Episodio 32 「いつか見た夢」
「リナルド、もう10時過ぎてるよー?」
もう2度と聞けるはずのない声がレオンの鼓膜に響き、レオンは飛び起きた。
声のした方を見ると、そこにはカーテンを開ける悠莉の姿があった。
窓から差し込む太陽の光を眩しそうに目を細め、レオンが起きたことに気づいた悠莉はこちらを向いて、微笑んだ。
「 Buon giorno. リナルド、今日も良い天気だよ」
何が起きているのか全く理解できないレオンの表情がおかしかったのか、「まだ寝ぼけてる?」と悠莉は小首を傾げる。
そしてリナルドのそばに来て、ベッドに乗り上げて悠莉は頬にキスをする。
「これでも、まだ眠い・・・・・・?」
悠莉の香り、柔らかい唇の間食、上目遣いになっている悠莉へのはち切れんばかりの愛おしい気持ち。
夢にしては鮮明過ぎて、リナルドは「嘘だろ」と呟いた。
悠莉は確かにリナルドの腕の中で息を引き取ったはずだった、そして、真珠の貝殻で・・・・・・
(何を、したんだっけ・・・・・・)
何か大事なことをした気がするのだが、頭に靄がかかったようになって全く思い出せない。
それに、なんだか悠莉が死んだことの方が夢だったのでは、という気さえしてくる。
「リナルド? どうかしたの?」
「いや、なんでもねえよ・・・・・・ Buon giorno. 天使の歌声で目覚めるなんて素晴らしい朝だな」
思わず口づけをしてしまい、リナルドは咄嗟に身を引いたが悠莉は照れつつも嬉しそうにはにかんでいた。
(キスをしても、マドンナリリーの力が解けない?)
悠莉は、死んでいなかった?
朝ご飯出来てるからね、と部屋を退出する後ろ姿をリナルドは呆然と見送った。
この状況が全く理解できない。
悠莉は死んだ、確かに死んだのに。
何故かこうしてリナルドの前でぴんぴんしている。
「なんだよ、これ・・・・・・何が起きてるんだ」
状況が全く把握できていないが、そこはレオン。
冷静な判断力を失いそうになる状況でも平常心を保ち、とりあえずベッドから起き上がって身支度を済ませた。
部屋はレオンの借りているアパートそのままである。
特に変わった様子も、違う点も見受けられない。
身支度を済ませたレオンはリビングにでて、再び体を硬直させた。
「あらリナルド、 Buon giorno. といっても、もうほとんど昼だけどね」
リビングの食事をするテーブルに、リナルドの母がコーヒーを飲んでくつろいでいた。
どうしてレオンの部屋に母がいるのか、しかも意識がはっきりとしていて健康も問題なさそうな雰囲気である。
「マンマ・・・・・・?」
恐る恐る母に近づくと、母はテーブル一杯にアルバムを広げて写真を見ている途中であった。
更に驚くことに、レオンは母とずっと一緒に暮らしていて赤ちゃんの時から悠莉との結婚式まで写真に母が写っている。
「この頃のリナルドは本当に可愛かったわ、マンママンマって、後ろを着いてきて」
「へえ~、リナルドにもそんな可愛い時期があったんですね」
レオンの朝ご飯をテーブルに用意した悠莉も母の後ろからアルバムを覗きこみ、母と楽しげにしている。
大切な母、この世でもっとも愛しい人との素晴らしい朝の日常。
レオンが願ってやまなかった光景が、今目の前に広がって、緩やかに時を刻んでいる。
レオンは静かにイスに腰掛け、コーヒーのカップを飲もうと手に取ると、ぽたりと雫が落ちた。
「リナルド!? どうしたの、お腹でも痛いの!?」
「あらあら大変」
涙を流すレオンに、母がハンカチで涙を拭ってくれ悠莉はあたふたしている。
「なんでもねえ・・・・・・、なんでもないんだ。 本当に」
あれらは全て嘘だったのだ。
レオンは――リナルドは、フィレンツェで母と共に育ち、留学生だった悠莉と出会って普通に恋をして結婚をして、誰もがうらやむ素晴らしい人生を送ってきたのである。
リナルドがようやく泣き止むと、悠莉に連れられて外へ出かけることになった。
リナルドの腕に悠莉が腕を組んで、2人は当てもなく歩き始める。
悠莉があの忌まわしい事件に遭ってからというもの、その身を案じて外に出かけることなど滅多になくなり悠莉には寂しい気持ちにさせたことが多く、リナルドはそれが気になっていた。
しかし隣を歩く悠莉は幸せ一杯の新妻の表情で、少し歩きづらいほどリナルドに寄り添っている。
「ユーリ、どこか行きたい所はあるか?」
「ウフィツィ美術館とヴェッキオ橋のお店も見てみたいし、美味しいレストランテにも行きたいな!」
「よしッ、案内してやる」
「わーい!」
リナルドと悠莉はウフィツィ美術館でフィレンツェ出身の芸術家たちの作品に触れお気に入りの作品はどれか話しあい、ヴェッキオ橋に軒を連ねる宝石店のショウウィンドウに飾られた宝石を見て「このネックレスは可愛いけど、値段が可愛くない」なんてぼやく悠莉を見て笑ったり、ウルラートというバールで飲んだエスプレッソが苦くてミルクと砂糖を大量に入れる悠莉を眺めたり。
あっという間に時間は過ぎて、気づけばフェレンツェの町並みが夕焼け色に染まっていた。
「もう夕暮れだねー」
アルノ川の河原に三角座りをして、沈みゆく夕陽をぼんやりと眺めていた。
他に誰も邪魔する者もいない、静かな時間に包まれたリナルドにユーリは頭を預ける。
「リナルドは楽しかった?」
「ああ、ユーリといるときはいつだって楽しいに決まってる」
「ずっとずっと・・・・・・こんな日が続けばいいね」
なにものにも脅かされない穏やかな日々。
このアルノ川のようにゆったりと流れる時間に、リナルドは頷いた。
そう、こんな日々がずっと続けば・・・・・・それはなんと幸せなことだろう。
「・・・・・・ユーリ?」
悠莉がリナルドからそっと距離を取り、夕陽を背にしてリナルドの前に綺麗な姿勢で立った。
逆光で表情がよく見えず、リナルドは目を細める。
「だめだよ、リナルドはまだこっちに来ちゃだめだよ」
夕陽が沈み、悠莉の表情がようやく見えた。
苦痛に歪む笑顔ではない・・・・・・心からの優しげな微笑みに、リナルドは何度でも恋に落ちた。
「お母さんはわたしがちゃんと見るから・・・・・・心配しないで。 リナルドは、リナルドにしかできないことをして。 わたしはいつまでも待ってるから、あなたの思いはちゃんと届いているから・・・・・・」
それから悠莉から慈愛のこもった口づけが降ってきて――、何も見えなくなった。
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