胸甲の男は隊列を組み替え、みずから先頭に立ち、すぐうしろに女魔術師と矮人わいじん族の荷担ぎを従えた。彼らとならず者たちの間に、アトクスンとザローが入った。仮眠中の見張りもふたりと胸甲の男、荷担ぎの四人で務めた。

 扉に鍵がかかっていれば力ずくで押し破り、それもかなわぬときはピアニーが魔法で解錠した。二、三体の骸骨と出くわすことはあっても、難なく退けた。探索行は順調に進むかと思われた。

 だが、通路を歩いている間に、最後尾の男が消えた。

 そのことに気づいたのは彼の前を歩いていた、オランというならず者だった。急に暗くなったので振り返ったら、松明たいまつだけが床に落ちていたという。

 松明が落ちた音のほかには、深い堀に重い物を沈めたようなくぐもった音を聞いただけ、とオランは証言した。

 一行は足を止め、あたりを調べた。

 壁に、大きなひび割れが走っていた。中を照らすと穴が奥まで続いていたが、動く物の気配はなかった。穴の周りは、湿ったように光を反射していた。ほかに怪しいところは見つからなかった。

 この穴を通ってきたなにかが、最後尾のならず者を捕らえ、引きずり込んだとしか考えられなかった。

「どんな化け物なんだよ」

 赤狼が不機嫌な声で噛みついた。逆らいたいだけなのかもしれないが、当然の疑問でもあった。

 ひび割れを調べていた胸甲の男が振り返った。

「ここにいないということは、どこかから移動してきたはずだ。この穴は、幅は広いが高さがないから、そいつは這うように動くのだろう。そして、人間をひとり引きずり込むことができるなら、かなり大きいに違いない」

「あの大トカゲのような、ってことですか、閣下?」とザローがたずねた。

「オランは悲鳴を聞いていない。悲鳴をあげる間もなかった、ってことです」

「そうか。あの大トカゲは、歩くときはのっそりしていたが、獲物を捕まえるときは素早かったぜ」とアトクスンも同意した。

 しかし、胸甲の男の考えは違っていた。

「いや、ああいった生き物ではない。これほど狭いと中で向きを変えることができないし、後退するにも尾が邪魔になるからな」

 彼はピアニーを目でうながした。ローブ姿の女魔法使いは頭巾ずきんを下ろした。

 髪の色は目と同じ黒、まっすぐで、えぎわの真ん中で分けられていた。白い肌に、濃く長いまつげが引きたつ。ほっそりしてわずかに鋭角的な顔だちには、どこか異国風の雰囲気が感じられた。

 やや薄い、つややかなくちびるを開いて、彼女は語った。

「その生き物を、わたしは目にしたことがあります。この穴に残された跡から考えても、間違いはないでしょう。わたしたちはあれをこう呼びます。

 つつしみ深く表現するなら『神から形を与えられなかった生命』、博物学的には『生きている粘液』、嫌悪を込めて『緑色の汚泥おでい』とも。大きいものは『這う人食い沼』と名づけられた記録もあります」

「なにをいってんだ?いってることがわからねえ。俺をバカにしてんのか?」

 赤狼の横槍を意に介さず、ピアニーは続けた。

「あれは強い光を嫌います。薄暗く、湿った場所に好んで生息します。獲物が近づくのを足音で聞き分ける、といわれています。冬には活動しないことから、寒さに弱いと考えられています。

 その体は刃物を通しません。最も効果的なのは、炎で焼き尽くすことです」

 アトクスンがたずねた。

「松明で殺せるのか?」

「小さいものでしたら……両手にひとすくいの大きさなら。ですが、人ひとりを飲み込むほどの大きさともなると、いまある松明をすべて使っても難しいかと」

「ピアニーどのの魔法なら?」

 ザローの問いかけにピアニーはうなずき、一同を見渡した。

「倒せるでしょう」

 安堵のため息にかぶせるように、胸甲の男がつけ加えた。

「だが、知っている者もいるだろう。魔法を使うにはかなりの集中力と体力を要する、ということを。それだけ危険な力でもある。彼女に無駄な魔法を使わせるな」



 部屋のひとつを調べていたとき、扉の外に立っていた見張りが、巨大な蜘蛛くもに襲われた。胸甲の男はアトクスンとザローを連れて迎え撃ったが、ピアニーは部屋に残った。壁に把手とってのようなものを見つけたのだ。

 腰の高さにスリットがあり、そこから直径一古寸、長さは半古尺ほどの、金属の棒が斜め下に突き出していた。暗くてよく見えないのでしゃがみ、ザローから預った松明を近づけた。

