第六章…「その夢見る子のノイズは。」


「・・・ッ!?」

 寝ぼけて飛び起きる時のように、私は仰向けになっていた体を勢いよく起こす。

 まるで、テレビの電源を落としたかのように、私の意識はその他諸々と共に闇に落ちた。

 そんな馬鹿な…、それは困る…、その一瞬の間に何とか意識を保とうとしたけど、私の願いは何処へやら…。

 意識を保とうとする余った力が、今の体を起こす力となった。

 場所は…、借りている孤児院の一室。

 もはや見慣れた光景だ。

 日の出直前、暗いながらに窓から見える空は、朝の訪れを知らせるように、青く染まる。

「・・・」


---[01]---


 とにかく、状況が分からなかった。

 あるはずの時間、過ごしたはずの時間、それらがカットされ、意識を失う瞬間と今起きた時の瞬間が繋ぎ合わされたような…、編集されたような記憶。

「どうなって…」

 此処が何処なのかはわかる、それ以外でわからない事が多いから混乱している訳だが、まずは少しずつでいいから、整理していかなければ。

 あの時、あの路地にいたのは、男と、こと切れた女性、私と…エルン、そして私の後ろに現れた何か…。

 掴まれた肩の感触や、耳にかかる息のような冷たい空気。

 私にとっては、意識的に数十秒前にあった出来事だからこそ、その感触は体にも記憶にも、鮮明に残っている。

「訳がわからん」


---[02]---


 夜になったばかりだったはずなのに今は早朝で、現実で過ごした時間も記憶にないから、なおさら時間的感覚は壊れた時計のようにズレている。

 後ろに現れた何かと、あそこにいた男、そして女性は、誰なのかわからないし、今から探すのは無理だろう。

 まずは知った人間、エルンを探して話をする所からか…。

「ん…」

 今まで寝ていたとは思えない程、頭は混乱のせいではっきりとしていて、むしろ起きてから何時間も経過したかのよう。

 だから起きたばかりによくある、ベッドから出られない…出たくないという、邪魔な思考は無かったけど、それとは別に出ようとする私を止める存在が居た。

 一人用のベッドのはずなのに、私のベッドは毎朝窮屈極まる。

 私の右手にはフィアが、左手にはフルートが、足元には犬のように丸まって尻尾をベッドの外に投げ出したイクシアが…。


---[03]---


 各々は自分の夢の世界を満喫するかのように、可愛らしい寝息を立てる。

 私としてはやましい事をするつもりもないし、悪い気もしないから、あ~だこ~だと皆に注意をしていないけど、今みたいに身動きがしづらかったりすると、さすがに考えてしまうな。

 とにかく、皆を起こさない様に、出来る限りベッドを揺らさず出て行く。

 こんな事が毎日のように続くモノだから、いらない特技が増えそうだ。

『ん? ・・・、ふぇり…?』

 だがしかし、その特技はまだ熟練した技とは言い難い。

「フルート、まだ早いから、ゆっくりお休み。私はトイレに行くだけだから、すぐ戻るわ」

「…うん…」

 私の気配に気づいたフルートが、目を擦りながらこちらを見るが、付いて来られても困るから、まだ寝ていてと願いながら、再び眠りへと誘う。


---[04]---


 そんな少女から再び寝息が漏れ出した頃、私は部屋を出た。

 エルンもまた孤児院に部屋を借りて、こちらと本土で交互に生活をしている。

 私がそうだったように、彼女にも同じ事が起きているのなら、目を覚まして同じ混乱を抱えているだろう、いや…、それは予想というより、希望に近い。

 彼女もそうであってくれという希望。

 同じ疑問、不安、それらを共有できる人がいてほしいという希望だ。

 エルンの部屋の前に来て、控えめにその扉をノックする。

 彼女はしばらくこっちにいるはず。

『は~い』

 そして中から聞こえてくる声は、いつも聞いている聞き慣れた声、この時ばかりはその声が聞けただけで、ホッとする。

 それはもう、迷子の時に親を見つけた時のような、そんな安心感…。


---[05]---


「私、フェリスだが、今いいか?」

『フェリ君? 構わないよ、入りたまへ』

 部屋主の許しが出た所で、その中へと入る。

 薄暗い部屋の中で、小さな明かりを頼りに机に向かうエルンの姿、そこには混乱などの感情はない。

 淡々と今の今まで仕事をしていた人間のソレだ。

「それでどうかしたの? こんな時間に」

「どうかというか…その…」

 そんな彼女の落ち着いた対応に、違和感しか感じない。

 私がおかしいのか?

