Kapitel.3 Ein Pendel
#1
壁に据え付けられたTVモニターは、ある事件の様子を映し出している。
荒いモノクロの砂嵐の向こう側で繰り広げられているのは、不格好な身なりをした若い男たちが1人の役人――塔に勤めているらしい――の周囲を囲んで、思い思いの凶器でリンチしている様子だった。
どの顔もゆがんだ法悦に染まりあがって、無軌道な暴力を続けている。無害で、穏和そうなめがねをかけた役人の顔は、見るも無惨に腫れただれていく。
映像はそこで停止して、その上にナレーションが覆い被さる。それはこの街に住む誰もが聞いたことのある、優しく諭すような声だった。
「今もなお、この国のどこかで、似たような出来事が起きています。彼らは自分たちの所持している悪辣な嗜好品を没収された恨みから、このような行動を取っているのです。まったく信じられない話です。我がザイオンは、人々に与えます。奪うことはしません。彼らには、十全な癒しと、楽しみが与えられているはずなのに……このような愚かな行動は――」
「全く、愚かも愚かよねえ」
声に被さるように言ったのは、ゾルハである。
「ま、バカにはバカなりの娯楽がぴったりってことね。知ってる?違反者によっちゃ、ポルノビデオにストーリー性を求める洒落者が居るそうよ。娯楽局の作る”性教育番組”じゃ不満らしいわ」
着崩した格好でソファに座り、カクテルを飲みながら。
「……ああ」
リアセドは返事を半端に返す。
彼女は仕切壁一枚隔てた場所、鏡の前で自重トレーニングを行っている。その額や腕にはうっすらと汗をかき、鍛え上げられた四肢が動く。
ゾルハはそれ以上何も言ってこない。ふたたびテレビの方を向いて、酒を飲んでいる。どのみち、こちらの返事は期待していないだろう。そういうものだ。
2人がいるのは、白と黒のツートンカラーでまとめられたシェア・ルームである。調度品の全てが清潔感あふれる空間にとけ込み、そこにある。第一級天使だからこそ許された、くつろぎの場所。
だが――2人1部屋である理由を、リアセドは知っている。
「ねーリアセド、それいつ終わるの?」
「まだ終わらない」
「ああ、そう」
自分を、監視するためだ。
ゾルハは、お目付役。離れた場所でテレビを見ていても、その意識がこちらに向いているのは十分伝わってくる。彼女がいつも自分と一緒にいるのは、そのためだ。
しかし、かまわない。
自分は何ら後ろ暗いことはしていない。このまま平然と、日々を過ごしていく。そう、平然と……。
「――近頃、反逆者達にあらたな動きがあるようです。今日は、その動きについてお伝えして終わりたいと思います……」
声は、情報を淡々と列挙した。その動きには当然、リアセドの働きも関与している。そうして、人々は互いを見張り、密告しあう。誰も孤独ではいられない。世界は常にひらけている。
……リアセドは、かかわらない。
トレーニングを続ける。鏡に向かって。
その顔を見る。
人は、天使を見て、美しい、と言う。そうなのだろうか。果たして、自分もそうなのだろうか。分からない、そんなことはどうでもいい――。
――てめえらはなんにも、わかっちゃいねえ――
不意に、鏡の表面が揺れた。
ように、見えた。ぐにゃりと曲がって、別の顔になる。
……今日、最後に処理した男の顔だ。
彼は、血反吐を吐きながら言った。
――お前等は、お前等が思ってる以上に、ただの人間なんだぜ――
「だから、どうした」
馬鹿馬鹿しい。どうやら今日は本当に休んだ方がいいようだ。教官にはかなわない。だが、トレーニングは日課だ。抜けば、波が立つ。だから止めない。
肉体に力を込める。意識を研ぎ澄ます。壁一枚隔てた、薄暗い空間。
トレーニングを、続ける。
ひたすらに。
ひたすらに。
「お前達は忘れた訳じゃないだろう、本当の天使が、俺達にもやってくる――」
テレビが映し出した、処刑寸前の反逆者。彼が放った言葉。
馬鹿馬鹿しい、本当の天使だと? 天使は私だ、私が――。
……待て。
何を動揺している。
心を乱すな、やめろ――。
暗い部屋で、リアセドは肉体をさらに痛めつけていく。
自分を責めるように。
頭の下に、水たまりができあがっていく。
痛めつける。痛めつける。
――私の名はイリル。あなたより、少しだけ先輩。よろしくね。
声が入り込んでくる。
振り払う――。
――あなたは、この仕事に誇りを持っている?
