チョコレートの夕方

「やっぱり本物は違うよ」


 翌日の午後3時、ローズは嬉々とした様子で呟いていた。彼の白い指の先には透明な水晶玉がある。亡くなった母親の形見だそうだ。


「母さんもひどいよ。こんな高価なもの、まさか陳列棚の下に隠しておくなんて」

「逆によく気が付いたね」

「いやぁ、今日の午前中は大掃除するって言っただろ? そしたら出てきたんだよ。偶然にしてもすごいよね」


 へにゃりと笑う彼の嬉しそうな顔を見ながら、ショートケーキを口に運ぶ。今日もリクエストしたプリンじゃなかったが、相も変わらず美味しいから許してあげた。


 ふと目に入った窓の外には雪が積もって、空も鉛色だ。フォークが冷たくて指を擦る。いつもなら薪を足してくれるのに、ローズは暖炉の火が小さくなっていることに気が付きそうにもない。思い出話をすることに夢中のようだったが、彼の喜ぶ顔が見れるのは良いことなので、多少寒くても黙って聞いていた。


「僕、母さんがおしゃれするの好きだったんだ」


 ひどく懐かしそうな声だ。カウンターに肘をつきながら彼は思い出話を続けていく。


 止めどなく意気揚々と話す彼を見ながら、他人に母との思い出を話すのは久しいのだろうと察した。言いたくて仕方がないといった、期待に満ちた咲く寸前のチューリップみたいな笑顔が愛おしく、それほどまでに楽しい思い出があるローズが羨ましくもあった。


 それから数時間が経った。窓の外はもう暗闇でいっぱいになっている。


「……じゃ、今日はそろそろ」


 気が付けばもう日は沈んで夜の空気がそこにいた。ローズは窓の外を見るなりしまったと顔に書いて、「ごめん」と手を胸の前で合わせて謝ってくる。


「いいよ、楽しかったから。またお話聞かせて」


 コートに手を入れて答える。ドアを開けると震えそうな寒さが襲ってきた。街灯も無い真っ暗な夕方の中で白い雪が目立っていた。


「待って待って待って、お土産渡すから」


 待っててよ! と言い捨ててキッチンへ走りさる。後ろ姿が消えたと思ったら、数秒で木のバスケットを持って帰ってきた。


「はいこれ」

「……今日は包装に気合いいれたね」

「別に気が向いただけだから。後でこっちの箱は開けてよ。後で」


 小さなバスケットには、赤い包み紙のチョコレートが入った瓶と、もうひとつ中の見えないピンクの箱があった。


「……ごめん。あと、もう一つ謝んなきゃいけないことがあってさ」


 低い声に顔を上げると、そこには気まずそうな顔つきがあった。


「何?」

「あの実はさ、今までのお菓子はメルより先に味見してもらってたんだよ。僕、えっと」


 はっと胸が小さく弾む。ローズが何を言おうとしてくれているのか察する。


「ゆっくりでいいよ、ローズ」


 早く言って、そのまま本当のことを言って。もう嘘なんかやめて。メルの頭の中でささやかな喜びが花開こうとしている。


「僕、町の人とは仲悪いって言ったけど嘘でさ。本当は普通にしゃべるし、随分前から仲も良かったし」


 待ち望んでいた言葉に、メルは笑みを必死に堪えて頷く。


 凍てつくほど冷たい北風が、頬を撫でた時だった。


「婚約者もいたんだ、本当は」


 苦笑いをして「内緒にしててごめん」と、ローズは目線を逸らす。


 驚きに似た青い感情が全身を巡っていった。鼻の奥がつんと痛い。メルの呆然とした様子に申し訳なさを感じたのか、ローズは眉の端を下げている。


「そうなんだ」


 湧き上がる想いとは裏腹に簡単な言葉しか出ない。


 心臓が冷えていく。目の前の彼から貰ったコートは何の役にも立たない。あれほど手放したくないと思っていたのに、今は脱ぎ捨てたいなんて思ってしまう。


 寒い。今すぐここから離れたい。


 何も言えないままのメルを見つめなおし、ローズは口を開く。


「でも違うんだ。ミネン……あ、僕の婚約者とは」


 その言葉が引き金を引いた。


 バスケットを置いてしゃがみ、雪を両手ですくう。手袋もしていないから、雪をぎゅっと握ると指先の熱が消えていく。ローズが何か喋っているけれど聞こえないし聞きたくもない。


「メル?」

「嘘つき」


 冷たさに顔色一つ変えず、メルはそのまま雪玉を投げる。思いきり振った腕の先にはローズの顔があり、狙い通り雪玉はローズの額に命中した。


「ぶわっ!? ちょ、冷た___」


 小説か劇ならここで涙を流してなきゃいけないのだろうけど、不思議と涙は出ない。ただの「無」がメルの顔を染め上げている。


「もういいよ」

 

 今すぐこの町を出よう。考えるよりも先に頭の中で決めていた。


 バスケットを乱暴に持って走り出す。ローズの声が後ろで聞こえた気がしたが返事はしない。


 彼がメルのリクエストに答えない理由が分かってしまった。分かりたくなかった。メルの大好物であるプリンを作ってしまえば、合格をもらって一緒に旅に出ることになるかもしれない。彼は旅に出ない。歌姫に嫉妬してしまうほどの愛を持った可愛い婚約者も、自分を優しく包み込む町もある。旅に出ることとそれらを捨てることは同じであった。


 何故、嘘の可能性をもっと考えなかったのだろう。彼は町中から嫌われているなんて嘘をつく人間だったのだ。「旅に連れてって」という約束も嘘の可能性だってあった。発言と約束は違う。彼はいつもそう言っていたのに。


 なんでこんな嘘をついたのだろう。


 夜道は真っ暗で飲み込まれそうだが、白い雪のおかげで何とか町には行けそうだ。宿屋で荷物をまとめて、女将さんに挨拶をしよう。


 だが残念なことに、メルは走るのが遅かった。


「メルさん?」


 だから、町に一歩踏み入れたときに出会ってしまったのだ。


「大丈夫ですか? 顔が真っ赤です」


 ミネンは心配そうな顔でメルを見つめる。心配されることさえ恐ろしくてまた走り出した。


「えっ? 待って、待ってください! 逃げないで!」


 走り出すものの、数秒で追いつかれる。もう一つ残念なことにミネンは足が速かった。


 婚約者の家に寝泊まりする女を見て、きっと彼女は嫉妬しただろう。ミネンに冷たく接してもらえてむしろ助かった。今までは心労の種だったが、逆にもし優しくされていたら、今この瞬間に罪悪感で死んでいた。


 手首を思いきり掴まれる。ミネンの手は僅かに震えていた。


「……私、今日婚約破棄されたんです」


 悲しみも怒りもない口調に、固まった口が動き出す。


「___え」


 口を半開きにしたままのメルを、ミネンは真っ直ぐに見つめていた。






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