第10話 二度目の来店
『画家の花屋』が、ただならぬ緊張感に包まれる六時を迎えようとしていた。
紫はレジカウンターにいて、百合はさりげなく店内の掃除をしている。若店長は観葉植物の世話をしていた。
それぞれがさりげなく振る舞っているようでも、目だけは何度も何度も店内入り口のドアを注視している。
やがて——— 如月冬哉は六時を少し回ってから来店した。昨日とあまり変わらない、ヨレた感じのスラックスに青い縦縞のシャツ姿だ。
「あの——」
カウンターまで来ると、如月はぼそっと言う。
「如月ですけど、新田から預かっているものを……」
「はい、お待ちしていました。如月様ですね。新田様から承っております」
紫はハキハキと答えると、レジ横のバケツから一本の赤いバラの花束を如月に差し出す。
バラを受けとる如月の目元が、はっきりと柔らかくなるのがわかる。男性にしてはやや紅めな唇も少し口角が上がる。彼がどれほどこのバラを期待して待っているのか。どれほど新田に想いがつのっているのか。
「ありがとう」
如月は軽く頭を下げて礼を言うと、他の花など一切見る事もなく、すぐ店を後にした。
如月はほっそりした体型だが、なよなよとした動きではない。むしろ鹿のように軽やかで機敏に歩く。
風のように動いて、そこにある花々を圧倒してしまう。如月の美しさの前では花々さえその首を垂れてしまうだろう。
紫達は一瞬だけ店内の花たちがその気配を消されてしまったように感じていた。
「すげぇな」
若店長がポトスの植木鉢を持ったままで如月を見送って、ぼそっとつぶやく。
ジロリと紫が若店長をにらむ。
「あっ、いや、ごほほん」
わざとらしい咳払い。
「今のはなしで」
などと言う。
如月は男性から見ても、はっと見つめてしまうほどの美形だ。
「目をひくでしょう、如月様って」
「まあね」
若店長はカウンターにドンと鉢を置く。
「明日も来店されるかな? 二人の間に何があるかは知らないけど、僕たちは静かに見守るだけだからね」
「はい、分かってます」
「あれだけの美少年だ。男でも女でも一瞬で惑わされそうだ」
その一瞬に、紫が如月に特別な感情を抱いてしまった事に若店長、芳樹は気づいていた。
ただ当の紫自身は冷静に考えていた。
(如月さんに恋をしても仕方がない。新田さんという男性がいる。しかも、如月さんは男性を好きになる男性。ゲイなのだ。自分なんか相手にするわけがない)
頭ではそれを理解していた。けれど、人を想う気持ちは突然やってきて、人の心に灯をともしてしまう。
紫は自分のこの気持ちに戸惑っていた。
(店長が言うように私、如月さんに惑わされてるんだわ。
あんなに綺麗な人見たことないんだもん。
それでも……私は……)
紫はポトスの鉢を片付けている若店長の背中を眺める。
「ん?」
いきなり振り向いた若店長が変な顔をして見返してきた。
「何、紫ちゃん? 何か言った?」
「な、何でもありません」
慌てて顔をそむける紫を怪訝に思う若店長だった。
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