#2

 そこは、塔の地下に広がる空間だった。

 太い円柱を支えとした莫大な暗褐色。壁にへばりつく階段を降りていくと、床面に並べられた無数の棚のようなものの周囲や全面で、大勢の人間が蠢いているのが見える。いずれも、この塔で働く者であることを示す、白い衣服を纏っていた。


「ここは」


「唯一、空の光が射し込まない空間。要するに、日光はここじゃあ歓迎されないの」


 床に降り立つと、何人かがこちらに気付いて敬礼を行った。彼らは天使ではなかった。位で言うなればこちらが上であった。しかし、作業の手は止めない。

 それぞれがなんらかの行動を行いながら、ひっきりなしに動いている。彼らのほとんどはマスクをして、長い手袋をはめていた。


「ここで何を?」


 リアセドはゾルハの後方を歩きながら、棚に収まっているものを見た。

 ……そこで、察することができた。あまりにも明白だった。


「ここはね……国民から押収した『違反物』を、押収する場所よ」


 棚に納められているのは、無数の書物や――映像媒体だった。

 それぞれにナンバーや日付が割り振られている。職員はそれらを手にとって、自分たちの持ち場へ……なにやら複雑な機構が組み込まれたキャビネットへと座り込む。


「で、あいつらがやってるのが、押収したものを――国民に配る無害な娯楽にするために加工する仕事」


 ゾルハが、座って仕事をしている者の後ろに回り込んだ。

 その者は2人の天使に気付くと雷に撃たれたように直立し、こちらを向いて敬礼した。


「楽にして良い」


 リアセドが言うと、職員はふたたび敬礼をして筐体の前に座り込み、なにやら作業を開始した。


「おやおや、これはこれは。天使お二人のご来訪とあっては、こちらも襟元をたださねばなりませんな」


 やや甲高い声をもって1人の男がこちらに近づいてきた。

 振り向く。

 白い制服に身を包んだ小太りの男。


「どうも、お久しぶりです、ゾルハ様。――ああ、貴女がリアセド様。わたくしはここの責任者をしております」


 男はおだやかに敬礼した。ゾルハは鷹揚とそれに答え、リアセドも静かに頷いた。


「クムユ、せっかく私たちが来たのよ。歓迎の準備は?」


「それができれば幸いなのですが。あいにく、人手不足気味でして。作業の手を止めるわけにはいかんのです。何か、飲料でもお持ちいたしましょうか?」


「私ならいい」


 リアセドは首を振った。

 ――どうせ、代用カフェインの希釈だ。あれを飲むくらいなら、唾のほうがマシである。


「相方はこうなのよ、気にしないで……それより、クムユ」


「はい、なんでございましょう」


「リアセドはここがはじめてなのよ。何か、作業の一つだけでも見せてくれないかしら?」


 ゾルハがそう言った。リアセドは断ろうとしたが、彼女は一瞬ウインクしてこちらをみる。

 ……表情を少しだけ輝かせたクムユにつれられて、ため息をこぼす。

 ――それだけなら、違反にはならない。



「まず必要なのが、『物語』を解体して、おおよその構造を掴むことですね。そこで感情移入しないためには、小さな詩編のようなものからOJTにのぞむわけですが……今作業しているこの男は、一流の腕前ですよ」


 座り込んで、黙々と作業している男をクムユは紹介した。

 その男は筐体に本を差し込んで、その機械に顔を突っ込むようにして内容を精査していた。何をしているのかは、横のモニターに表示される。


 彼が取りかかっているのは、何かの通俗小説であった。長大な筋書きを持つ大著のようだった。機械の横についている複雑なコンソールをいじると、それぞれの文章が光によって走査される。

 そして、横モニターに、『データ』として『あらすじ』と『肝』が表示される。


「この『肝』が肝心なのでして。枝葉末節の表現が、どのようにして物語の『核心』に繋がっているのかを見るのですな。そこで、この物語の持つ『肝』が、当局に違反しているかどうかが分かるわけです」


 リアセドは黙って聞いている。ゾルハは身を乗り出して男の作業を見ている。よほど興味があるらしい。しかしリアセドとしては……さめたものだった。


「――あたりですよ、局長」


 男がクムユに言った。


「ほう、違反ナンバーは」


「72。情動系統は『興奮-3』です」


「そりゃいかん。すぐ改変に取りかかれ」


「了解しました」


 そして男は、ふたたびコンソールを動かし始めた。

 画面上で、次々と物語の筋書きが生まれ変わっていく。


「『肝』を除去し、情動性を完全に改変した後は、違和感なく物語を再構成する必要性があります。その作業は現在、完全な機械化というわけにはいかないのが現状でして……こうして、細かな文章上の表現などをチェックする要員が居るのです」


