第18話 背中

喫茶店に向かう途中。

若店長、芳樹の目の前を歩くスーツ姿の新田の背を見ながら、ふと母、百合の言葉が浮かぶ。


(背中が似てるのよね。)


新田のがっしりした広い背中のどこがどう亡くなった親父と似ているのか。

親父はもっとこう細くて、少し前屈みに歩いていたような気がする。似ていると思ったのは百合の気の迷いではないだろうか?。親父が亡くなってから八年くらい経つ。もう、うろ覚えになっていたとしか思えない。

それとも、自分の知っている背中は、年が行き、仕事で疲れた親父の背中で、母の百合が覚えているのは、若い頃のものだろうか?

その頃の頼りになる若々しい夫の背中と新田の背中がかぶるのだろうか?

あまりにも突然の別れで、さよならの言葉も何もなかった人達だ。それを思うと母が可哀想だった。

自分が頑張らないとダメだと、そう思って店を切り盛りしてきた。

この間は少しキレて言ったが、このまま紫ちゃんをこの腕に掴めなかったら、どこかで気持ちを切り替えなくてはならない。そう思う自分がいる。

『画家の花屋』の為に生きる。

今迄もそうしてきた。自分の想いを殺してでも守るべきものがある。

ずっとそうしてきたのだ。


(今更……)


チラチラと目の前には紫のあどけなく笑う顔が浮かぶ。

手を伸ばせばいくらでも届く距離にいながら何もしていない自分に少々腹が立つ。


(きぼうのバラだけじゃ、分かりづらいよな。言葉にしないと。紫ちゃん、少しおっとりしてるし。

伝わってないよな)


(来年の春には、また『きぼう』が咲く。その時に、紫ちゃんは卒業しててここにはいないだろう。

それまでに失恋してもいいから、想いだけは伝えたい。じいちゃんのように忍ぶような恋にだけはなりたくない)


そう思っていた。


三十一歳。

物分かりの良過ぎる自分の選択が、誰も不幸にならなければそれでいいと思って生きてきた。

目の前を歩く新田裕介、その恋人の如月冬哉。彼らに会うまでは。

特に如月冬哉は、あらゆる種類の人間を引きつけて離さない魅惑の美少年だ。


(あいつが現れなかったら、僕は素直に紫ちゃんに告ってたかもしれない。

少しは僕に望みもあっただろうから。紫ちゃんからOKがもらえただろう。

それなのに……)


如月の存在が自分の恋の邪魔をしていた。出来ればもう来ないで欲しい。そう思ってしまう。大切にしないといけないお客様なのに嫌な感情が頭をもたげてくる。

大勢の人間が行き交う、想いを伝える大切な花束を扱っているというのに。自分こそは何も伝えられていない。


(論理だけは一人前ってわけだ)


若店長、芳樹は自嘲する。


(どうする、この自分の想いは?

言葉には出来ない想いを花束にかえて……)


考えている間に喫茶店に着く。彼の答えは出ないまま、また月日が流れてしまうのだろうか?


新田と共に歩いて行く若店長、芳樹の背中が一番父、その先代にも似ていることを彼自身は知るはずもなかった。

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