――……そう。なら、素晴らしいことね。
――私のおかげ? 嬉しいわ。こんな私が、誰かの理由になれるなんて。
振り払う。
振り払う。
――ねえ。あなたは。『自由』という言葉を、どう解釈する?
花のようなほほえみ、涼やかな髪のそよぎ。柔らかなその声。全てにあこがれた。だからこそ、自分は戦えた――。
……。
待て。
今は関係ない。落ち着け、何を乱されている。
奴はもう死んだ、私が始末した。だから、もう――。
だが。
――入ってくる。心の隙間に。
その声が、その表情が。
――これは本当に、やるべきことなのかしら。ねえ、リアセド……。
――『音楽』。いい、響きよね。
そして、彼女の様子は不審になった。同じ部屋で暮らした、その様子を見続けた、変わっていくイリルを。
……しばらく後。
……決定的になったのは。
イリルが、『処理』を終えた現場で1人佇んでいるのを見つけた時だった……。
――何を見ているの。
――なにも、見ていないわ。ここには何もなかった。そうでしょう。
廃墟の中で佇む彼女はしかし、あるものを手にしていた。
小さな蓄音機。
そこから、ノイズ混じりで、何かの音が流れ始めた。
それが何かは分からなかったが、イリルには分かったらしい。
そして。
――彼女は。
聞きながら、静かに涙を流していた。
それが、彼女の言う『音楽』というもので、自分は、何をしている、早く帰るぞ、といって、そこから彼女の足取りがつかめなくなった。
数ヶ月後報告があった。彼女は教会の中で見つかった、黒い羽で。自分は底へ向かった。彼女はひとしきりくだらないことを語った後、剣を抜いた。自分は銃を構えた。それから、それから――。
衝撃。
頭の中で何かが断線する。
白い光が、ひかって消えた。
彼女は動きを止めた。
鏡を見る。
ほんの一瞬だけ、そこには光景が見えた。
血だまりの中で横たわる、イリルの姿。
しかし、彼女は最後の瞬間まで、自分を――。
「……っ!!」
我に返る。
汗が一瞬で噴き出して、その場で崩れ落ちる。なんとかして膝立ちになって、止まる。
鏡を見る。
スポーツウェアを汗でどろどろにして、激しく肩を上下させる自分の顔があった。
――自分は、何を見ていたんだろう。
そう思った瞬間、背中に冷たい何かが吹き込んでくる。
あれは、全て……――。
「――リアセド」
声がした。
振り返る。
「……大丈夫?」
そこには、ゾルハが居た。苦笑しながらこちらを見ていた。
「……」
リアセドはゆっくり呼吸をして、顔の汗をぬぐう。
それから、一文字ずつはっきりとかみしめるようにして答える。
「……だいじょうぶ」
すると、ゾルハはまたくすりと笑った。
彼女は水の入ったボトルをこちらに投げてくる。キャッチする。
礼は言わなかった。向こうも、そんなものは求めていない。
ゾルハが、こちらを見ている。
「……何」
素っ気なく答える。
彼女はひどく軽い調子で、言った。
「そのびしょぬれの身体をキレイにしたら、ちょっとつきあわない? おもしろい場所を見せてあげる」
リアセドは、しばらく間を空けた後で頷いた。
心の乱れは、その瞬間にはすっかり矯正できていた。
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