「……機械処理による違和感が、人々の不満と違反感情を煽るということか」


「そういうことです。ここから再生産されるものが人々に与えるのは、ほんの一瞬の心の動きでなければなりません。つまり、明日になればすっかり忘れてしまうような」


「成る程」


 そうして、しばらく見ていると……機械がうなりをあげて、もとの書物が吐き出された。

 彼は足下のボックスにそれをしまい込む。そこには、しわだらけのごみになった同じような書物が積み重ねられている。後でまとめて処分されるのだろう。

 --それからしばらくすると、モニター横の筐体から、つるつるした目新しい装丁の書物が飛び出してきた。


 男はそれを手に取ると、満足そうに頷いた。

 ……なるほど、これで『無害化』は完了したというわけだ。


「どう思う? リアセド」


 ゾルハが聞いてきた。


「……どうも思わないが」


 ――彼らは賢明に仕事をしている。それはザイオンの住人にとってふさわしいことだ。


 そして、それ以上の何でもない。

 なぜ、ゾルハはここに自分を連れてきたのだろう。自分の動きを観察するためであるのなら、馬鹿げている。


 二人は、見つめ合った。


「次、いきましょ」


 その沈黙を破るように、ゾルハが言った。

 クムユはにこやかな鉄面皮を固定したまま敬礼する。

 ……リアセドは何も言わなかった。

 ただ、彼と、ゾルハの後ろをついていくだけだった。

 ――彼女は既に、帰った後の自分の動きについて考えていた。



「これを見て、リアセド――私たちの成果よ」


 その機械に突き刺さっているのは、紛れもなく、つい先日の任務でゾルハが奪ったUSBであった。リアセドはこの外部装置を書類上は知っていた。だが、実際に見たのは初めてだった。


「旧世代の遺物ね。こんなものを連中はよろこんでるのよ」


「理解が及ばない」


 ……リアセドは呆れた。

 何よりも、こんなものを見せつけてくるゾルハに。

 だから、さっさと帰ってしまおうと思った。余計なことをして体力を無駄にしたくない。


「ゾルハ――もう私は」


「……あ、そこに触ると、」


 ……それは全くの偶然だった。

 クムユの声がした。そこで気付く、自分がなんとなく手に駆けていた部分にスイッチがあって、それは機械に刺さったUSBを起動させた。


 次の瞬間――けたたましい音が、機械横のスピーカー装置から流れ始めた。周囲の者達が一瞬こちらを向いて、何事かとつぶやきあった。クムユは彼らに目配せする……そして仕事に戻る。


 リアセドは眉をひそめる。雑音にしか聞こえないそれが『音楽』だと理解するのにしばらく時間がかかった。


「済まない、スイッチに当たってしまった」


「いえ、構いませんよ」


 ひどく野蛮な音楽だ、と思った。こんなものを奴らは喜んでいるのか、正気ではない――。


「下品だ。なんだこれは」


 問うと、クムユは肩をすくめて眉根を寄せた。同意見らしかった。


「ああ、ヒップホップというらしいですよ。既にある音楽を切り貼りして、その上で新しい曲を作るっていう。このレコーディングの雑さからいって、あいつらが自ら作ったんでしょう」


 ゾルハは苦笑する。


「最悪ね。娯楽局の階層音楽にさえ不満なのかしら」


 ……これ以上は聞くに堪えない。


「もういい。音楽を止めて。ゾルハ、もう帰るぞ――」


 そのとき、だった。

 その、野蛮で下品な音楽。

 幼稚で、感情を逆撫でするばかりの音の集積。

 ……その、わずかな隙間に。



 聴いたことのある音が、聞こえた。

 それは一瞬ではなかった。

 しっかりと、フレーズとして聞こえたのだ。



 リアセドはその場で動けなくなる。

 ……その音は。

 その、ピアノの音は。



 ――パッヘルベルのカノンよ、リアセド。



 あのときの、ピアノの音……――。


「……ッ」


 リアセドはすぐに行動に出ていた。指をたたきつけるようにしてスイッチを切った。音楽はそこで止まった。クムユも、機械の前に座っていた職員も一瞬虚を突かれたような顔をした。


 頭の中で、あのピアノの音がリフレインする。

 ――その音楽の中に、そのフレーズが使われたという事実。

 何を意味するのか分からない。だが、分かってしまえば、それは――。


「あの、リアセド様……――」


「早く処分させろ」


 クムユに対して、ぴしゃりと言いつける。

 それから、ゾルハに向き直って、詰め寄った。


「なんのために連れてきた、ゾルハ」


「私はただ――」


「暇つぶし、だとしても言い訳にはならない。おまえがここに『趣味』と称して訪れているのなら大問題だ……それは、感情違反に繋がるぞ」


 ゾルハは少し目をそらして、口をとがらせて返答する。


「まさか。そんなわけないでしょう」


 こちらを馬鹿にしたような様子。普段から自分のことをどう思っているのかが透けて見えるようだった。それは構わない。どのみち、情などで繋がっているわけではないのだから。

 うろたえを滲ませるクムユをよそに、リアセドは言い放つ。


「私は二度と行かない。そしておまえは検査を受けろ。分かったな」


「知ってた? 私はここの監督を任されてるのよ」


「お前こそ知らない訳ではないだろう。天使には相互の検査勧告権利がある。私は今、それをお前に使う。お前も――」


「使わないわよ。要するに、ライトちゃんのところに行って検査を受ければいいわけでしょう?」


「……」


 リアセドはそれ以上何も言わなかった。ゾルハに背を向けて、早足で去っていく。

 どのみち私も、あそこへもう一度行く必要がありそうだ。


 昇降口へ向かっていく。となれば、ゾルハもそれに続かねばならない。

 彼女はもう一度肩をすくめて、クムユにもう帰る旨を伝えた。



「あの……彼女は」


「ああ――リアセドはね」


 クムユの彼の耳元で、ゾルハは言った。



「生理中なの」



 それだけ言って、彼女もリアセドに続いて、去っていった。



「……」


 二人の天使が、その場を去っていく。

 もう、音楽は聞こえない。


 ――職員の誰もが、何事もなかったかのように作業を再開している。

 クムユはその場で立って、少しの間こんなことを考えた。


 ……自分も、検査を受けるべきだろうか?

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