第十章…「その世界の始まりと影は。」


 全ては、この世界へとわかってきた竜…、神が降り立った事で始まった。

 世界を渡る神、渡る事に疲れた神、自身の死に場所を探していた…神。

 体はボロボロだった。

 世界を渡る事による消耗、それは神にとっても、予想以上の疲労。

 神は、この世界を自身の終焉の地と定めた。

 見渡す限りの水の世界。

 自身が最初に降り立った場所は島と呼べる土地を有した場所ではあったが、しかしそこからさらに神は空を舞う。

 綺麗な世界。

 魔力に満ち溢れたこの世界は、そのボロボロの体を優しく撫で、神に空を飛ぶ心地よさを思い出させた。

 そして、その先で島と呼ぶには小さい、砂の山が水面から少し出ただけの砂浜に降り立つ。


---[01]---


 最後に良い夢が見られたと、その砂浜に神は身体を倒した。

 それからどれだけの時間が流れただろうか…。

 1日か2日か…。

 夢現の中で、神は自分しかいないはずのこの浜に、1つの影を見る。

…あなたはだれ?…

 言葉なんてモノは、長い事聞く事の無かったモノ。

 だからこそ、聞こえてくるその声が、より一層耳に心地よかった。

…ワレハ、ワレ…ハ……

 自分の名を教えようとしても、神の口から、その名が出る事は無かった。

…なまえ、おぼえてない?…

…アア……

 それだけの時間を、神は一人で居続けた。


---[02]---


 元々世界を渡る様になった意味を、理由を忘れ、気づけば死に場所を探し、ここへとたどり着いた、孤独な竜。

 それが神だ。

…じゃあ、わたしといっしょだね…

…オマエモ…?…

…きがついたらここにいたの。さっきめがさめて、まわりをみたけど、ここはしらないばしょ。じぶんのことも、わかんない。ふふっ…

…ナニガ、オカシイ?…

…だって、あなたとわたし、からだのおおきさとか、はなしかたとか、こえとか、ぜんぜんちがうのに、おなじところがあるから、なんだかおかしくて…

…ソウ…カ…

…それとね。あなたといると、なんだかおちつく…。さっきまですごくこわかった、そんなきがするのに、いまはむねがあったかい…


---[03]---


…シヲ、タダマツダケノ…ミ…ダッタガ、ヤクニタテタノナラ…ヨカッタ……

…し?…

…ワレハ、ソノセイヲ…オソカラズオエル…。

 神は自分の事を、そこに確かにいる者へ、届くようにと言の葉にゆっくりと乗せていく。

 もう目はほとんど見えず、目の前にいる誰かすら、ぼやけて影しか見えない事を。

 もう体を起こす事さえままならない事を。

 世界を渡り続け、最後にここへたどり着いた事を。

 目の前の誰かは、神の言の葉を遮る事なく、ただ聞き続けた。

…オマエハ、ジブンガ…カエルバショヲ、オボエテイルカ?…

…ううん、おぼえてない。どうして?…

…シガチカクトモ、ワレノモツチカラハ…キエタワケデハ…ナイ。オマエホドノ、チイサキモノナラ、バショサエワカレバ…ドコヘナリトモ、オクッテヤレル……


---[04]---


 目的を忘れたが、その身1つで世界を渡り続けた身だからこそ、孤独を知っていた。

 故郷が何処か思い出せぬから…帰る事ができないから…、その喪失感を知っていた。

 先の無い身だけで全てを終えるのなら、その孤独も喪失感も、抱えて持っていけるが、何の巡りあわせか、自分の目の前には先の有る者がいる。

 いや…、神だからこそ、世界を巡る力を持つ竜だからこそ、この者はここにいるのだろう。

 目の前にいる誰かは、死を間際にした幻覚幻聴かもしれないが、そこに誰かがいるという実感だけが、神を動かした。

…もとのばしょ…。おぼえてないし、りゆうはわからないけど、こわいから…おぼえてたとしてもいいたくない。かえれたとしても、かえりたくないよ…


---[05]---


…ソウカ…。ダガ、コノママデハ、オマエハ…ヒトリニナル。コンナ、ナニモナイバショデ……

…いいよ。こんなあったかいのひさしぶり…なきがするし。わたしは、あなたとあえただけで、まんぞく……

