第23話 今日からは

若店長の手が『ミカド』と言う名の黄オレンジに赤がかぶさったような色のバラを一輪取り上げる。


午後五時。


いつもなら新田裕介が来店してバラを一輪選んでいく時間だが、もう彼がここに来ることはないだろう。肺ガンを治療し退院してもきっともう来ない。

バラと如月冬哉を『画家の花屋』に丸投げして、自分の居るべき場所へと戻っていく。

新田の残された想いはバラに代わり毎日如月の手に渡る。


そして如月はそれを土に埋める。


埋めてしまえ。

叶わぬ恋だ。

激しい想いは自分の身さえ切り裂くから。


いつか——


百万本にしたバラの花束を見てもらえるように——


かすかな希望を込めて——


「バラ園…か……」


若店長はバラを見ながらぼそっと呟く。

思えば可哀想な奴ではある。

叶わぬ恋をして、相手は今日から肺ガンで入院。お互いの気持ちが離れたなら区切りもつくが、二人の想いはまだまだ繋がったままだ。

このまま永遠の別れにでもなれば……如月の嘆き様は想像がつく。

そんな日が来ない事を今は祈るしかない。

新田には元気になって、そして元の生活に戻ってもらいたい。男との不倫をする前の元の平穏な生活が続くように、如月の存在だけは隠し通す。

不本意ながらも『画家の花屋』は彼らの不貞の沼に片足を突っ込んでしばらくは抜けそうもなかった。


「バラ一本だけで毎日納得して、おとなしくしててくれればいいんだかな。

如月もこのバラの意味を理解してるはずなんだから」


「毎日のバラの意味は、さよなら……。

本当にその意味なんでしょうか?」


と紫。


「新田さんはそう言ったんだよ。手切れ金代りにバラの花を……、さよなら、だろうね」


「でも、受け取る如月さんの気持ちとしては……さよならなんか一回言われればそれで十分傷つくのに、毎日、毎日、まーいにち、さよなら言われたいなんて思ってないはずです。

私だってそんな事言われたく無いです」


若店長は紫の右手に今とって来たバラを手渡す。


「そう、あの二人はね、今も変わらず愛し合ってる。

バラの意味はただ一つ、愛してるだ。

つまり、このバラには相反する意味が詰まってる」


「そんなバラを毎日取りに来るんですか? いくらバラ園のためでも、すごく面倒だし、如月さんは楽しいのかしら?

……もしかして、もっと違う意味かもしれませんよ。

愛している以上、さよなら以下の意味を込めているんじゃないでしょうか?」


「何それ?」


若店長が目を丸くして問いかける。さよなら以下ってなんだ?


「ん——、何でしょう?」


「何だろうね」


若店長の口元が緩む。紫と話していると楽しかった。

新田と如月の複雑な気持ちは当人達でないとわからないが推測だけは出来る。

若店長と紫は連想ゲームのように言葉を並べていく。


新田さんがバラの花束に込めた想いは?


