胸甲の男、ピアニー、アトクスン、ザロー、荷担ぎ、赤狼とその手下ふたり。隠し壁の先まで逃げ延びた者は八人だった。

 下着だけの痛々しい姿で、ピアニーはうつむいていた。手足は細く、まだ少女といっていい年齢なのかもしれなかった。

 胸甲の男は彼女を毛布でくるんでやった。しかし、その素肌にあるものを隠すには遅すぎた。

 彼女の二の腕から手首まで、太股から足首までは、なめらかで小さいうろこにおおわれていた。

「おい、どういうことだよ」

 ここぞとばかりに食ってかかった赤狼を、胸甲の男がじろりとにらんだ。

「彼女は半竜人だ。竜の父親と人間の母親の間に生まれた」

 それで必要な説明はすべて終えた、というように彼はことばを切ったが、赤狼に引き下がる気はないようだった。

「魔法使いってだけじゃなく、化け物かよ!なんで隠してやがった!そいつもお前もほんとはここの化け物の仲間なんじゃねえのか?

 ははん、わかったぜ。化け物の里帰りだな?道理でこんなイカれた場所まで来たわけだ」

 この地下迷宮に下りてから最も素早く、胸甲の男は剣を抜き、切先きっさきを赤狼の胸もとに突きつけた。ひとことのおどし文句もなかった。誰も赤狼を弁護しなかった。彼自身の手下でさえ。

 赤狼はしばらく睨み返したが、「わかったよ、取り消すぜ。本気じゃなかったんだ」と、ふてくされたようにそっぽを向いた。

 気まずい空気を取りつくろおうとするように、ザローがいった。

「やつの歩みが赤子よりのろいってことはわかりましたが、いまはとにかく、少しでも離れたほうがよかありませんか」



 隠し壁が下りたかわりに、逃げ込んだ側の壁が上がり、新たな部屋へ続いていた。もとの通路に戻ることはできなかった。

 足どりを速めながらも、胸甲の男はこれまでどおりの探索を続けさせた。さいわい部屋が少なく、彼らは多少の距離を稼ぐことができた。

 襲われたときに逃げ場のない室内を避け、食事休憩は以前と同じく通路でとった。この人数になっても赤狼は手下とつるみ、胸甲の男たちに近寄ろうとはしなかった。もっとも、そのほうがおたがいのためだろう。

「ひとつ気になってることがあるんですがね」

 口もとの脂をぬぐって、ザローが切り出した。

「さっき出てきたやつ、人ひとりを飲み込んだにしちゃ、小さすぎるような気がするんですよ」

「どういうことだ」と聞き返したアトクスンに、ザローは気が進まなさそうな口ぶりで答えた。

「壁のひび割れから出てきたやつと、さっきのやつは別ものなんじゃないか、ってことさ」

「二匹いるってことか」アトクスンは忌々いまいましげに干し肉を噛みちぎった。

「それ以上かもしれん」と胸甲の男が口を挟んだ。

「やつらは分裂するそうだ。もしかすると最初のやつが二体に分かれて、その片方がさっきのやつだったのかもしれん。まだほかにもいるかもしれん。

 面倒なことに、複数が一体にまとまることもあるらしい。だから数がわかっても、あまり意味はない」

「それと、お伝えしなければいけないことがあります」

 終始うつむいたまま、食事もほとんど口にしなかったピアニーが、蒼ざめた表情でいった。

「先ほどの汚泥おでいから逃げるとき、わたしはほとんどの荷物を失いました。いちばんの問題は、地図と魔法書です」

 その声は心なしか震えているようだった。胸甲の男がまったく顔色を変えなかったところを見ると、察していたのかもしれない。かわりにザローがいぶかしげなようすでたずねた。

「地図は、なくてもいまのところかまわない。どっちにしろ、もとの道には戻れないんだからね。しかし、魔法書というのは?」

 少しためらって、ピアニーは口ごもりながら答えた。

「わたしは魔法使いとしてまだ半人前です。魔法をあやつるのに、魔法書の力を借りる必要があるのです」

「それは、魔法が使えないということかな?」

「いえ、自分の使える呪文はすべてそらんじています。唱えることはできるのです。

 力をあまり必要としない呪文であれば問題はありません。ですが、そうでないものは、魔法書がなければ充分な威力を発揮できないのです。

 先ほどの大きさなら、退けることはできると思います。もう少し大きくても、逃げるだけの時間は稼げるかもしれません。でも、それ以上となると……」

 最後は声がかすれてことばにならなかった。ふり絞るように話し終えたあと、その膝にしずくが二、三滴こぼれた。

 胸甲の男は彼女の肩を抱き寄せ、なだめるように髪をなでてやった。

 うろたえたアトクスンが、大きい体を縮め、早口でいった。

「それで充分だぜ。いくさじゃねえんだから、敵を倒さなくたって、逃げりゃいいんだからな。ザローなんて見ろよ、十回の戦闘で十一回逃げるようなやつだぞ」

「お前の逃げ足が遅いんだよ。バカのひとつ覚えみたいに斧ばかり振り回しやがって、もうきこりになっちまえ」ザローが受けると、

「まあ、マーレ川で背水の陣を敷いたときよりはマシだな。あのときは本隊がさっさと逃げ出して、気がついたら周り全部が敵だった」

 胸甲の男も調子を合わせて、似合わない軽口を飛ばした。



 迷宮の奥深くへ進むにつれ、湿気は強くなり、空気は生暖かくなった。温度が上がっているにもかかわらず、カビや苔はあまり見られなかった。汚泥のえさにでもなっているのだろうか。

 損傷や崩落はあったが、様式そのものには手の込んだ装飾がほどこされていた。壁龕へきがんには燭台しょくだいがとりつけられ、祭壇を円柱が飾っており、十数から二十櫃ほどのひつぎが整然と並んでいた。

 かなり古い時代の柩なのだろう、見たことのない形で、中の遺体はたいてい塵になっていた。形を保っている遺骨も、起き上がることはなかった。

 とするとやはり、襲ってきたのは身分の低い兵士だったに違いない。彼らは入口付近に埋葬され、侵入者を撃退する任務を与えられた、死してなお。高貴な者たちは奥深く、豪奢ごうしゃな寝台で安らかに眠るというわけだ。

 そうした部屋を探索しているときに、三度目の遭遇があった。侵入者の足音を聞きつけたのか、柩をねぐらにしていた汚泥が這い出してきたのだ。

 事前に、室内で接触した場合は廊下へ逃げる、と打ち合わせしてあった。いざというとき、柩が邪魔になって出口までの最短距離を走れないからだ。

 廊下に出ると、進行方向でなじみのある音が聞こえ、ひと足先に逃げたならず者が血相を変えて帰ってきた。汚泥がもう一体、近づいてくるようだった。

 挟まれた形だが、振り切って後方へ逃げるだけの余裕はあった。

 しかし動転したのか、彼はむかいの部屋へ駆け込んだ。それを追って赤狼ともうひとりも飛び込んだ。舌打ちをして、アトクスンとザローも続いた。

 遅れてついてきたピアニーが振り返り、小さい汚泥を狙い撃った。

 赤い稲妻が火花を散らし、煙とともに焼け焦げたにおいがただよった。不定形の体のほとんどは蒸発し、残った部分もふたたび動き出すことはなさそうだった。

 肩で息をしているピアニーの襟首えりくびを引っつかんで、胸甲の男は部下たちのいる部屋へ入った。

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