 その声が震えた。

 怖いからと口にした時には無かった変化だ。

 この者は、記憶は無くとも孤独や喪失感、1人でいる事の辛さを知っているのだと、神は悟る。

 なら…と、神は口を開いた。

…ワレガ、モウスコシダケ…ソバニイヨウ……

 そうして、自らその死へと向かう体を捨て、魂となった自身をその小さき体に移す。



「それが、その身に竜を宿した最初の天人にして全ての祖である…か」


---[06]---


 書蔵館にて、僕は世界を知るならまずは歴史から…と思い、それ関連の本へと目を通していた。

『あなたは何を読んでいるの?』

 そこへ、何冊かの本を持ってリータ君がやってきて、僕の横に座る。

「あ~、この世界の人の始まりをね。いくつか。まず手始めに絵本風の軽めなモノから読んでいた所だよ」

「絵本て…。それは何か有力な情報になる?」

「絵本は、子供へ簡単に物事を教えるための本だよ? まぁ確かに娯楽としての本も多くあるけど、勉強のための絵本だって少なくない。今読んでいたのは、ここがこういう世界なんだと仮定するために大切なモノだ。ざっくりとしてはいるけど、わかりやすく飲み込みやすい」

「なるほど…。まずは取っ掛かりを見つけるって事ね」


---[07]---


「うん、そういう事」

「じゃあ、そのやり方になぞらえるなら、私のやり方は間違いね」

 そう言って、彼は自身が持ってきた数冊の本へと視線を落とす。

 目の前の机に置かれた本は、辞書とまでは言わないまでも、参考書のように分厚い。

 ゲームの攻略本程度には厚みがある量だ。

「ま、まぁ、やり方は人それぞれだと思うよ」

「・・・そうね。それで? この世界はどんな世界だったの? その絵本の話だと」

「え、あ、あ~、それはね」

 僕は、見やすくなるようにと、いくつかの本を開いて、彼に近づける。

「あくまでこれらの本の話だけど、まずこの世界は「天人界」て呼ばれてるみたいだね。現実で言う所の地球…みたいなものなのかな。向こうは星の名前だから違う気がするけど」


---[08]---


「夢の名前が天人界って事でいいよ。にしても、天人…なんて、妙に高い所に立ってるような名前ね」

「本曰く、全ての始まりたる竜の降り立ちし場所であり、その生を終えた神聖な世界、その竜の魂を授かったモノの子孫である自分達は、最も天に近しい人である。よって、我々は天人であり、我々が住まう世界は天人界である…だそうだよ」

「なるほど」

「この「天」て言い方がなかなかに意味深だと思わないかい? 天使とかそういう意味にもとれるし、竜だからこそ天から舞い降りたものの子孫としての天だったり、単純に天…空…上の人…神様…からの天神…それに近しいからこその人…天人。まぁこのどの本でも舞い降りし竜を神と呼称しているから、天より舞い降りし神…天神の人…天人…て言う方がしっくりくるかな」

「天より舞い降りし神の作りし人、すなわち天人。その天人が住む世界だから天人界」


---[09]---


「その話を前提に考えてみると、途端に自分達の存在が神秘的なモノに感じられてくるよね。魔力なんてモノを操って、いろんな力に変える、まさに非現実的な事を可能にする力を有した人、なんだか、信仰めいたモノを感じてしまうよ」

「皮は信仰する対象で、その中身が信仰者って? 随分と規模の小さい宗教ね」

「あはは…、宗教とまでは言わないけどさ。でも単純な超人としか見ていなかったモノに神秘的なモノが付加されたんだ。それっぽい事を感じてしまうじゃないか」

「まぁ言わんとしている事はわかるけど。後はその内容が真実かどうかね」

「それは断言できないしモノにもよるけど、絵本は結局のところ、さっきも言ったように、小さい子にわかりやすく物事を教えるためのモノだ。例えば、亀を助けて最後にはお爺ちゃんになる話、あれは困っている人を助ければ良い事があるかも…と教えてくれるし、楽しいからとそればかりをやっては時間だけ使って色々なモノを失ってしまう。ダメだと言われた事をやっては、自分に良くない事が起きる…とか」


