銀色の彼女に贈る物語 ―旧版―

ヴィルヘルミナ

銀色の彼女に贈る物語

 夏休み直前の、いつもと何も変わらない月曜日の朝だった。

 俺は高校へ行く為に、駅へと歩いていた。朝の通学時間の混み具合は酷い。イヤホンから耳に流れる音楽に合わせて、疲れた顔をした人々の間をすり抜ける。


 人の流れに逆らい、銀色の髪の女が泳ぐように歩いてくるのが見えた。白いワンピースが揺れている。同い年ぐらいにしか見えないが、この時間に学生服という訳でもないから、年上なのかもしれない。


 近づいてきた銀色の髪の女は、何故か俺の腕をつかんだ。青い瞳を覗き込むと、ふわりと優しい花の匂いが香る。


「は? 何するんだよ!」

 知り合いでも何でもない。綺麗な顔をしているのに変な女だ。俺よりも背が高いことにもムカついて、手を振りほどく。


 何か言いたげな女を振り切って、俺は駅へと駆け込んだ。


      ◆


 帰り道の公園で、俺は銀色の髪の女に捕まった。朝からずっと俺を待っていたのだろうか。夕焼けが銀の髪へと淡く色を落として、不思議な色彩を帯びている。

「何の用だ?」

 俺の問いに彼女は自分の名を名乗り、人を探しているのだと言った。


「人探し? ……名前は?」

 返ってきた名前に俺は驚いた。彼女が探している人物は、俺が書いている物語のヒーローと同じ名前だった。


『貴方はあの人の物語を書いているのでしょう?』

 誰にも知られていないヒーローの名前を言われたことで、俺はうろたえた。親友にすら俺が物語を書いていることを教えてはいない。


『すべての物語は、この宇宙のどこかの異世界で起きていることなの。物語を書く人々は、それを何らかの形で受信して、自分の物語として出力している』 


 俺には彼女の言葉がよくわからなかった。子供の頃、ノートの切れ端に書きはじめた物語は、今ではノート二十冊分になっている。それがどこかの異世界で実際に起きていることだなんて、信じられるはずもなかった。


『物語を受信して、きちんとした文章にできる人もいる。言葉の断片でしか表せない人もいる。それは詩や歌という形になっているの』


 一つの物語は広大な宇宙の中、無数にある世界のたった一人だけが受信できるようになっている。彼女が探す人物の物語を俺が受信して書いているということらしい。


「……名前と顔しか知らないって、どうやって探すんだ?」

『だから貴方が書いた物語を見せて欲しいの。もっとあの人のことを知りたいの』

 

 異世界を渡りながら探しているうちに、偶然俺を見つけたと彼女は微笑む。


 俺は彼女の青い瞳の中に、静かな熱狂を見た。その瞳で追いかけられるヒーローに密やかに嫉妬する。


「わかった」

 そんな目を見たら、断れない。

『お礼は何にすればいい?』

「礼なんていらない。俺は誰かが自分の物語を読んでくれるだけで嬉しい」


 彼女は納得できないという顔をしたが、ノート一冊を読むごとに感想を聞かせてもらうということで納得してもらった。


      ◆


 夏休みの図書館の自習室で、俺は彼女にノートを手渡す。

「子供の頃の字だから、読みにくいかもしれない」

 拙い文章でつづられた物語だというのに、彼女はとても喜んだ。

 

 彼女が熱心に読んでいる間、俺は必死で物語の続きを書く。読者が隣にいるという奇妙な緊張が、書く速度を上げる。


 一冊ごとの感想は、思いがけない視点や新しい発想をもたらしてくれた。次々と先の展開が、形となって見えてくる。


 頭の中に浮かぶ光景を、俺は自分の文章で表現していく。正直言って、俺の頭の中にある物語が実際に起こっていることだとは思えない。


 読者と作者と、二人が並んで物語を作っているような感覚は新鮮だった。それは夏休みの間、毎日続いた。


      ◆


 夏休みの終わりが見えてきたある日、ついに物語のストックが切れ、彼女は俺が書く物語を覗き込んで読むようになった。そして物語が一つの区切りを迎えた。


「これで、今のところは終わりだ。まだ続きは書くから、ストックが出来たら連絡するよ」

 俺は内心残念に思っていた。毎日の図書館での待ち合わせは、ある意味デートのようなものだった。


『ありがとう。でも、これで終わりでいいの。貴方の書いた物語で、私はあの人のことをたくさん知ることができた。だからこれからすぐに探しに行くことにする』

 彼女の青い瞳は、未来への希望に輝いている。

 俺は彼女を止められるはずもない。俺は彼女のヒーローにはなれなかった。


『貴方の書いた物語は、とっても面白かった。もっと続きが読みたいと思うもの』

「そうか。ありがとう」

 俺が素直に礼を返すと、お礼を言うのは私の方だと彼女は淡く微笑む。


『本当にありがとう。貴方に会えて嬉しかった』

 彼女の微笑みは銀色の光の粒になり、はじけて消えた。


 後に残されたのは、俺一人。ベンチに座って空を眺めていると、夕焼けが徐々に宵闇に染まっていく。


 星の数以上に数え切れない異世界の中で、たった一人を見つけ出す。それはとても難しいことだろう。それでも、彼女はきっとあきらめない。


 物語を書く俺を見つけ出したのだから、ヒーローを見つけることもできるだろう。


 いつか彼女がヒーローを探し出したら、俺が書く物語の中に彼女が現れるのだろうか。それは、少し楽しみなことでもある。


「頑張れよ」

 俺は消えた彼女にエールを贈る。


――そして、俺の恋は静かに終わりを迎えた。

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