第36話 クリスマス ケーキ—

十二月中旬に肺の一部を切除する手術を受けた新田裕介は順調な回復をみせた。かのようにみえたが思わぬ手術後の合併症を併発してしまっていた。

若店長もその事実を知っていたが看護士達から、命に関わる程ではないからと聞いて安心していた。

そんな訳で如月に新田の病状が大袈裟に伝わるとダメだと思いあえて報告はしないでいた。

アガサにも同じように如月には口止めするように言っておく。


これがいけなかった。


どこをどう曲がったか………




アガサが電話で話しているのが聞こえた。ただでさえ体格と一緒で声がでかいのに電波が届き難いのだろう、聴き取り辛さと相まって本人の声まででかくなる。

話している相手は病院に詰めている部下のようだった。


「分かってるけど……、若店長に口止めされてるから……、うん、容態が…………、うん、持ち堪えてくれるといいんだけど…、そう、危なそうだったら早めに連絡ちょうだいよ」


アガサが携帯を上着のポケットにしまうと同時に如月が背後から声を掛けた。

アガサの肩がビクッと反応する。


「病院からなのか? いつも見張ってる人が何て言ってきたんだ? 新田はどうだって?……」


アガサは如月の不意打ちに息を飲んだ。今日、如月がこのプレハブ小屋に来るとは思わなかった。

クリスマスの今日は、初めて二人での夜を過ごす約束をしていた。と言ってもケーキを食べるだけで後は追い出されるだけなのだが……。


「若店長が……、何を口止めしてるんだよ。危ないって、どういう事だよ」


狭い空間で二人は睨み合う。

アガサは知っていた。この子は新田の事となると性格が豹変するのだ。いつもは可愛い子犬のような目が光りを放って相手を射すくめる。

逆にアガサの目は宙を浮く。上手ないいわけを探しているが何も見つからない。


「新田……、危ないの?」


重ねて聞いてくる。


「ううん、全然元気だって…、いつもと変わらないって……」


如月には見え見えの嘘に思えた。アガサはとても大事な事を言おうとしない。

前回の事がありアガサが若店長から叱責を受け二度と新田に会う事に協力して貰えないのは分かっていた。

諦めたのか如月は大きいため息をつく。


「新田が本当に危なくなったら連絡してね。本当に最後くらい会いたいから……」


アガサもその言葉には胸が張り裂けそうになる。


「分かってるわ。絶対に教えたげる。若店長もその時くらい会いに行くのを許してくれるはずだから」


如月は頷く。

そして湿っぽい空気を払うように明るい声で言う。


「そうだ、アガサさん、そこのストーブの灯油切れかけだから入れといてよ。雪が降る前に……」


「えっ、ええ、そうする」


アガサがストーブの方へ屈み込んだ瞬間、如月が動いた。

腰を屈めたアガサの胸元に手を突っ込んできた。アガサの耳元で唇が触れそうなほど近寄っていく。


「今夜なら、キスくらいしてやってもいいよ。マジで。いつもバラ植えるの手伝って貰ってるから、そのお礼……」


そう言いながら指先がアガサの胸元から首筋を這い上がる。


「マジで!」


アガサは目だけ動かして如月を見ようとする。この体勢を少しでも解いたら如月が逃げて行きそうで動くのが躊躇われた。


「灯油入れたらもう少し小屋で待っててくれよ。俺はもう少しバラの植えつけ終わらしたいから」


そう言い終わると如月は何もなかったかのように振り返りもせずプレハブ小屋を出て行った。


「わかった! んじゃ、なんぼでも灯油入れとくわよ——」


あまりにも突然の誘いに浮かれて舞い上がりながらアガサは灯油缶を持って外へ飛び出して行く。如月の小さな背がバラ園の方へと歩いて行くのが見えた。


「よしっ」


と、アガサは小さくガッツポーズをする。今日はクリスマス。どんな奇跡でも起こるわよ——。そう思えた。



「ちょろいな」


如月はたった今アガサの上着から擦った携帯電話を持って挿し木の辺りをうろつく。

直ぐにアガサが灯油を入れ終わりプレハブ小屋に入って行くのが見えた。それを確認するとバラ園入口に停めてあるアガサのでかいワンボックスカーに乗り込みゆっくりと発車させた。


プレハブ小屋で自分の携帯が無いのに気付いたのと、外で車のドアが閉まるのを聞いたのはほぼ同時だった。


「冬…哉?」


いつもはこの小屋まで車を乗り入れたりしないのを不思議に思いながら外へ出ようとドアを開ける。が、十センチほど開いて止まってしまう。何かが邪魔をしていた。隙間から見るとアガサの愛車の白いボディが見えた。


「げげっ、キズいったわよ、今、ガッとやっちゃったぁ〜」


それよりも何故?

という思いと如月の顔が重なってくる。


「あの子……、新田さんに会いに行こうとしてこんな事……、止めても止めても聞かないんだからっ!

もう拒絶されてるのに、自分が傷つくだけでしょ——。

そこまでして会いたいのかよぉ! もう……ああ——ケータイ……あのガキャ———ぶっ殺す!」


ドアを開けようとすると自分の車が壊れる、でも出たい。出られない。

アガサは二者択一の責め苦に喘ぎながらしばし茫然と立ち尽くすしかなかった。

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