第11話 バラについて

『画家の花屋』はあの日以降、絶対にバラの花を切らさない花屋になるという使命ができた。


あれから丸二か月。


新田裕介と如月冬哉の不思議なバラの贈り物は毎日続いている。

新田が五時に来店する。バラの花を一輪だけ買う。

やがて六時。遅れて如月が来る。新田が買ったバラの花を受け取ってさっさと帰っていく。

二人の秘密の儀式。


そこにあるのは二人の愛の交換。

花を贈るのにそれ以外に何の意味があるだろう。

しかし、本当の所は紫たちには何もわからないまま、この儀式に毎日、毎日付き合う。

本人たちが、この不思議な儀式を繰り返す理由を説明しないのに、『画家の花屋』がいらぬ首を突っ込んで聞くわけにはいかなかった。


「僕たち、『画家の花屋』は見守るだけですからね」


若店長はくどいように百合と紫に念をおす。

だだ若店長は一つだけ新田に聞いたことがある。


「新田さん、毎日バラの花をお買い求めですが、バラにもいろんな種類があるので、良かったらそちらも揃えましょうか?」


当然といえば当然の花の事だった。


「そうですね。如月が喜ぶものならどんな種類でもかまわないかな。バラといえば赤色ですが、他にもいろいろな色があるんですか?」


以外にも新田は何も知らなかった。


「ええ、赤色に濃い赤、紅色にピンク、オレンジ色、白。言えばキリがないくらいです。最近では青色のバラができたと話題になりました。

それじゃあ、違う種類もご用意させていただきますね。一度お試しください」


「ええ、お金にいとめはつけませんよ。如月が喜ぶように頼みます。あの子は僕と違ってバラには詳しいですから」


「それは、迂闊なものは選べませんね」


(如月さんは詳しいのか。以外だな)


若店長はふとそう思った。


その日から若店長は張り切ってバラの仕入れに取りかかった。

いつも行く花き市場の他に個人栽培の方にもバラを買い求めた。そこは三代目ということもあって信用もあるので無難に話しをまとめてくる。これでバラの花を切らす心配はない。

紫も若店長からバラの品種について教えてもらう。例によってレジ裏の丸椅子で。



バラの花はイギリス、フランス、主にヨーロッパで品種改良が行なわれ、今や三万種類もあると言われているそうだ。

バラの原種。 オールドローズと言われる1867年以前に改良されたバラ。イギリスの育種家、デヴィッド・オースチン作出のメアリー ローズ、セントセシリア、ローズマリーなどなど。

この1867年を境にモダンローズへと名を変えるほどの劇的な変化があった。

フランスのギョー作出のバラ、ハイブリッド・ティー、ラ・フランスが作出された。

大輪の豪華な花をつけ、四季咲き性を持ち世界中に愛されるハイブリッド・ティーと言われる系統が作られたのだ。

それら先駆者の育種家の努力が更に磨きをかけられ、バラの花は人為的な交配を繰り返し品種改良が続いていく。

四季咲き大輪一輪咲きのハイブリッド ティーローズという品種は今や市場の主流になった。

新田が買い求めるのもこの系統のバラだ。


バラの花には「熱情」や「カーディナル」「ナイトタイム」「フェリーポルシェ」などの品種=ブランドがある。作出者も違えば、どのバラも花弁の形も数も、色も、香も違う。よく似ているようで少しずつ違っている。


若店長は仕入れの時は、大輪の一輪咲きのバラを三、四種類も仕入れ、店頭に並べる。


「多すぎませんか? 新田さんは毎日一本しか買わないのに……」


「えーっ、紫ちゃんは夢のない事を言うね」


と若店長は嘆く。


「今や三万種類もあるバラを、ウチはたった一種類しか扱っていませんでは花屋の名が泣くよ。

僕はお客様に楽しんで花を買ってもらいたいんだ。

特に新田さんは毎日たった一輪のバラを選らんでいく特別なお客様だ。ただでさえ、大切な人に想いのこもった一輪を選ばれるんだよ。

毎日来られると当然バラを見る目も肥えてくる。それなりの物を揃えておいたほうがお客様は選ぶ楽しみができるだろう。

花たちはどの花も、自分を選らんでもらいたいって、みんな美しく咲いてくれるんだよ。

その中から ——ああ、これを買われるとは、お目が高い—— って僕が思うほど、ひときわ美しいバラを選らんでくれた時の喜びといったらないんだよ。

僕はその瞬間の為に買い揃えているわけなんだ」


嬉々と話す若店長だが、常人には理解しがたい感情だ。花屋としては完璧な人なので紫は黙ってうなずく。

花の事を話している時の若店長はとても生き生きとしている。

紫はこういう時の若店長が結構好きだったりする。

ふと思いたって、紫は素直な質問をしてみる。


「きぼうは違う種類なんですか?」


「あれはつるバラなんだよ。庭や鉢植え向きなんだ。贈り物には扱いが難しいかな」


その難しい『きぼう』のバラを若店長は軽々と扱って花束にして私にくれたのだ。

思わず紫はジッと若店長の顔を見てしまう。

顎のラインもスッキリとしたなかなかのいい顔立ち。この間の写メを友達に見られたら、凄く羨ましがられた。


「なんで、こんなイケメンと一緒に仕事してるのー。 私もそこ行きたーい」


「時給低いよ。コンビニ並みに。手も荒れるし」


そう言うと「イケメンと時給、どっちが大事か——」と本気で悩んでいた。


「あっ、でも、その人もう紫の事好きだよね? それだと私が行っても邪魔なだけか——」


などと突然言ってきた。


「えっ?」


どきりとする。咄嗟に『きぼう』のバラの花束が頭の中をよぎる。


「紫、可愛いから男はみんなやられるのよ」


「そんなことないよ。凄く年上の方だし、私なんか子供扱いされてるし……」


大事にしてもらってるのは肌で感じている。


「年なんて関係ないじゃん、好きなら。紫の方はどうなの?」


「どうって?」


(あの『きぼう』の花束に込められた意味を紫は知っている。多分、多分……)


「紫ちゃん? 聞いてる?」


はっとして、紫は瞬きする。若店長が紫を覗き込んでいた。


(近い!)


若店長は目の前にいる。頰がカーッと熱くなる。


「きぼう、春になったら、また紫ちゃんに贈るよ。その時は高校卒業してるね。会えなくなってるかもしれないけどメールするから取りにおいで……ってまだ冬にもなってないな」


はははははは、と若店長は笑う。

そうなのだ。もうすぐ十月。進路を決めなくてはならない。紫は就職希望だからこれからが勝負と学校から言われているが何もしていない。卒業したら、『画家の花屋』に来る理由がなくなってしまう。

若店長にも、百合にも、新田にも、如月にも会えなくなってしまう。

それは、とても悲しい事だった。出来ればここに、ずっといたい。そう思うようになっていた。

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