---[10]---


「そういう解釈の仕方もあるかもね」

「確かに人それぞれ受け取り方はあるかもしれないけど、実際にそう理解して、その理解した事を子供達に伝えるのは読み手の大人達だ。だから絵本だからと馬鹿にはできない」

「そうね。じゃあ、その絵本もあながち間違いじゃないのかも」

「まぁあくまで取っ掛かりだよ。ざっくりとしたモノを理解して、その後のちゃんとした説明を歴史書とかで補完する…、そんな形…流れで良いと思う」

「なら、その補完を私がやるという事かしら?」

 彼は本とにらめっこをし続ける。

「そこは各々適材適所だと思うよ」

「ならそのままで。その着眼点で攻め始めたのはあなただし、このまま行きましょう」


---[11]---


「そ、そうかい? じ、じゃあ、新しい本を持ってくるよ」

「うん」

 読み終わった本を小脇に抱えて席を立つ。

 吹き抜けの一階中央、そこに訪れた人たちが本を読むスペースが設けられていて、それに加え、各階でも本棚の前とか、吹き抜けに面した部分に、そう言ったスペースがある。

 彼、リータ君は、まず各階に足を延ばし、どんな本があって、それらが何処にあるのか、それを見て回っていた。

 三階建てのこの建物だが、書蔵館という名前だけあって、その本の数はなかなかに多い。

 それをサラッと目に通すだけでもそれなりの労力がいる事だろう。

 僕はと言えば、そんな中で一階の近場の絵本コーナーで物色と来た…。


---[12]---


 いや、その行動自体、僕は間違っていないと思うし、絵本である以上対象の年齢は幼児たちであって、一階のわかりやすい場所にそれがあるのは当然、彼の何故絵本を読むのかという質問に対しての答えも、嘘を言っているつもりはないのだ。

 真面目さで言えば、こちらも手伝うといった以上本気。

 それでも労力の差と言えばいいか、それのせいもあって申し訳なさが込み上げてくる。

 調べる上で、近場から…というのもアリな話だと思うけど、貴方はそんな楽をして…とか思われたりしないだろうか…。

 というか、ここだけの話、彼は…彼で…、夢の外…現実で男だとわかっているけど、しゃべり方とかその容姿が女性であるせいで、一緒に居ると緊張してくる。

 その仕草まで女性のソレに見えてきた次第だ。

 自分から積極的に女性と接してこなかった弊害が、こんな所で出てくると、一体誰が予測しただろう。


---[13]---


 いや、誰もこんな予測は建てられるはずがない…、絶対。

 ため息交じりの息を吐き、持っていた本を棚へと戻していく。

 夢の世界とは言え、なかなかに凝った設定を有する世界、この世界がもし作られたモノなら、それを作った存在は、相当な凝り性だろう。

 僕にこの世界を与えた存在、恐らくあのミイラのように骨と皮しか残っていないかのような、そんなリータ君が怪物と呼ぶ存在が作った世界だというのなら、幾分かのシュールさを感じずにはいられなかった。

 でも、僕の知るその存在…怪物と、リータ君にこの世界を与えた怪物は恐らく別物、なら何体いるかわからないその怪物たちが作った世界?

 それか僕たちがこうやって調べようとしたからこそ、急いでこんな場所を用意したのか?

 何にせよ、あの容姿の怪物たちが、会議用テーブルを囲って、ああしようこうしようと、話し合っているような光景が頭を過り、感じていたシュールさにさらなる磨きが掛かった。


---[14]---


「ふふっ」

 自然と笑みが零れる。

 彼と会った事の影響か、僕自身、まだ笑う事ができるというのが驚きだ。

 昼間という今の時間的な要因ももちろんあるだろうし、人が多くいる場所にいるという事自体も、僕には心を落ち着かせる理由になったのかも。

 今までガッチガチに固めて封をしていた扉が開いたような、そんな気分だ。

 まぁそれは置いておいて、この世界…天人界の秘密…か。

 どこぞの水の都みたいな世界、それは現実でもあり得る形であるから、なんら不思議はない。

 もし、他に異常なモノがあるとするなら、やっぱりあの大きな木かな。

 今度はその木にまつわる本があればと、僕は本の背表紙を眺めていった。

 内容はどうあれ、目に付いた本を取り、リータ君のいる席へと戻ろうとした時、誰もが、本棚を見るか、席について本を読みふけるかする場で、どちらにも目を向けない後姿が目に映る。