 その肩を誰かがつかんだ。

「おい」

 赤狼だった。

「お前たちはいったいなにを探してるんだ」

 ピアニーは眉をひそめ、答えなかった。

「全部の部屋をしらみつぶしに探すつもりか。そんなに大層なお宝でも埋まってやがるってのか?」

 相変わらず乱暴な口調だったが、声は荒げず、落ちついているようだった。

「あの方のいったとおりです。お金は払いました」

 契約にはよけいな質問をしないことも含まれる、と彼女はいったつもりだった。

「仲間が何人死んだと思ってるんだ」

 彼の真意をはかりかねて、ピアニーはいった。

「そんなに恐ろしいのなら、ここを出ればいいでしょう」

 わずらわしく感じ、視線をそらしたその先、床の上に、にごった水がみ出していた……さっきあんなものがあっただろうか……

「俺たちだけで出られるわけがねえだろうが!」

 態度を急変させ、おどすような声音で赤狼はすごんでみせた。女を屈服させるときにはいつもこうしているのだろう。

 ピアニーは怖気おじけづき、赤狼から顔をそむけることができなかった。しかし、おびえればおびえるほど床のしみが気になった。視界の端にとらえたそれは、少しずつ大きくなって……

 。床から染み出しているのではない。

 。ほら、一滴、二滴……

「地図をよこせっていってるんだよ!」

「離して!」

 手荒く体をつかまれ、ピアニーは本能的に抵抗した。思いもよらない力で赤狼を突き飛ばし、反動で自分も転倒した。

 そのとき、ふたりがいた場所にが落ちてきた。粘り気のある、湿った音――オランがいったとおり、深い堀に重い物を沈めたような音をたてて。

 緑色、といわれればそうかもしれない。しかし褐色にも、灰色にも見える。いや、光の照り返しによっては七色だ。空の虹とは違う、ぎらぎらといやらしい七色だ。

 固体ではない。かといって液体でもない。泥に似ているが、うっすらと半透明で、中に気泡のようなものがいくつも浮かんでいる。気泡はくっついて大きくなったり、消えたり、新しく生まれたりしていた。

 てっぺんから、溶けたゼリーのように流れ落ち、平べったくなるのかと思うと内側から盛り上がり、また同じ高さになる。ぷるぷると震えるようすがなぜか、喜びを抑えきれない子犬を思わせた。

 そして、ゆっくりと近づいてくる。

 ピアニーのほうへと。



※一古寸:約2.5~3センチメートル

※一古尺:約40~50センチメートル



「ピアニー!」

 叩きつけるように扉が開かれ、胸甲の男が飛び込んできた。

 名前を呼ばれてはじめて、ピアニーはわれに返った。

「立て!」

 あわてふためいて身をひるがえし、つんのめるように立ち上がろうとした。その拍子ひょうしに、腕が壁の把手に当たった。

 下りていた把手が上がった。しかし腐食していたのか、根元で折れた。

「逃げろ!逃げるんだ!」

 ようやく立ち上がることができたが、足を踏み出そうとして転んだ。ローブのすそがすでにからめとられていた。

 胸甲の男の武器は、何度振り下ろしても汚泥に傷を与えられないようだった。

 天井で、巻き取られた鎖がほどかれるような音が聞こえた。ふり仰ぐと、部屋を中央で分断する隠し壁がゆっくり下りてくるのが見えた。

 ピアニーはうろたえ、持っていたはずの松明を探した。松明ならあの醜悪な生物を追い払えると信じて。それは、赤狼を突き飛ばしたときに落として、手の届かないところに転がっていた。

 汚泥が足に触れるのを感じ、総毛立って、闇雲やみくもに蹴飛ばした。サンダルを捕らえていたほうの偽足ぎそくは追いやったが、ローブをくわえているほうは振り払うことができない。みんながなにか叫んでいる。隠し壁はもう半分くらい下りている。

 ピアニーは腰のナイフを抜き、ローブの裾を切り取ろうとした。厚手の布地に、刃がなかなか食い込まない。肩から下げた大きなかばんも邪魔をしている。

 にじんだ視界に、斧を構えたアトクスンが映った。背後から抱かれ、引っぱられるのを感じた。こちらはザローだろう。

 下半身を偽足に、上半身をザローに、両側から引っぱられ、背筋が伸びた。とっさの判断で、切断する対象を裾から腰帯に変えた。

 ピアニーははだけたローブから転がり出た。

 汚泥はしつこくすねにしがみついてきた。赤狼が松明を押し当てると、偽足はまるで人間が手を火傷したときのように引っ込んだ。

 胸甲の男とアトクスンが隠し壁に抵抗し、一古尺の高さで押しとどめていた。その隙間すきまから彼女はすべり込んだ。

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