Kapitel.4 Reminiszenz

#1

 リアセドは、自分を成り立たせているものが、結果からくる名声であるとはこれまで一度も考えなかった。


 意志と行動。それが自分のすべてであると信じて疑わなかった。

 今までも、そして――すべてが変わり果てる、これからも。


「あのリアセドが? まさか――」

「重要証拠を射殺したらしい、でもそれだけではないと――」


 彼女はクリスタルの廊下を足早に歩いていく。その後ろについているのは、当然ゾルハだ。だが、もう相棒ではない。和解の機会は失われた。観察者ではない――監視者となったのだから。


「最近精彩を欠いていたとは聞いてたけど――」

「やはり、あの天使を殺したときから――」


 周囲から聞こえてくる声、声。

 それらすべてを無視して、リアセドは進む。


「ねえ、リアセド。天使が堕ちると、どこにいくのかしらね」


 後ろから、ゾルハが聞いてきた。しかし、無視をする。

 彼女もそれで良かったらしい。

 二人は歩いていく。その細長く、円のごとく蛇行する廊下を。目的地に向けて。


「……!」


 その途中、リアセドは通りがかった一人の天使と目があった。


「リアセド……」


 以前の戦いで足を負傷し、自分が救った若い天使だ。名は、なんと言ったか。

 彼女が、その表情に憂いを込めてこちらを見てきた。

 廊下で自分の噂をしていた連中とは、態度が違った。

 口元を堅く結び、おぼつかない足取りで立っている。


 ――それだけで分かった。

 彼女がいったい、自分に対してどういう感情を抱いているのかを。


「……」


 だからこそ、言う必要があった。


「私のことは、もう忘れて。職務に――励みなさい」


 それだけ言って、顔を背ける。

 それからふたたび歩き出す。

 ゾルハが、余計なことを彼女に言わないことだけを願いながら。


 若い天使は、去っていく二人を見つめていた。パートナーに声をかけられるまで、ずっと。



 『裁きの間』に与えられた広い空間。規則正しく並んだ座席、広く取られた天窓から降り注ぐ光。しかしそのいずれも、訪れた者に安らかな気持ちは与えられない。

 ――光を浴びる場所にたった時点で、その者の立場は明白だからだ。


「第一級天使・リアセド」


 リアセドは弁明も何もしなかった。ただ沈黙を保ったまま、直立する。


「貴殿の行為が、いかなる違反に当たるのかを説明せよ」


 前方の壇上に座る三人の天使――真ん中がシュヴァールだ――のうち、一人の長い髭を持った老人が厳かに言った。斜め下への光とともに、リアセドを打ち据える。


「第66条並びに78条の複合違反形式」


「よろしい」


 老人は天まで届きそうな背もたれに背中を預けて、言った。

 この時点で言いよどむようなことがあれば、更なる違反形式が追加される。分かり切ったことだ。

 ……後ろを見なくても、ゾルハが暇そうにしているのが分かる。

 ――ごめんなさい、ゾルハ。あなたの出番はないわ。


「では、判決を」


 シュヴァールが言った。

 彼女と目があった。

 ――その鋭い隻眼が語るものがなんであるか、リアセドは読みとらなかった。

 自分と彼女の関係に、それは不要に思えた。


「第一級天使としての職務権限の剥奪。ただし、これまでの功績を鑑み、特別措置として特殊監房での禁固とする」


 ――温情ともいえる判決だった。

 リアセドは、黙してそれを受け入れた。


 すべてを告げた三人の大天使に礼をして、後ろへ引き下がる。すると、ゾルハが前に進んできた。その顔には薄笑――何も思わない。両脇から、長槍を構えた天使が歩み寄ってくる。

 リアセドは彼等を見て、首を横に振った。

 それだけで彼等は引き下がり、自分の前と後ろを固めるだけになった。


 リアセドは裁きの間を去っていく。

 その足取りは確かだったが、決して早くはなかった。

 

 もはや――戻れない。

 自分のミカエルへの信仰は、永遠に失われてしまった。


 あとはもう、朽ち果てるだけ。

 リアセドは既に、天使としての自我を放棄しつつあった。



 特殊監房は広く、しかし何もない空間だった。

 彼女はそこに繋がれながら、ふたたび彼女のことを思った。


「――イリル」


 もう、その想念に抵抗することもなかった。

 これが、私なのだ。


 ――すべてを自ら壊して、今ここにいるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る