---[15]---


 2人の少女の後姿、両者とも本ではなく人を見ている様子で、その視線の先は、僕が戻ろうとしている場所。

 そして、何故か2人とも近くの本棚に隠れるように、体を本棚に寄せ、お互いが横に並ばない様にと、1人がしゃがみ、1人がそこへ覆いかぶさるように立っていた。

 まさにその姿は、隠れている…と言って差し支えないだろう。

 極めつけはと言えば、覆いかぶさるように立っている少女の髪型が、ここへ一緒に来ているリータ君と同じである事だ。

 長い髪をポニーテールにして、その垂れた長い髪の先をポニーテールの根元に結び、輪っかを作るような髪型。

 なかなかに変わった髪型だし、流行っているという程、他にこの髪型をしている人達を見かけない。

 視線の先には当然リータ君がいる事から、まず間違いなく彼の関係者だろう。


---[16]---


『もう…、あなた、なんでちゃんと見ていないのよ?』

『仕方ないだろう? こういう場所に来ると眠くなるんだから…。僕の柄じゃない…』

『む~…。だいたい、貴方が暇だから付いて来るって言ったんじゃない。だったら頼んだ事ぐらいちゃんとやってよ』

『知らないよ、そんな事。暇だったからついてきたけど、まさか行き着いた先が書蔵館なんて…。入る前から眠気が襲ってきたし、そんな時に厠に行きたいって言ったのはそっちだろ?ただでさえ眠くなる場所なのに見張ってろなんて…、絶対無理』

『か、厠は仕方ないじゃないっ! 私の意思じゃないんだからっ!』

『はいはい。わかったわかった。それでどうするの? いっその事フェリスに話しかける?』

『それはダメ。私たちはあくまでフェリスに悪い虫がつかない様に見張る事が目的なんだから』


---[17]---


『悪い虫って言うけど、そもそも大人連中なんて皆信用できないじゃん。周りの連中、皆そうだよ?』

『ならなおさらよ。フェリスと一緒に来た男だって、何をするかわからないわ』

『いやいや、それこそ心配する必要ないだろ。フェリスだぞ? 下手な男は何をしようとしても返り討ちだって。何かされてもやり返さなかったら…、つまり…その~…、と、とにかくそう言う事だろ』

『不潔よ、不潔だわ』

 現実の図書館とかと一緒で、基本的に皆が皆、無言で自分の目的を遂行している場所。

 でも、それが絶対ではない。

 独り言とかたまに聞こえてくるし、本を複製するというだけあって、本を求めてきている子連れの人も見て取れる。


---[18]---


 だからこそ静寂に包まれている場所ではない。

 それでも、ここは静かにする場所…という意識を皆が持ちあわせているから、聞こえないモノは聞こえない、それなりに静かな場所だ。

 だからこそ、そんな場所で軽く口喧嘩に発展しているような口論をされては、目立たない訳がなかった。

 僕は近くに居るから、その話の内容まで聞き取れるけど、距離的にリータ君がその話を聞く事ができているかどうか…。

 距離にして20~30メートルほど離れた距離、話声は聞こえていても、内容まではわからず、うるさい人がいるな程度かもしれない。

 知り合いだというのなら、隠れるなんて事をせずに、リータ君の所へと行けばいいのにと思うけど、話の内容的に色々な意味でソレは無理なのだろう。。

 隠れる理由は話の内容から、ある程度はわかるけど、そのためだけにここまで来るかな…、普通。


---[19]---


 子供の行動力は馬鹿にできないとか?

 子供がいた事は無いし、その辺は想像で補うしかない。

「き、君達」

 まぁやましい事がないのなら、監視なりなんなり彼の横に座って直接やればいいと思う。

 とりあえず、この子達に疑われるような、やましい事をリータ君にはしていないし、やらないと、胸を張って言える。

 だから声を掛けたんだけど…。

『『ッ!』』

 掛け方の問題か、驚きのあまり、2人の体がビクッと跳ね、振り返ってこちらに向けてきた目は、すごく僕を睨んでいた。

 まるで親の仇でも見るかのように、視線で殺すを実践でもするかのような、そんな鋭さがある。


---[20]---


 そんな視線を向けられるような人間じゃない…とは、周りが忘れているとはいえ断言はできないけど、少なくとも彼女達にそんな目をされるような理由はないはず…。

『え? ちょっ!?』

 無言で睨みつけられるのが不安でしょうがなく、ぎこちないけど愛想笑いを浮かべた時、視界に影が映った。

 立っていた変わった髪型の女の子の驚く声が聞こえた…そんな気がしたけど、それを頭が処理するよりも早く、僕の頭は稼働を停止した。



 バタンッ、そんな本を落とした時の音とはちょっと違う、ただただ違和感のある音が後ろから聞こえ、私は思わず振り返る。

 さっきから、誰かの話声が聞こえてきて、集中しようにも意識が散漫になる事が続いていた中でのコレだ。


---[21]---


 何が原因か、ここにいる人間として知る権利がある。

 それに、こういった場での話声はマナー違反、良くない事の典型、騒々しくしているのを誰も止めないというのなら、そいつらの今後の為にも私が行くしかない。

 ため息交じりに席を立ち、騒々しい元凶の中心へと足を進める。

『ちょっと、何やってるの!?』

『いや、いつもの癖でつい』

『つい…で、人の顔に全力の蹴りを入れる、普通?』

『他は知らないけど、私はやってるぞ。ちなみにフェリスにも初めて会った時にやった。でもあいつ、普通に防ぎやがってさ。あの時は、ふざけんなッ…て思ったけど、今思えは当たり前だよな』

