Episodio 20 「慰みと許し」
シュンは時計を確認したとき、ポケットにそういえば聖母マリアについて考える会の勉強会が今日だったことを思い出し、現実逃避もかねて言ってみることにした。
ちょうどフィレンツェにある図書館の会議室を借りて行なわれており、シュンが来た時にはすでにアドルフォがホワイトボードを使って説明をしている所であった。
「このように、ルネサンス初期の宗教画にとって聖母マリアは欠かせない存在なのです。 しかしレオナルド・ダヴィンチは処女懐胎を否定しているとも取れる受胎告知を残しました、見て下さい。 天使ガブリエルが持っている白百合には雄しべと雌しべが描かれています、それに加え、処女性を表わす閉ざされた庭ではなく、どこかへ繋がっている開いた庭にマリア様がおられるのです。 妊婦を解剖したダヴィンチにとって、処女懐胎は到底非現実的で信じられるものではなかったのでしょう」
以前イゴール教授からもらった資料にも書かれてあったことだったので、すぐにシュンは話を理解することが出来た。
アドルフォの熱弁に、参加していた生徒達はあっという間に魅了されていたようで講義の終了後も質問があるとアドルフォを取り囲んでいた。
「お招きいただき、ありがとうございました。 とても面白かったです」
「ああ、君はシュンだったね。 来てくれてありがとう、ジャコポのことで忙しいから来てくれないかと思ったよ。 彼のことは実に残念だった・・・・・・」
危うく自分が殺されそうになったとは言えず、シュンは彼に同意するに留めた。
「それにしても、どうかな、難しくなかったかい? 前回の講義の内容を踏まえての話だったから、ついてこれない箇所もあったんじゃないかな?」
「あ、いえ。 お世話になった教授から資料をいただいていたので、それと似ていた話が多かったので大丈夫でした」
「もしかして、イゴール教授じゃないかい? いやあ参った参った、僕の話は彼の資料を基に作ったんだ!」
イゴール教授が旧友のために資料をコピーした余分をシュンにくれたのだが、その旧友というのはアドルフォのことだったらしい。
「いえ、知らない部分もあったのでとても勉強になりました。 確かに神の子イエス・キリストが原罪を背負ったのに対して聖母マリアが原罪を逃れるのはおかしな話ですよね」
「この辺りはとても複雑だから、研究者や教会でも意見が別れているよ。 あ、そうだルネサンスは好きかい?」
「ルネサンス、ですか。 最近勉強しているところですかね・・・・・・」
うるわしの純白会を追いかけているうちに自然と、というのは胸にしまっておくことにした。
アドルフォはシュンを勉強熱心な子だと思ってくれたのか、ルネサンスについても話を聞かせてくれた。
「ニッコロ・マキアヴェリは『ルネサンスは、詩や絵画や彫刻の面で見受けられるが如く、死せるものを蘇らす為に誕生したと思われる』と残している。 まさしく、再生・復興だね。 その銀行家として成功し数多くの芸術家を支援したメディチ家、キリスト教文学でも傑作中の傑作神曲を描いたダンテ、万能人レオナルド・ダヴィンチ、そして僕の大好きなミケランジェロ!」
――死せるものを蘇らす為に誕生した。
シュンはまさにその力を秘めた秘宝を知っている。
アドルフォの語る、ミケランジェロの彫刻の傑作ピエタを思い浮かべながらあの神秘の花のことを考えていた。
十字架から降ろされたイエスを抱き、嘆き悲しむマリアがあの花を知ったらいったいどうしたのだろうか。
イエス・キリストを閉じ込め、守ろうとしただろうか。
「・・・・・・何か悩み事かな?」
「ごめんなさい・・・・・・、話を聞いていたら知り合いと喧嘩したことと繋がって」
「どれ、人生の先輩である私が話を聞こうじゃないか」
アドルフォは紳士然と優雅なほほえみをたたえ、その笑顔に心の棘を抜かれたシュンはレオンとの出来事を話し始めた。
「とても信頼している人がいたんです。 でも、彼は・・・・・・僕をずっと騙していたんです、彼には大切な人がいて、その人の為に僕は彼の目の届く範囲におかれていただけだったんです。 僕はずっと、僕のことを認めてくれていると思っていたのに」
「そうか。 シュンは自分自身の才能を認めてくれていたと思っていたのに、彼は君の才能ではなく身内と縁がある君を可哀相に思っていただけだったということかね」
「ええ、そうなんです。 僕はそれが許せなくて・・・・・・、アドルフォさん。 人は何か大切な物を守るためなら、何をしても許されるのでしょうか」
アドルフォはシュンの肩を抱き、
「君は『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』という言葉を知っているかね?」
「・・・・・・隣人愛、ですか」
新約聖書マタイによる福音書の山上の説教の一部である。
「さよう。 とても良い言葉だとは思わんかね? 私はこの言葉が好きだ。 敵は憎むものだ、自分を迫害する者は悪だ。 しかし神は全ての人間に
だから、君は彼を許しなさい。
そう言われて、シュンはすぐに答えることが出来なかった。
自分はキリスト教徒ではないし、そんなもの知ったこっちゃあないと割り切ることも出来る。
しかし、シュンは知ってしまった。
レオンはどんな人間であるか、彼がどのように愛されているか。
「答えは決まったようだね、シュン」
「ありがとうございます、アドルフォさん。 僕はそこまで聖人にはなれないかもしれない・・・・・・、もし大切な人を殺した相手の為に祈ることは出来ないかもしれないけど、せめて、僕のために祈ってくれた人には返したいと思います」
答えは決まった。 自分がどうしたいかも、理解した。
シュンは携帯のメッセージを確認し、アドルフォに別れを告げその場を後にする
と、残されたアドルフォは去りゆく背中にかつての自分と重ね合わせていた
「ああ、そうだね。 聖人なんていやしない・・・・・・熱心な信者さえも、『敵』も『迫害する者』にも愛することは愚か、祈ることさえ出来なかったんだからね」
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