#2
尖塔の中心は大きな吹き抜けが貫いており、その周囲を取り巻くように各フロアが備え付けられている。
真下まで降り注ぐ、光の帯。灰色の空の下にあっても、それはまるで厳粛な権威の象徴の如くそこにある。
リアセドとゾルハは謁見を終えて、昼食へ向かおうとしていた。
どうせ昼からも任務がある。天使は神ではない。栄養補給は義務のようなものであり、生物である以上そこからは逃げられない。
2人は光の差し込む一階フロアを歩く。
灰褐色のリノリウムの床。そこには各種のグリッドラインが敷かれ、遠目から見れば一種のイコンのように見える。
「良いか。おまえ達――基礎を忘れるな。メソッド・ジーベンの基礎を」
吹き抜けに響きわたるバリトンの声。
「おっ、やってるやってる」
ゾルハは立ち止まって、それを見た。
精悍な禿頭の天使が、後ろに手を組んで厳粛に叫んでいた。目の前で列をなし、統制され並んでいる数十人の天使達。どの顔も若く、みずみずしさに満ちている。
――『新入り』の教練の最中である。教官が、まさに天使としての神髄を教え込んでいる最中なのだ。
「まずは『型』を覚えろ。それを鋳型にし、お前達の感情を流し込め……では、対『欲望』の型!」
数十人の天使達が、片腕を引き手に構え、もう片方を前方に突き出すように構える。
「――連中が『欲望』を発露するとき、それは『相手に、さらに攻撃を加えたい』と願う瞬間だ! お前達はそれに呑まれてはならない。そのすべてを、完膚なきまでに否定しろ。ガードは回避でも可能だが、リスクが大きい。まずはシールドによる防御を学べ」
それこそが、天使の編み出した『反逆者』達に対する戦闘法である。相手の行動パターンを7つに分類し、それに対する行動パターンを拾得。随時組み合わせて戦う。
「ナンバー8! 初動がコンマ3秒遅い。11は右腕の構えが緩い。腕はまっすぐ突き出せーー続いては、対『憤怒』の型だ!!」
教官は次なる指示を出し、若い天使達はそれに従う。
――リアセドの知る限り、あの男は、全ての天使達の中で『声を荒げる』ことが
『規定感情』として認められている数少ない存在である。そうでなければ、彼は監視対象として睨まれながら過ごすことになるだろう。
「憤怒を剥き出しにするとき、奴らはお前達に『更なる連撃』を望むだろう。それに対する、我々の有効打はなんだ――18番!!」
コードを呼ばれた若い天使は一瞬身体をゆらしたが、すぐ冷静さを取り戻す。それから背筋を伸ばして、しっかりと宣言する。
「遠距離からの狙撃です」
「その理由は」
「平静を欠き、隙が多く生じるからです」
「その通り――では、型に移る!!」
その声とともに、天使達が波の如く一斉に動く。教官の声で、彼らの動きが変わる。それが数度繰り返される。
リアセド達は、遠目でそれを見ていた。
「懐かしいわね。私たちにも、ああいう時期があったのよね」
「……」
確かにそうだ。だが、それがどれほどの過去であるかは、もう覚えていない。
それでいいのだ、と思う。
過去を思うことも、未来も思うことも、この世界には不要。統制された「現在」の積み重ねだけが、現実を形作る。
少なくともそれが、我々の目指すところである。
リアセドは、そう考えている。
「おお――リアセド。お前か、ちょうどいいところに居た」
一通りの教練が終わったらしい教官が、振り返ってリアセドに声をかけた。
「ちょうど今、実技に入ろうと思っていたところだ。時間はあるか? 良ければ、お前がこのひよっこ達に稽古を付けてやってくれ」
「時間なら、ある。しかし――」
「手加減は苦手だ、と言うんだろう。分かっているとも。模擬戦型式でいい」
リアセドは一瞬思案し、相棒の方をみた。彼女はくすりと笑い、肩をすくめる。答えは出た。
「――了解した。承る」
前に出て、教官に並び立つ。
……数十人の、自分より若い天使達。
わずかなどよめきが、さざなみのように広がる。
――彼らにとって自分がどのような存在であるのかは、十分すぎるほど知っていた。だから、何も思わない。
教官は、改めて声を張り上げる。
「これより、第一級天使・リアセドがお前達の教練を行う。誰か、メソッドの訓練を実践しようと思う者は居るか!?」
若い者達が、顔を見合わせる。
「私が」
1人が、名乗りを上げて前に出た。
栗色の髪をした、利発そうな少年。真っ直ぐ前を見ている。
「良いだろう――では、ナンバー16、リアセド。向かい合う位置へ」
「はい!」
「了解」
その言葉に従って、おおきな升目の描かれたグリッドラインに移動する。数メートル離れた位置で向かい合う。その周囲を囲むようにして、若い天使達。
教官とゾルハは、それよりも遠い位置に立つ。
「……」
リアセドは彼を見る。緊張が、そのおおきな瞳に宿っている。
そこまではよくあることだ。後はどれだけ、そこから逸脱させずに済むか、である。
「装備は制式拳銃一丁と障壁のみに限定。弾丸はペイント弾を使用。いいな」
「はい」
「問題ない」
ゾルハが、意味ありげな視線を送ってきた。
リアセドは無視して、少年に向き合う。
――簡単な仕事だ。これが彼のためになるならやすいもの。
「では――はじめ!」
彼女は、ごく落ち着いた精神を保ったまま、その声を聞いた――。
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