「ん? いつもの君らしくないねぇ。寝ぼけてるのか? まぁまだ暗いし、そういう時間ではあるけど」


---[06]---


「いや…その、さっきの事なんだけど」

「さっき? それはいつの事かな?」

「いつって…それは…」

 言葉が詰まる。

 明らかに、エルンは自分と同じ問題に直面してはいない。

 それだけならまだしも、あの男女と正体不明の何かに関しての出来事、その全てが無かった事になっているような感じさえする。

「・・・」

「ん~、怖い夢でも見たかい? それがすごい現実的で、夢と現実がごちゃ混ぜになっているかな?」

「それは…、どうなんだろう…。わからない」

 現実にとても近い、世界が違うだけの現実とさえ思う様になってきた夢だから、夢と現実がごちゃ混ぜになってきている…その指摘はあながち間違っていないのかもしれない。


---[07]---


 でも、今の問題とそれは別だ。

 入ってきた扉にもたれかかり、右手で額を抑える。

 熱とかそういった体調不良は、今の所ない、感じない…、無いと…思う。

 夢なんだからおかしな事の1つや2つ、起きた所で何にもおかしくはない。

 それをおかしいと思い始めた私がおかしいんだ。

「エルンの言うように、ちょっと頭が回らなくて…」

「最近の君は、戦闘訓練を頑張ってやっているからねぇ。その疲れが出てきたかな。後は、就寝時の環境。あれじゃ~、正直疲労の溜まった体を休めるのは厳しいよ」

「疲れとかは、まぁそうなんだけど。寝ている時の環境は、私にはどうする事も出来ない。というか、わかっているならエルンの方からも、あの侵入者たちに注意をしてよ」

「あはは、それはいやだねぇ。あのギュウギュウ詰めの寝姿、見ていて飽きないし」


---[08]---


「・・・、そう…」

「それで、少し言葉を交わしてみて、頭の中は落ち着いた?」

「どう…だろうね」

「そんな弱った雰囲気を出されるのは、治療術士として見過ごせなくなるんだが。何があったんだ? 君をそこまで追い詰める夢とは何かな?」

「何があったか…というのは、なかなかに説明しづらい」

「もったいぶらなくていいのに。お嬢ちゃんどんな怖い夢見たのかな? ここにはそんな怖いモノはないから安心しておしゃべり?」

「むぅ…、なんかむかつく言い方だな」

「あはは、ごめんごめん、じゃあふざけるのはこのぐらいにして、君の事を心配しているのは本当だから、何かあったのか教えてくれると助かる。今後のためにね」

「・・・」


---[09]---


 エルンのおふざけモードは終わったか?

 いや、ここで疑っててもしょうがない。

 彼女の事だし、人の生き死にでふざける事は無い、あるはずがないと私は思う。

 だから本当にあの事を覚えていないんだ。

 それか、本当にそんな事なかったか…。

 なら教える事をこまねいていたって意味が無いし、何も前に進まない。

 意を決して、私は口を開く。

 男の事を、倒れていた女性の事を、そして正体不明の何かの事を…。

「昨日、確かに君と一緒に帰ったが、そんな事あったかな? あったとするなら、それを忘れる事なんて、普通だったらあり得ない」

「私としては、それが昨日かどうかすらわからない程混乱しているけどね」

「まぁここ最近で君と帰ったのは昨日だけだから、間違いないよ。最近は色々と疲れる事も多かったからねぇ。色んなものが夢でドバっと流れたせいで、頭が処理しきれなくなったのかな。まぁなんにせよ、人が死ぬような事があったら、それは当然一大事。否応なく、その辺の話は耳に入ってくるだろうさね。今はとりあえず休むことをお勧めするよ。それと一応君が抱いているであろう…私がその事を覚えているか…という疑問、残念ながら答えはいいえだ」