「単純に元気でいてね、かと思います」


と紫。


「単純だね——。バラは毎日なんだよ。そうだな……いつか結婚しよう、かな」


「わあ、素敵ですね。有りかもです」


「新田さんが元気になって、子供も大きくなったら、離婚とか、考えてるかもしれないね」


「愛って続かないんですかね? 奥さま、可哀想です」


「いろんな家庭があるからね。冷めてしまった愛情のままの家庭なんて一杯あるよ。

で、他には?」


「バラ園早く出来るように祈ってます、なんてどうですか?」


「まんまだね」


「新田さん、治りますよね。絶対に。

バラの花束だけ置いて死んじゃうなんて事、無いですよね?」


見上げてくる紫の不安そうな目に若店長は優しく微笑みかける。


「大丈夫だよ。そこの病院には優秀な医師も看護師もいてくれるし、最新の医療機器も揃っている。今の医療技術や薬なら、ガンも治せる。今はそんな時代だよ」


「はい」


若店長の言葉に紫も安心して頷く。


いずれにせよ、やがて来る本当の二人の別れの日がどんな形になるのか誰も予想出来ない。

紫も最悪の事態にだけはなって欲しくはなかった。



紫は透明なセロファン紙にバラを一本包んでいく。いつもと変わらない作業。


そして六時。


如月冬哉が『画家の花屋』に現われた。

今日の出で立ちもファッションには全く無頓着な人そのままにジーンズとグレーのパーカーだった。

ただその綺麗な容貌だけは人並み外れていて、歩いているだけで他の者を圧倒してくる。細い顎、やや紅めの唇、きりっと見開かれた一重の目は絵になる美しさだ。

その如月冬哉をどう捉えるかは人それぞれ。紫と百合のようにアイドル化させて崇拝する者もいれば、苦手と毛嫌いする者もいる。

新田からの五百万を渡された依頼を無下にすることはとても出来ない。

若店長は如月を毛嫌いする気持ちを抑えて『画家の花屋』としての顔を作って彼を迎えた。


「いらっしゃいませ」


如月はいつものようにやや伏せ目がちに一直線にレジカウンターに向かってくる。紫と若店長は揃って彼を迎えた。


「いらっしゃいませ」


「あの……」


言葉が続かないらしい。相変わらずの舌足らずで挙動がおかしい。若店長的にはイラッとくる如月の性格だ。

トトトトトトっと若店長がカウンターを叩く。若店長が焦れる時によくやる指先の動き。それを見て紫は内心クスッと笑う。

紫はもう心得たもので、ラッピングされた一輪のバラの花束をそっと如月に向けて差し出してあげる。


「どうぞ、新田様からです」


「ありがとう」


如月はそれを両手でしっかりと受けとる。今日は笑顔も見られない。いつものように愛想もなく、そのまま回れ右して帰ろうとする如月に急に若店長が話しかける。


「如月さん、わかってるだろうけど今日から新田さんじゃありませんよ、バラを選ぶのは……。

ウチの誰かが新田さんの代わりにやらせてもらいますから」


若店長のよく通る声はただでさえ内気な如月を怯えさせる。


「わかってます」


おずおずと如月が口を開く。


「新田は今日から入院なんだから、わかってます。

でも、バラはくれるって約束したので、俺、来ます。毎日来ます。必ず、だから……

画家の花屋さんには迷惑かけるけど、よろしくお願いします」


如月は勢い良く頭を下げた。その姿はまだ少年のようにあどけない。


「はい、お待ちしています」


紫は明るい声で答える。


「それと……」


若店長が付け足すように話し出す。


「新田さんの事を本当に想ってるなら御見舞いには絶対行かないことです。歓迎されませんから」


若店長はその切れ長の眼で如月を見下ろしながらジッと睨みつけた。

如月はそんな若店長を斜め下から横目で見上げる。どうにも険呑な雰囲気が二人の間に流れる。二人に挟まれて紫はハラハラしながら見守る事しか出来ない。


「酷い事を言ってるとは思ってないんで。

お二人自身が約束し合った事は守るのが当然ですよね。昨日のような反則がないようにしてもらいたい。

バラを扱う者ならトゲには注意する事くらい分かっているはずだ。自分の身さえ守れないではいい花は作れませんよ」


思わぬバラの花の事がでて如月は訝しげに若店長を見上げながら言った。


「新田は……、どこまで話したの?」


「バラ園くらいまで、ですかね」


「二人の、内緒なのに」


如月が小さくそう呟くのが聞こえた。


「あと、ウチは病院にも仕事があって出入りしています。新田さんにも会ってくるので彼の様子をお伝えしますよ」


如月は一瞬驚いた顔をする。きつい事を言われた後だけに逆に若店長の気づかいに驚いた。如月は若店長に少なからず苦手意識があったのだが………。


「ありがとう、店長さん。

新田には、もう二度と会うことはないだろうって言われて………。

俺も新田には会いたくても会いに行ける立場じゃないから……昨日が最後だと思ってたから……ありがとう」


言葉足らずな如月の喋り。それでも彼の胸の内は痛いほど理解できた。


「毎日来ます。だから俺のことも、新田に伝えて下さい」


「ええ」


(毎日か……)


若店長はうんざりする。

如月はもう一度礼をすると、そそくさと店を後にした。

ちらりと若店長が紫を見ると、にこやかに笑っている。


「あー、やってらんね——」


若店長の心境は複雑極まりない。

紫が如月と会うのは無性に気に入らないというのに、紫はそれには全く気付いてはいない。

そう、オジサンのジェラシーだ。若い奴への嫉妬だ。

如月がゲイだろうが、紫には全く無害だろうが気に入らない。


「紫ちゃんは如月の事をどう思っているわけ?

一分間の恋は終わったよね。

その………僕がいるんだから」


若店長の言葉に紫の頰は真っ赤になっていく。


「あのっ、あのっ………、如月さんはアイドルとかそういう感じで、恋愛対象じゃないし……だから、店長とは一生分の恋をする人で………」


紫はあわあわと両手を振ってにやけていた顔の言い訳をする。思わず若店長は腕を伸ばし紫をしっかりと抱き寄せる。


「紫ちゃん」


紫は唇を塞がれされるがままに長い長いキスを交わす。若店長がヤキモチを妬いているのがありありと分かって紫は少し嬉しくなっていた。

若店長が唇を離すと紫は彼の胸にしがみついていく。


「今日………」


「ん?」


「ずっとキスしてますね」


「まだ足りないよ」


若店長が軽く紫を抱き締める。紫は若店長の胸の鼓動を耳元で聞きながら嬉しくて笑っていた。


「店長」


「ん……」


「店長のそばにずっといる。私は………、あなたの特別なきぼうなんだから」


「最初から知ってる」


若店長は笑って答えた。


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