#4
通常の天使、及び国民は、首の後部に据え付けられたカートリッジ状の装置によって、それぞれの性向に適した『制御感情』が与えられる。
それにより、脳内でおのおのの感情が『像』となって実を結ぶのだ。あとは、そこから逸脱させぬよう注意を払い、『正しきミカエルの子』として振る舞っていくことに注力すればいい。
それこそが、ザイオンでの正しき在り方というものだった。
だが、『彼女』は違った。
「うん。やはり大幅に『乱れて』いるね……過去のバイタル面のデータを見れば、原因が分かるかもしれない」
ガラスの向こうで、透き通ったソプラノの少年の声が響いた。
リアセドは、ただただそれを黙って聞いている。
場所は医務室。ほかのフロア以上に清潔さが保たれたフロアでは、マリオネットのような四肢を持つ医療ロボットが動き回り、各種患者たちを看ている。今や、全ての医術はメカニクスで制御できる。そういう時代だ。
リアセドは薄青色の貫頭衣を身につけた状態で、首筋をロボットに向けている。その無機質な瞳は、彼女の陶器のような肌にピントを合わせ……そこにある『異常』をはっきりと凝視する。
――彼女の首筋にある『装置』は、完全に破壊されていた。修復が不可能なほどに。
「余剰感情をかつての規定感情に沿わせて心の中で再現することで力を保持し、かつ感情違反にならずに済んでいる……まったく、驚異的だよ。過去の経験を総動員して、この状態を維持しているなんて」
ロボットの後ろ側、ガラスの向こうで感慨深そうな声が響く。ガラスをへだてているからか、ずいぶんとくぐもって聞こえる。
――それは賞賛であるのかもしれないが、リアセドにとってはあまり意味のある響きではなかった。
驕りもせず、鼻にかけることもない。そんなことをすれば最後、感情は乱れ、実力は低下する。彼女にはよく分かっていた。
『第一級』という肩書きは名誉の蓄積ではない。責任の重さなのだ。
「だけど、それには限界がある……だから、かつての半分ほどの力しか出せていないし、出しちゃいない。それが分かっていながら、今日の君は無理をしたというわけだ」
そこには、ほんの少しいたずらっぽいニュアンスが含まれていた。
リアセドは首筋に少しだけ触れながら、ガラス越しの彼を見た。
異様に色素の薄い、まるで雪をそのまま人型にしたような少年だった。なにもない部屋に、小さなコンピュータ一台とともに投げ込まれ、そこで一生を過ごすことをよぎなくされている少年。
――『ストーリーライター』。本名はリアセドも知らない。人々や天使達の感情、その『ストーリー』を作りだし、与えるばかりか、管理も一手に担っている。そんな彼には、誰も逆らおうとはしなかったし、なにより、触れようとしなかった。
「いったいなにがあったんだい? 君ほどの天使が、あの若い……さっき来てたけどね……彼に、」
「偶然、という言葉の説得力は、ここではどれほどのものかな」
リアセドは尋ねる。
いくぶんか、やわらいだ口調。
誰も彼もが、彼には優しくなる。しかしリアセドは、あくまで規定感情の範囲で、彼に対しては自然と優しくなるのだった。
「ははは……ははは!! まったく君の冗談というのは肝が冷えるね。まるでこっちを試そうとしてくるんだから……」
彼はおかしそうに、手をたたいて言った。
やせた、青い手だ。
実年齢であればリアセドとそう変わらないはずだが、随分と幼く見えるのは、その容貌のせいだろう。
彼はここで飼われ――やがて、次のストーリーライターに交代するまで、暮らす。そして死ぬ。どのみちガラスの外には出られない体だから、彼自身には感情制御は適用されていない。する必要もない。
「なるほど確かにそうだ。この国は人々の感情を制御することで、かつてないほどの秩序を手に入れたが……それが万全に行き通るには至っていない。だからこそ、反逆者達は次々とわいて出てくるし……今日のようなことも、『ある』……これでいいかな。少なくともぼくは、偶然という言葉にはまだ浪漫を感じているよ」
彼は言った。
――彼なりの気遣い。天使であればよくある話。君のように特殊な素体であればなおさらのこと。
つまり……『偶然』。後は、こちらの気持ちをどれだけ引き締めていくか、という話。
話はそれで終わり。もう、用はない。
――リアセドは首元をふたたびさわって、背を向ける。それからもとの服に着替えに行こうとした……。
「君の首筋を修復できないものかと、いろいろ調べてみてるんだが」
後ろから声がかかる。
振り向く。
――彼は、ばつの悪そうな顔をしていた。
「あの第一級天使……彼女がつけた傷だから。現状、その目処は立たない。それをやったのがただの人間であるなら、とっくに……」
「良い。少なくとも今は、困っていない」
そこでリアセドは、話題を断ち切った。彼は虚を突かれて、押し黙ってしまった。ゆっくりと、諦めたような笑顔に変わっていく。
「……そうか。すまないね、蒸し返してしまって。君にとっても、つらい出来事だろうに」
「気にしてない。あいつは裏切り者だった。だから殺した。それだけのことだった」
彼はその微笑をうつむかせる。リアセドはまだ、後ろを向かなかった。
沈黙。
しばらく続く。機械は無機質に、ただ決められたルートを蠢いている。
その白い空間の中で、彼は言葉を再開した。
「……君は時々、本当に寂しいことを言う。ぼくにはどうも、それがこたえるんだ」
「……」
「もし、僕がここから出られるのなら。君のその、氷のような顔に触れて――」
「『ライト』」
――彼の名を、呼んだ。
2人だけの呼び名。
彼ははっとして顔を上げた。
「あなたの好意に応えるための感情は……今の私にはない。ごめんなさい」
それは、物語を作った彼自身が何よりも知っているはずだから。
リアセドは、正直に言ったのだ。
……彼の表情が、また、あきらめの微笑へと戻っていく。
風船が、しおれていくように。
「そうか……そうだな」
「……ああ」
そこでまた、沈黙があった。
しかし、リアセドはもう止まらなかった。
「……すまなかったね、リアセド。余計なことを言ってしまった」
「気にしないで。あなたは何も悪くない」
「……」
そのまま彼の顔を見るのは気が引けた。
彼女はさっと背を向けて、元の服に着替えに行った。
それから、純白の医療室を後にする。ロボットは何の挨拶も返すことなく、そこで蠢いている。
そのあとの彼の表情を、リアセドは知らない。
元の服に着替えて、医務室を出た。
……壁にもたれてあくびをしていたゾルハは、リアセドを見ると身体を起こした。
「随分とおしゃべりしてたのね。仲が良いのはいいことよ」
彼女は笑いながら、そう言った。
……リアセドは、それに答えなかった。
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