『フェリスがすごいのは当然よ。だって強いんだから。・・・て、話をすり替えないの。どうするのよ、コレ。この人完全にノビちゃってるじゃない』


---[22]---


『どうすっか~…』

『周りの視線も集まってきちゃってるし…、いっその事戦略的撤退をした方が…』

「この状況で逃がすとでも思ってるの?」

 他がやらなければ自分が…そんな正義感を抱いてきたけど、その光景を目にして、呆れも一瞬で通り超した。

 これは、誰もやらないから自分が…ではなく、むしろ私がやらなきゃいけない、正義感ではなく、義務感を抱かなければいけないモノ。

 2人は私の声にビクッと体を震わせ、恐る恐るゆっくりと、こちらに顔を向けた。

 シュンディとフルート、見慣れた少女2人は、いたずらがばれた子供がごまかす時にするような、ぎこちないはにかんだ笑顔を、私に向ける。

 肩が上下する程…、深いため息が漏れた。

 私はそんな2人の姿を一瞥して、その横を無言で通り過ぎる。


---[23]---


 どこのどいつかも知らない相手なら、静かにしてくれの一喝で済ませる所だが、それが身内なら話は別だ。

 今後も長く付き合う相手なればこそ、もう少し灸をすえる必要がある。

 2人が自分に懐いてくれているのなら、その好感度を十二分に利用させてもらおう。

「おい、大丈夫か?」

 私は仰向けに倒れたヴァージットの横にしゃがみ、その頬を軽く叩く。

 しかし彼から返ってくるものは何もない。

 完全に意識を失っていた。

 鼻血こそ出ていないが、その鼻を中心に、顔面に残る赤くなった痕、それを見て初めて孤児院を訪れた時の事を思い出す。

 防げはしたけど、あの時のシュンディの蹴りはなかなかに強烈だった。


---[24]---


 それを顔にクリーンヒットされては、私でもどうなる事やら。

 運が無かったな、ヴァージット。

 彼が読もうとしていたであろう本を小脇に抱え、その糸の切れた人形のような体を、肩に担いで、私は書蔵館のスタッフの下へと向かった。

『フェ…フェリス?』

 その言葉に応えてあげたいという気持ちはあれど、それはダメだと親心にも似た感情が引き留める。

 揉め事は収まった、こいつを寝かせて置ける場所はあるか、スタッフに状況の説明を入れ、彼らの休憩室を借りる形でヴァージットを横にし、衛生術士の人間を呼ぶという事で、後の事を任せた。