---[10]---


「そう…、ありがとう。こんな時間にごめんなさい」

「いやいや、いいよ。今回のは事情が事情みたいだけど、君が私を頼って来てくれるという形は、とても気分がいい。これからも存分に頼ってね」

「うん。できる限り…ね」

 私はお礼も兼ね、エルンに軽く頭を下げて、部屋を出た。

「はぁ…」

 朝からテンションだだ下がりだ。

 当てにしていたエルンが、何の問題もなく、異常を感じていない。

 正直、勝手ながらショックを感じずにはいられないな。

 こうなるとは思っていなかったから、この後どうするかを考えていなかった。

 こんなに頭の中がごちゃごちゃで、気持ち悪いぐらいの不完全燃焼状態では、またベッドに入った所で眠れるとは思えない。


---[11]---


 だから、部屋に戻った私は、嫌いじゃない窮屈なスペースに潜り込む事はしなかった。

 物音を立てない様に、細心の注意を払いながら、自分の装備を取る。

 寝間着姿から普段着に着替え、鎧なんて着こんでいけば音が立つからと、壁に立てかけてあった剣を取るだけに止めて部屋を出た。

 両手剣の納まった鞘の革紐を肩にかけ、ベルトの左側に短剣を取り付ける。

 普段は鎧を着た上で、それらを身に着けるものだから、体は軽いような重いような…複雑な感じ。

 あと、なんかスースーする、体全体が…。

 暗闇にすっかりと慣れた目、朝日のおかげで明るくなってきた空、それらが合わさって、昼間と大差ない程によく見える。

 孤児院を出て、問題のあった路地へと足を延ばした。


---[12]---


 あの男…女…、当事者が誰かわからない以上、私が今確認できるモノ、心当たりがあるモノは、その路地だけだ。

 水路を流れる水の音に、コツコツと地面を打つ私の靴の音だけが辺りの音を支配する。

 現実なら、もう生活音が聞こえて来てもおかしくはない時間帯でもあるが、ここでは食事が簡略化され過ぎているというか、もはや料理とはいえなくなっているから、時間をかける必要がないし、この時間から仕込みやら何やらする必要もない。

 だからこそ、現実以上に静かだ。

 というか、現実だったら車やら何やら、そう言った生活音以上に騒音の元があるから、余計にうるさく、こちらは余計に静か。

 その静かさが、今回ばかりは怖いと感じもする。

 ホラー映画とかホラー番組とか、そういうのを見た後、夜中に暗い中を歩いてトイレに行くのが怖いのと同じだ。


---[13]---


 まぁそれと比べちゃうと、今回の恐怖体験はその程度なのかと思えてしまうな。

 夢なんだからと割り切ってしまえば、怖いという感情もなくなるのかな…、いや、それもまた違う、そういう事じゃない、そうじゃないんだ。

 この夢はそんな割り切り方をできるようなモノじゃない。

 結局、問題となった路地に着くまで、答えのない自己問答を延々と繰り返す羽目になった。

 一呼吸置いて、私はその路地へと入っていく。

 私の立てる音以外、誰かがいるかのような音はしてこない。

 何かがいるという気配もなく、そこで殺人があったという事を証明する痕跡すら、見る事ができなかった。

 拍子抜け…とも言えるけど、それは同時に、自分がおかしくなっているのかという疑問に、拍車をかける結果にもなっている。


---[14]---


「・・・」

 女性が倒れていた場所まで、足を進め、膝を付き、女性の血が池を成していた場所に手を伸ばした。

 当然そこに血痕と言えるような痕跡はなく、振れた感触も、何の変哲もない地面だ。

 その地面が濡れているという事もなく、本当に何もない。

 怖いというより、落胆という色が強く出た。

「はぁ…」

 何やっているんだろうか…。

 現実で眠りにつけばこの世界に来て、ここで眠りにつけば現実に戻る。

 私としては、現実と現実を行き来しているイメージでもあった訳だが、本当に…、エルンの言う様に夢でも見ていたのかな…。


---[15]---


 こんな環境にいる私が言っても説得力なんて皆無だけど、人が命を落としているのに目撃者が記憶を無くして、そして痕跡もない…なんて、全く持って現実的じゃないもの。

「ほんと、頭がパンクしそうだ…」

 此処には何もない…、このままここに居続けてもしょうがない。

 私はすっかり明るくなった空を仰ぎ、小さなため息をついて路地を出た。

 頭の中のモヤモヤは残っているものの、真意を確かめたいという衝動的な欲求は無くなり、余裕ができて感じる手持ち無沙汰から、左手で剣の柄を握りつつそこを指でなぞり、爪でカリカリとひっかく。

