3
胸甲の男は隊列を組み替え、みずから先頭に立ち、すぐうしろに女魔術師と
扉に鍵がかかっていれば力ずくで押し破り、それもかなわぬときはピアニーが魔法で解錠した。二、三体の骸骨と出くわすことはあっても、難なく退けた。探索行は順調に進むかと思われた。
だが、通路を歩いている間に、最後尾の男が消えた。
そのことに気づいたのは彼の前を歩いていた、オランというならず者だった。急に暗くなったので振り返ったら、
松明が落ちた音のほかには、深い堀に重い物を沈めたようなくぐもった音を聞いただけ、とオランは証言した。
一行は足を止め、あたりを調べた。
壁に、大きなひび割れが走っていた。中を照らすと穴が奥まで続いていたが、動く物の気配はなかった。穴の周りは、湿ったように光を反射していた。ほかに怪しいところは見つからなかった。
この穴を通ってきたなにかが、最後尾のならず者を捕らえ、引きずり込んだとしか考えられなかった。
「どんな化け物なんだよ」
赤狼が不機嫌な声で噛みついた。逆らいたいだけなのかもしれないが、当然の疑問でもあった。
ひび割れを調べていた胸甲の男が振り返った。
「ここにいないということは、どこかから移動してきたはずだ。この穴は、幅は広いが高さがないから、そいつは這うように動くのだろう。そして、人間をひとり引きずり込むことができるなら、かなり大きいに違いない」
「あの大トカゲのような、ってことですか、閣下?」とザローがたずねた。
「オランは悲鳴を聞いていない。悲鳴をあげる間もなかった、ってことです」
「そうか。あの大トカゲは、歩くときはのっそりしていたが、獲物を捕まえるときは素早かったぜ」とアトクスンも同意した。
しかし、胸甲の男の考えは違っていた。
「いや、ああいった生き物ではない。これほど狭いと中で向きを変えることができないし、後退するにも尾が邪魔になるからな」
彼はピアニーを目でうながした。ローブ姿の女魔法使いは
髪の色は目と同じ黒、まっすぐで、
やや薄い、つややかなくちびるを開いて、彼女は語った。
「その生き物を、わたしは目にしたことがあります。この穴に残された跡から考えても、間違いはないでしょう。わたしたちはあれをこう呼びます。
「なにをいってんだ?いってることがわからねえ。俺をバカにしてんのか?」
赤狼の横槍を意に介さず、ピアニーは続けた。
「あれは強い光を嫌います。薄暗く、湿った場所に好んで生息します。獲物が近づくのを足音で聞き分ける、といわれています。冬には活動しないことから、寒さに弱いと考えられています。
その体は刃物を通しません。最も効果的なのは、炎で焼き尽くすことです」
アトクスンがたずねた。
「松明で殺せるのか?」
「小さいものでしたら……両手にひとすくいの大きさなら。ですが、人ひとりを飲み込むほどの大きさともなると、いまある松明をすべて使っても難しいかと」
「ピアニーどのの魔法なら?」
ザローの問いかけにピアニーはうなずき、一同を見渡した。
「倒せるでしょう」
安堵のため息にかぶせるように、胸甲の男がつけ加えた。
「だが、知っている者もいるだろう。魔法を使うにはかなりの集中力と体力を要する、ということを。それだけ危険な力でもある。彼女に無駄な魔法を使わせるな」
部屋のひとつを調べていたとき、扉の外に立っていた見張りが、巨大な
腰の高さにスリットがあり、そこから直径一古寸、長さは半古尺ほどの、金属の棒が斜め下に突き出していた。暗くてよく見えないのでしゃがみ、ザローから預った松明を近づけた。
その肩を誰かがつかんだ。
「おい」
赤狼だった。
「お前たちはいったいなにを探してるんだ」
ピアニーは眉をひそめ、答えなかった。
「全部の部屋をしらみつぶしに探すつもりか。そんなに大層なお宝でも埋まってやがるってのか?」
相変わらず乱暴な口調だったが、声は荒げず、落ちついているようだった。
「あの方のいったとおりです。お金は払いました」
契約にはよけいな質問をしないことも含まれる、と彼女はいったつもりだった。
「仲間が何人死んだと思ってるんだ」
彼の真意を
「そんなに恐ろしいのなら、ここを出ればいいでしょう」
わずらわしく感じ、視線をそらしたその先、床の上に、
「俺たちだけで出られるわけがねえだろうが!」
態度を急変させ、
ピアニーは
違う。床から染み出しているのではない。
天井からしたたっているのだ。ほら、一滴、二滴……
「地図をよこせっていってるんだよ!」
「離して!」
手荒く体をつかまれ、ピアニーは本能的に抵抗した。思いもよらない力で赤狼を突き飛ばし、反動で自分も転倒した。
そのとき、ふたりがいた場所にそれが落ちてきた。粘り気のある、湿った音――オランがいったとおり、深い堀に重い物を沈めたような音をたてて。
緑色、といわれればそうかもしれない。しかし褐色にも、灰色にも見える。いや、光の照り返しによっては七色だ。空の虹とは違う、ぎらぎらといやらしい七色だ。
固体ではない。かといって液体でもない。泥に似ているが、うっすらと半透明で、中に気泡のようなものがいくつも浮かんでいる。気泡はくっついて大きくなったり、消えたり、新しく生まれたりしていた。
てっぺんから、溶けたゼリーのように流れ落ち、平べったくなるのかと思うと内側から盛り上がり、また同じ高さになる。ぷるぷると震えるようすがなぜか、喜びを抑えきれない子犬を思わせた。
そして、ゆっくりと近づいてくる。
ピアニーのほうへと。
※一古寸:約2.5~3センチメートル
※一古尺:約40~50センチメートル
「ピアニー!」
叩きつけるように扉が開かれ、胸甲の男が飛び込んできた。
名前を呼ばれてはじめて、ピアニーはわれに返った。
「立て!」
下りていた把手が上がった。しかし腐食していたのか、根元で折れた。
「逃げろ!逃げるんだ!」
ようやく立ち上がることができたが、足を踏み出そうとして転んだ。ローブの
胸甲の男の武器は、何度振り下ろしても汚泥に傷を与えられないようだった。
天井で、巻き取られた鎖がほどかれるような音が聞こえた。ふり仰ぐと、部屋を中央で分断する隠し壁がゆっくり下りてくるのが見えた。
ピアニーはうろたえ、持っていたはずの松明を探した。松明ならあの醜悪な生物を追い払えると信じて。それは、赤狼を突き飛ばしたときに落として、手の届かないところに転がっていた。
汚泥が足に触れるのを感じ、総毛立って、
ピアニーは腰のナイフを抜き、ローブの裾を切り取ろうとした。厚手の布地に、刃がなかなか食い込まない。肩から下げた大きな
にじんだ視界に、斧を構えたアトクスンが映った。背後から抱かれ、引っぱられるのを感じた。こちらはザローだろう。
下半身を偽足に、上半身をザローに、両側から引っぱられ、背筋が伸びた。とっさの判断で、切断する対象を裾から腰帯に変えた。
ピアニーははだけたローブから転がり出た。
汚泥はしつこくすねにしがみついてきた。赤狼が松明を押し当てると、偽足はまるで人間が手を火傷したときのように引っ込んだ。
胸甲の男とアトクスンが隠し壁に抵抗し、一古尺の高さで押しとどめていた。その
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