 自分が使っていた席へと戻り、小脇に抱えた本をテーブルに置く。

 私の正面に腰を掛け、こちらの様子を伺う少女たちは、まさに落ち込んでいるという様子。


---[25]---


 本当の悪ガキだったら、ここで起きた事なんて周りに押し付けて、この場をさっさと退散するだろう。

 それをしなかったこの子達は、問題を起こしてしまいはしたが、悪い子ではない、この場にいるという事はつまりそう言う事だ。

 なんて事をしたんだ…と怒鳴りつけるつもりは毛頭ない、躾をしなきゃいけないな…と手を上げる事だって、当然するつもりもない。

 少女たちの自分への好感度を利用するのは、正直心苦しいが、使えるものは使わなければ。

 躾は、自身が嫌われる事を覚悟して、その子達に正しい道を歩かせる事。

 それは自分の兄弟とか、息子娘とか、そう言うのは関係ない。

『『ごめんなさい…』』

 震え、怯え、振り絞すように自分に告げるその言葉、心を叩かれるかのように傷むモノがあるな。


---[26]---


「それは誰に対して?」

 まさか、調べ物の為に来たというのに、知り合いに説教をする羽目になるとは思わなかった。

「・・・、あの人を蹴った事とか…、勝手についてきた事…」

 フルートが、チラッと自分の横に座るシュンディを見てから、何が悪いのかを話す。

「そう…。・・・蹴ったのはフルートではなくシュンディだと思うけど」

「んぐ…」

「シュンディは自分がどうすればいいか、わかってるわよね?」

・・・コクコク。

 こちらの様子を伺う様にチラッチラッと、視線を向けるシュンディは頷いた。

「はぁ…」


---[27]---


 彼女と普通に話をできるようになったのは嬉しいけど、こんな事を話す為じゃない。

 そんな残念さを感じつつ、私は一番の問題であるフルートへと視線を移した。

 ヴァージットを蹴った事だけなら、限度を知らない子供の標的になっただけだと言い訳できるけど、彼女の場合、立場的にここに来る事自体問題だ。

 私の配慮不足、考えが至らなかったミス。

「ごめんなさい…」

 用事があるから今日は一緒に居られない、そう少女に言うだけでは全く足りなかった。

 まるで世間の常識の外にいるペットと同じ行動、こちらの都合は関係なく、私と一緒に居たからとついてきたソレそのものだな。

 ペットだのなんだの、それらの言葉はさすがに酷いと思うから、本人に言う事は出来ないけど。


---[28]---


「ごめんなさい…、ごめんなさい…。ちゃんと反省するから…、私の事、嫌いにならないで…」

 少女は、フルフル…と、その小さい肩を震わす。

 怒ってはいるけど、責めてるつもりはないんだが、まるで何かに怯える小動物だ。

 いや、彼女のこれまでの事を考えれば、怒るという行動自体がアウトと言っていい行動か。

 普段から、シュンディ達と変わらない様に見えていたから、それ相応の接し方をしていた。

 差別なく平等にと思っていたけど、だからこそ、少女の特異性が意識から外れていたらしい。

「・・・はぁ…。ごめん。私も言い過ぎたわね。あたなが分かっているのならいいの」


---[29]---


「私の事、嫌いになった…? もう顔も見たくない…? いい子にするから、お願い、嫌いにならないで…」

 できる限り、優しい声で話したつもりだったけど、一度怯えてしまった心の揺れは、その一言では温まる事は無く、少女の様子は暗いままだ。

「大丈夫。嫌いにはなってないわ」

「ほんと?」

「ええ」

「よかった…」

 できる限りの笑顔を贈り、少女もまた私にぎこちない笑顔を返す。

 そして、その頬を伝う涙の跡を、持っていたハンカチで拭きとってあげる。

「でも、怒ってない訳じゃないからね」

「「んぐ…」」


 落ち着いてきたその場では、2人からの質問に答えるばかりで、調べ物どころではなくなってしまった。


---[30]---


 その後、ヴァージットが目を覚まし、衛生術士にも診てもらって、問題ないという事でこちらと合流したけど、その様子にはいささかの違和感を感じる。

 その時の彼は不自然な程、落ち着いていた。

 さっきまで心なしか感じていた震えが無くなり、シュンディ達にも大人としてしっかりとした対応をしていく。

 あれだけ怯えていた奴が、気絶するような出来事があったのに、それができるだろうか…。

 私が護衛も兼ねているとはいえ、その効力なんてたかが知れている。

 彼が私と同じ仕組みに準じているなら、今のヴァージットに、利永栄作という個人は入っていないのだろう。

 だからこそ抱えていたモノが、彼がいなくなった事でなくなったと見るべきだ。

 確証はないし、私も現実と夢を行き来する仕組みのイレギュラーに遭遇している。


---[31]---


 だからこそ、疑いは晴れないが、正常にそれが機能していると仮定して、今日の予定は破綻する事となった。

 このまま調べ物をしてもいい、今の彼が皮だけの存在だとしても、ここに来た目的は理解していると思うし。

 でもその皮だけの状態が、どこまで自由なのか、それは想像つかないから、下手に予定を継続するのは危険だとし、調べ物を止め、適当に本に目を通しながら、孤児院の子供達に対しての土産としていくつかの本を複製してもらって、私達は帰路に着いた。

 空が赤く染まっていく夕焼けを浴びながら、先にシュンディとフルートを孤児院に帰して、皮だけとはいえヴァージットを家へと送り届ける。

「はぁ…」

 相変わらず思う様に事が進まない夢だ…と、その不自由さにため息をつきながら歩く孤児院への道すがら。

『リータさん?』

 私の前にはヴァージットの嫁であり、彼が狂気に触れた要因の1つであるフラウの姿があった。


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