第37話 クリスマス ・マジック
———間が悪かった———
最初、如月はこの思いつきの行動をこれからどうするかなんて事を全く考えていなかった。
(新田に会いたい)
その一心で動いていた。
折しも今日はクリスマス・イブ。街中が馬鹿みたいに浮かれ騒ぎ可笑しな雰囲気に包まれる奇妙な日。この国中の人間がクリスマス・マジックにかかり踊り踊らされている。プレゼントを買い、ケーキを買い、パーティーを開き、ホテルに篭り、バカ騒ぎが辺り一面に万延する。
若いカップルが手を繋ぎ駅の構内を見せつけるように幸せそうな笑顔のまま通り過ぎて行く。
彼らを見つめ、羨む気持ちは、如月の中で妬みになり狂暴化していく。
会ってはならない人は、如月の中で自分の行動を無意識のうちに正当化して、待っててくれる人に擦り変わっていく。
電車からいつもの駅に降り立った如月は自分が何をしようとしているのか自分なりにわかっていた。
今日がクリスマス・イブで多分新田の側には妻も子供もいるだろうということも十分予想している。
病院にはアガサの部下が見張っている。そいつの目さえかいくぐれば、あとは野となれ山となれ、なんとでもなればいい、そんな風に思ってしまっていた。
——間が悪かった——
そうとしか言えない。
如月が降りた電車の反対側に着いた電車からも人々がバラバラと降りて来る。その中に如月の見慣れた顔があった。迷わず駆け寄る。
——魔がさす——
もしこの電車が着いていなかったら、もし、ここでこの何も悪くない何も知らない彼女が歩いていなかったら、如月は何もしないまま頭を冷やして帰っていたかもしれない。
ほんの一瞬の違いで歯車は奇妙な方へと回り始めた。
「紫ちゃん」
「如月さん?」
振り向いた紫は妙に粧し込んでいた。いつもはつけない桜色の口紅をして、しっかりお化粧をしている。服装もフリルのついたミニスカートに薄紫のタイツがしなやかな細い足を更に魅力的に見せていた。白い頰と、キラキラ光りを反射する瞳が愛らしい顔だち。如月でさえ驚くほど妖精のように美しい子。まるで……あの庭のバラの妖精のようだ。如月は最近そう気づいた。それと同時にあの若店長がこの子と恋愛していることも。あの淡い想いを抱いた若店長と……。
「今からバイトに行くの?」
「はい。今日はクリスマスだから花束を予約されていたお客様が多いのでその対応です」
「へぇー、花束を買うんだ、クリスマスに……」
そんなにおめでたい人達がいるんだなと如月は感心する。脳裏にはあの若店長が笑顔で客の対応をしている姿が浮かぶ。どこか新田に似ている人。虚しいだけの淡い想い。
ただ、男だというだけで振り向いてももらえない。
彼の求めたのは当たり前の花畑での恋。この目の前でふんわりと笑顔を見せる白いバラの妖精のような娘。
目の前にいる少女は憎悪の対象だった。
「ねぇ、紫ちゃん、バイト行く前に君に頼みたい事があるんだけど……」
如月の左手が紫の右腕をがっしりと掴んでくる。結構強引に掴まれた右腕の痛みが紫を一瞬で不安にさせる。
二人は並んで駅の構内を出ると「画家の花屋」に向かう駅前通りでは無く右手側にそれた通りへ向かった。紫にはその道がどこへ行く道か直ぐにわかった。
如月のフードを被ったままの顔を見上げると鋭い眼光が紫を見返してきた。
「歩いて、紫ちゃん。病院まで一緒に行こう。新田に会うにはあの見張りの目を逸らさなきゃいけない。紫ちゃんが一緒にいればあの若店長の知り合いだしきっと通して貰える。………だから一緒に来て……」
グイグイ紫の右腕を引っ張る力は拒否を許さないものがあった。紫の足は歩幅が合わず当然早歩きになっていた。
「如月さん、もっとゆっくり歩いて下さい。それに……、病院は……、今日は…、クリスマスですよ。絶対に…、はぁ、新田さんの……、奥様もカナエちゃんも側にいるに……決まってるじゃないですか。……行ったら……、どうやって言い訳するんですか? もし、奥様に気付かれたら……」
不倫していた事が妻にバレたら……、新田さんはそれを一番恐れていた。若店長はそれを隠し通すと彼と約束している。紫は若店長の味方なのだ。
「如月さん、私は行かない。店長には如月さんには注意しろって言われてます。こんな事店長が許さないです」
こんな風に若店長を信じきる無邪気な女が気に入らなかった。当たり前のようにあの腕に抱かれ幸せになっていく子が嫉しかった。
「ふーん、注意しろ……か……言葉だけじゃ救えないね」
如月の足がピタリと止まる。
——魔が悪かった——
たまたま通り沿いにある赤い祠の稲荷前はその隣の工場の壁と店舗の壁に挟まれてしかも木々が生い茂ってそこだけ別空間の雰囲気を醸し出していた。全く行き交う人通りも無く怪しまれる事はない。その祠の後ろに紫を連れ込むと如月はナイフを取り出し紫のお腹に押し当てながら唸るような声を出してきた。
「もう一回言う。一緒に来てくれるよね。そしたら何もしないから……」
紫は首を振っていた。
「ダメ。今日は辞めておいた方がいい。クリスマスだって言ってるでしょう?
