第17話 想いを
紫が学校の制服のカッターシャツにベストを重ねるようになった十月の初旬の頃。
ちょうどその日は土曜日で紫は早めのバイト入りをしていた。
その日突然、今日はまだ二時だというのに『画家の花屋』に来店した新田裕介が若店長を近くの喫茶店に呼び出した。
あの秘密の儀式を始めてちょうど三ヵ月目。
新田はいつもと同じようにスーツ姿のまま、まるで仕事の途中で寄り道をしたかのような気さくさで若店長に話しかけていた。
「店長、少し時間あるかな? 折り入って話したい事があるんだが……」
(内緒話とは……)
二人を見送る紫と百合は気分的にあまり良くない。
(男同士で……)
「新田さんの話しって何かしらね。当然バラの儀式の事よね」
「そうですよね。新田さんから色々聞けるといいんですけど……」
紫と百合は店内に入り、じっと若店長の帰りを待つ。こういう日にお客様が多いと時間も早く過ぎるだろうに、生憎『画家の花屋』はいたって平穏無事である。
紫と百合は丸椅子に座りながら料理の話しを始める。もちろん気持ちは入らない。
ひたすら若店長の帰りを待ちわびる。
それでも長話しなのか若店長達はなかなか帰ってこない。
「ねえ、紫ちゃん、あの如月さんの写真集。あれ、新田さんは持ってると思う?」
百合の唐突な質問。
「ん——、持って……ない。奥さんに見つかったらヤバイじゃないですか。
美少年の写真集ですよ。女の人の写真集の方が怪しまれないと思いますけど」
「確かに、そうよねぇ」
男性ならその手の写真集の一冊や二冊持っていたとしても不思議でもなんでもない。
「私も持ってないと思うわ。可哀想ね。愛しあってるのに離れ離れなんて。相手の写真一つ持てないなんて」
「新田さん、離婚すればいいんじゃないですか?思い切って」
「紫ちゃん! 簡単に言うけど離婚なんてそんなおいそれと出来ないのよ。きっと子供もいるわ。だから離婚なんて無理なのよ。
でも、今なら新田さんは今の家庭、奥様の方へ引き返せるの。奥さんが何も知らない今だから。
新田さんも良く分かってると思うけど……」
「如月さんとはもうお別れするという事ですか?
やっぱり不倫の結末は別れなんですね。そんな結末がわかってるのに……今でも充分如月さんには辛い恋だと思いますが……」
「それが大人としては賢明な方法よ。今自分が持っているもの全てを投げ出しもいい恋なんて、未婚の時にしかしちゃダメよ」
紫は百合の当たり前の正論の前に黙りこむ。
(それでも、好きならどうするんですか? 好きが止まらなかったら?
如月さんは、どうしたらいいんですか?
新田さんをあきらめて、他の人を探せって言うんですか?)
(想いを込めたんだよ、花にね)
あの日、若店長が言っていた言葉。
器用に若店長の手が『きぼう』の白いバラを束ねていく。
想いを込めて、君に
バラの花束を、君に
愛してる、君を……
言葉に出来ない想いを、せめて形にして届けようとしていた二人。
(想いは伝わったとおもうよ)
(そう、伝わってる。
私は店長の想いを知ってる。
同じように、新田さんからの想いも如月さんにはちゃんと伝わっているはず)
ただ私達の恋の行方と彼らの恋の行方はあまりにも違う。
彼らの行方を思うと紫はやるせない気持ちで寂しくなるのだった。
(同じ花、バラなのに……、こんなにも違う)
花束をもらった人は若店長ただ一人なのだ。それも特別な意味あいを持つ花束を。
(私の想いはどうやって届けよう?)
紫は側にあった日にちがたってしまった花たちでちまちまと花束を作り始めた。
(いつも店長の手元を見てるのに、うーん、うーん……)
まとまらない。うまくまとまらない。
自分の気持ちのように。
いつか若店長に自分も花束を贈りたいと思う。素敵な花束を。
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