「その話しは後で……、お客様がお待ちです。絶対に無理しないようにしますから、………いていいですよね」
紫の手では赤色のベルベットのリボンが程よい長さで切られ、くるっ、くるっと手元でループを作っていく。器用なものだ、若店長はニヤっと笑う。
「猫の手より紫ちゃんの手だよ。ありがとう」
そう言って紫の肩を優しく叩く。若店長は店先に並んで立っている両親に向かって深々と頭を下げた。すぐに店内に溢れる客の頭で両親の姿は見えなくなってしまった。
隣に紫がいる。
それだけで嫌な事全てが消し飛んでいく。
忙しさにさっきまで殺伐としていた心の中に灯りがともったかのように胸が熱くなってきていた。
隣で紫が「ありがとうございましたー」そう言って客を送り出す声。
当たり前にあったものが今更ながらに愛おしい。
若店長は幾度も紫の横顔を見つめては安心したように微笑むのだった。
ラナンキュラスの花束を若店長が束ねると紫にバトンタッチする。紫が大きな赤色のフィルム紙に花束を包んでいく。
ラナンキュラスの色が何色も入っていてとても可愛い花束だ。紫が包み始めると百合が会計を済ませていく、三人でやるとなかなか良いコンビネーションが出来上がる。
「あなた……、バイトなんかして大丈夫なの?」
不意に紫の目の前のお客様がコソッと話しかけてきた。見ると病院のあのバケツの看護士の女性だった。
「どーせ、あの若店長に無理矢理やらされてるのね。あの人がめついから……」
そう言ってくる。
「まさか………」
紫は笑っている。
隣に立つ若店長は素知らぬふりで小さなバラの花束を作り終えようとラフィア紐を茎に巻き付けていた。
「私がしたいからしているんです。クリスマス・ブーケを買いに来られるお客様が多いから今日は大変なんです」
「そうなの………」
喋っている紫に代わり若店長がいとも簡単に、それでいて豪華に見えるギャザーの一杯入ったラッピングをバラの花束にしていた。
「うわーっ、早いっ!」
紫が驚いた声を上げていた。若店長の技と速さに圧倒されてしまう紫。自分の倍の速さでその細い指が動いていく。平面だった紙がドレスのようにふんわりとバラを包み込んでいた。
「こんな感じでよろしいですか?」
お客様が感嘆の声を上げて頷いていた。
若店長は長い指をさっと伸ばしてお客様をレジの方へ案内する。
若店長は紫の後ろを通りながら、
「無理するなよ、紫ちゃん」
そっと肩を叩いていく。
「はい」
紫と若店長は目で笑いあっていた。
「ふーん、なるほどねー。あっつい、あつい」
そう嫌味を一つ言って彼女は紫から黄色のラッピングをして貰ったバラの花束を持って店を後にした。
「彼氏さんにでもあげるのかな」
紫はクスッと笑う。
クリスマス・ブーケは誰に送ってもいいのだ。あなたに幸せが訪れますように………。そんな想いを込めるのがお決まりなのだから。
希望を込めるのだ。
あなたの為に………。
客足が途絶えだしたのは夕暮れを迎え暗くなった空から、ちらり、ちらりと雪が舞い始めた頃だった。
「うわー………、ホワイト・クリスマス………」
紫が店先のドアを閉めて閉店の札を吊るしてようやく慌ただしかったクリスマスの営業が終了した。
予定より二時間も早く終わったのは若店長が紫の事を思っての事だった。
紫が無理しているのは明らかだった。
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