あなたは新田さんに堂々と会いに行ける立場じゃないのよ。新田さんとはもう別れたでしょう。それなのにまた蒸し返すように会いに行くなんておかしいでしょう」
おかしいのだ。新田と如月の関係は……。紫の脳裏にバラの花束が一本浮かぶ。あのバラでこの二人は今も繋がっているのだ。
どうしても離れられない。
「さっきアガサが電話で話しているのを聞いたんだ。
新田が、危ないって……」
「新田さんの容態は安定してます。店長が昨日言ってました。一時的な合併症が出て昏睡状態だったけど快方に向かってるって……」
「嘘だ。俺は何も聞いてない。アガサもそんな事言ってたけど本当の所は隠してる。電話で話しているのを聞いた。新田が危ないってことを言ってた」
「だから、もう峠は越えたからって、大丈夫だからって、ねっ、店長言ってたから……」
如月は首を振っていた。
「会いたいんだ。もし……、もしも新田が死んじゃったら、もう本当にお別れになってしまう。もう絶対に会えない。そう思うと怖くて……、だから、どうしても、もう一度会いたいんだ。
お願いだよ。紫ちゃんがいたらすんなり病室に入れるから……」
如月の目には涙が溢れている。懇願する彼の想いは話すたびに握り締めている紫の右腕に伝わって力の限り締め付けてくる。痛い、ものすごく痛い。
如月の新田を想う気持ちは分かるけれど紫はどうしても首を縦に降る事はできない。
「新田さんは元気になってくれます。だから、今、新田さんに会いに行って面倒な事になったら、新田さんの心労が増えて治るものも治りませんよ」
「はっ!、めんどー……かっ!」
如月が紫の言葉にニヤッと口角を上げる。間近で見る如月は完璧な美の結晶のように美しく、儚げな美しさを持つ紫には強烈でさえある。如月の笑みはそんな紫を蔑むように意地の悪い嫌なものだった。
「店長もアガサも紫ちゃんも、みんな新田の味方なんだ。不貞を働いた新田の為にそんなに必死になって隠そうとして、あんたら最低の事をしてるんだよ。そんなに不倫がバレるのが怖いのかよっ!」
「店長や私が守るのは新田さんのこれから退院した後の生活です。元の平穏な生活に戻って欲しいから……」
如月はその言葉に苛立つ。何度も自分の中で理解したはずの現実を未だに受け入れられなくて苦しんでいるのに……、自分の気持ちなんか誰もわかってくれるはずが無い……。
「紫ちゃんは人質だよ。一緒に行こう、病院へ……」
如月は持っていたナイフを紫のスカートの中へ入れてくる。
「あの店長、本当俺の気に入らない事ばっかりしてくるんだよ。あいつが泣いて悔しがるような事してやろうか」
グイッと腿の内側にナイフが押し当てられるのを紫ははっきりと感じた。
「———あっ——……」
鋭い痛みを感じる。
(切られた!)
体中の神経が痛みに集中して行く。血が出て行く恐怖に紫は気が動転し始めていた。
「一緒に行こう、ね」
再度、紫の右腕を引っ張り如月は歩き出す。思いのほか紫の刺された右足はすんなりと動いた。厚めのタイツを履いているせいで自分がどれ位出血しているか、どんな深い傷を負ったのか判りずらかった。ただズキッ、ズキッと痛みが大きな音を立てて脳にまで響いてきていた。
如月に引き摺られるように歩き出す。
もう抵抗する気は無くなっていた。痛いのと、怖いのと……
(助けて、店長……)
紫の目からは涙が溢れてきていた。
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