第24話 アガサ

「あら、すてきー、あんたんチいつからこんなにバラ置くようになったのよぉ」


少し日が早く陰り始める季節になった十月の夕刻。

大柄で少し太り気味な男性が「画家の花屋」にやって来た。

金髪に染めたやや長めのボブヘアの前髪はクルリと綺麗に右横に巻き上げられている。男性は茶色のスラックスに上は白のブラウスと黄色の長いカーディガンを羽織っていた。

芸名「アガサ」こと三沢晴夫は久しぶりに来た「画家の花屋」の店内をグルリと一周して回った。

後ろ姿は女性に見える。歩き方もモデルのように腰から動く感じで見惚れるくらいだ。だけれど前から見ると、しっかり男性だった。


(うわわわわわ、お姉系の人が来ちゃったぁ———)


この時店番をしていたのは紫だけだった。十八歳にして初めて見る本物のセクシャル・マイノリティ。

如月や新田とはまた別の感じがひしひしと伝わってくる。

ゲイとかバイセクシャルとか、トランスジェンダーとか、だいたい何でどうやって区別するのか、見た目では全くわからない。

しかし、目の前に現れたこの男性は明らかに男性を好きになるゲイらしいと紫の幼い脳でもわかる。


「あら、あなた初めて見る顔ね。バイト? 高校生?」


アガサはレジカウンターで紫に向かい合った。体格もでかいが声もでかい。ケンカするような、突っかかるような物言いに紫はすっかり怖気づいてしまう。

怖る怖る、「はい、そうです」と答えるが声が震え始める。目の前にいる人は女装してても男なんだと思うと、紫の中で警戒音が鳴り始める。


「前に来た時にはあんた居なかったけど、いつからやってるのよ」


「えっと、一年半位前からです」


「ふーん、そうなの」


喋り方は女性っぽいのに声質が太くて低い。少し丸顔の顔は完璧に土台が塗ってある。あるはずのヒゲの跡も目立たない。色白の肌にピンクのチークも案外似合っている。濃い赤だけれど嫌な印象を与えない形のいい口。洗練された姿は都会の高級クラブの方のように思えた。


「久しぶりに来てみたらあんたがいるから、若店長結婚しちゃったかと思ったわよ。あー、びっくり。

よく見たらあんたみたいな子供じゃ、若店長の夜のお供は務まらないわねー」


ははははははとアガサは高笑いする。


(感じ悪ー、子供じゃないもん)


紫は体の中が何故だかふるふると震えてくるのを感じる。


「でも、あんた顔が可愛いから若店長の好みだわよ」


「いえ、そんな……」


「ウソよ、ウソ。ぜんっぜん可愛くないわよ。自惚れてんじゃないわよ。

それで? 若店長はいないの?」


「いえ、奥で作業を……店長ー、お客様ですー」


紫はレジ裏の戸口に向かって声をかける。


「聞こえてるよ」


花の前処理をする作業部屋から若店長が出てくる。


「お久しぶりです、アガサさん。相変わらず口が悪いですね。ウチのバイトをいじめないで下さいよ」


若店長は紫の肘を軽く握って自分の後ろへ庇うように引き寄せた。紫が少し震えていたからだ。


(ま、無理もないか)


後ろにいる紫が背中の服を引っ張ってしがみついているのがわかる。余程アガサが怖かったらしい。自分も苦手だが。


「芳樹くーん、お久しぶりー」


大柄なアガサが若店長に抱き付いていく。

若店長のが上背があるが細い分アガサの勢いと容赦ない腕力で、若店長は軽くよろけた。

若店長はアガサをサッと引き離しながら営業トークにさっさと入る。プライベートでは全く付き合いたくない相手だった。


「どうされたんですか、今日は? 最後の来店は三年くらい前でしたが……」


「あらぁ、私が来なくて寂しかったぁ。嬉しい」


「ああ、まあ……アガサさんは大口のお客様でしたから」


紫は若店長の後ろで隠れるように聞いている。


「芳樹くんちっとも変わらないわね。お店とお金第一だもん。しばらく来ない間にお店潰れてたらどうしようと思ってたけど、上手くやってるみたいね。安心したわー」


「ええ、お陰様で、軌道に乗ってます」


「良かったわ、芳樹くんの笑ってる顔が見られて。

それじゃあ、どうしようかなあ……」


アガサはボリボリと顎をさする。


「クリスマスにあたしのお店に飾る花束とか、他所に回しちゃおっかなぁ——」


「せっかく此処まで来てそれは無いですよ、アガサさん。

ウチがやります。やらせて下さいよ」


「いやーん、良い響き。もう一回言って——」


アガサは腰をクネクネと揺らす。どうにも怖い。

紫は若店長の腕の隙間からその様子を伺う。

アガサは首都圏の繁華街にゲイバーの店を持っていた。その店で一晩に何百万と稼ぐやり手の経営者で恐れ入るばかりだが、若店長とどうして知り合いなのか不思議でならない。


「あたしのお店に来る花屋も何軒かいてさぁ、そっちも仕事くれって言うからさせてたけどお、もうん……」


アガサの腰がクネクネ揺れる。


「なかなか芳樹くんの所まで廻らなくてゴメンねぇ。

あたしもう芳樹くんに会いたいから今年のクリスマスはぜっったいっに、『画家の花屋』にするって決めてたのよぉ——」


「それは、ありがとうございます」


若店長はニヤリと口元をほころばす。


「芳樹くんが呼んだからよ、ねっ」


アガサの太く大きな手が若店長の肩にかかってトントンと叩く。


「良かったら一度でいいからお店の方に来てぇ」


「ええ、いつかまた」


若店長は言葉を濁す。


「もうん、いつかまたは聞きあきたー、いっつもつれないんだからぁ」


アガサはぐわばっと若店長に抱き付いてきた。


「きゃあっ」


後ろにいた紫は慌てて飛び退く。


「何やってんのよ、あんた。しっ、しっ、あたしの芳樹くんに慣れ慣れしくしないでよね」


(やだっ、本当にこの人苦手……)


「お願いだから。ウチの大事な紫ちゃんをからかわないで下さい。本当に怯えてるじゃないですか」


若店長はやんわりと注意するが、


「あらぁ、まだ男も知らない純真な子ー。だったら、オレが一番に食べてあげようか?美味しそう」


「アガサッ!」


男に戻ったアガサを若店長は低い声で怒鳴りつける。珍しく拳を握る仕草をしていた。


「いやーん、また昔みたいに殴りそうね。

はい、はい、用事は済んだからさっさと退散しますよーだ。

あら、もうすぐ六時ね。で、芳樹くん、あたしはどうすればいいの?」


「えっ?」


紫が見上げる若店長の口角がニヤリと上がる。


「とりあえずは、店の奥で彼を見てくれないかな。話しはその後だ」


紫はポカンと口を開けて若店長を見つめる。何かが始まる———紫は不安で一杯になって若店長の腕にしがみついていた。

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