 言うなれば貧乏揺すりのような、感情を制御しようとする時のような感じ。

 まぁ実際、貧乏揺すりには別の理由があるのかもしれないけど、それはそれだ。

「はぁ…」


---[16]---


 一際大きなため息が吐き出された時、私しかこの世界にいないんじゃないかとさえ思える静寂の中、それを犯すかのように雑音が混じる。

「…ッ!」

 軽く添えるように柄を握っていた手に力が入った。

 まるで臨戦態勢に入るかのようだと、自分でも驚く程に。

 全身の毛が逆立つかのような感覚。

 雑音がした方へと視線を向けると、そこにいたのは、男。

 うつむき気味でしっかりと顔は見えないけど、その範囲で見るなら、生気が底をつきそうな程のやつれ顔で、世界に絶望しか見いだせていないかのようなそんな顔。

 人生が狂った時の俺みたいな顔だ。

 まるで鏡でも見ているかのよう。

 そんなオーラを纏った男が、おぼつかない足で歩き、そして目の前の私…いや、男からしてみたら、そこにいるのが誰かなんて、最初はわかっていなかっただろう。


---[17]---


 何かがある…誰かがいる…そう感じた、だから止まった、その程度の反応。

 だから、そいつの反応は薄かった。

 私が道を譲る様に端に寄ってもいい、男が私を避けて通るでもいい、選択肢なんていくらでもあったのにしなかった、いや、出来なかったというべきか。

 男は顔を上げ、お互いがお互いの顔を認識する。

 私が一番驚いたのは、その男が女性の命を奪った男だった事、目が覚めてから寄り道せずにここに来て、そして目の前の男と接触していたら、私はまず事情を聞こうとしたかもしれない。

 しかし、ここに来る前にエルンと会っているせいか、どうせこいつも記憶がないだろう…と、確認したいという気持ちはあれど、行動に出る程熱くはならなかった。

 でも、そんな冷め方をしているのは、私だけだったらしい。

 何の感情も籠っていなかった男の顔が、見る見るうちに驚きと恐怖を帯びた顔へと変わっていく。


---[18]---


 その表情が、記憶なんてない…という結論が、早合点だったのではという希望に変わる。

「ちょっと…」

 何にせよ、私一人ではこれ以上先には進めない。

 記憶があるにしろ、無いにしろ、話をしてみれば分かる事。

 目を覚ます直前、女性の胸に包丁を振り下ろしていた男である以上、危ない人物ではあるだろうし、警戒を兼ねて両手剣ではなく片手剣の方にさりげなく手を伸ばしながら、男の方へと歩み寄った。

 こちらが一歩前に出れば、男は一歩私から離れる。

「あなた…」

 記憶がなくとも、やっていた事がやっていた事なだけに、あの現場が無かった事になっていても、それと同じ事を実行に移しているかもしれない、それかその直前。


---[19]---


 放置していてはいけない問題だ。

「…ッ!」

 さらに一歩前に進み出た時、男は踵を返す。

「ちょっと?」

 明らかに何かを抱え込んでいる行動、私に背を向けて歩き出すだけ、ただそれだけの動きでも違和感を覚えるというのに、こちらの呼び止める声に、男は鞭打たれた馬のように走り出した。

 希望が核心に変わる瞬間…は、多分こんな感じなんだろう。

 明らかに不審な行動に裏があると、確信する瞬間でもある。

「なんで朝っぱらから、追いかけっこなんてしなきゃいけないんだか」

 その場から走り去っていく男の後を追う。

 その結果は、大人と子供の力量さ程の力の差を見せつける。


---[20]---


 不自然な程に遅い男の走り…、いや、現実で見ればむしろ速いのかもしれないけど、その速さはこの世界では通用しない速さ。

 魔力によって身体能力が向上するこの世界では、大人が走る幼児を捕まえる程容易い、それ程の差が私と男の間にはあった。

 すぐに逃げきれないと悟った男は、とにかく必死に、私という恐怖を排除しようと、今度は掴みかかってくる。

 足の速さは大したモノがないというのに、その手に籠る力は大人のソレを越えていた。

「ちょっとっ!?」

 もみ合いになり、体が右へ左へと振り回される。

『あーーーッ!!! ああッ!』

 私が言えた事ではないが、日ごろからここで訓練を受けている身として言うなら、そのもみ合いは非常に見苦しいモノ、少なくとも大の大人同士がする喧嘩とは思いたくない。


---[21]---


 型も何もないそのもみ合いに、逃げられないなら追ってくる存在をどうにかしてしまえという、単純ながら無謀な考えが、男の必死さを物語るようだ。

 しかし、相手がどうであれ、私にも聞きたい事があるし、そんな取っ組み合いにいつまでも付き合う気にはなれない。

 足に力を入れて、足が地面にめり込んでも良いぐらいの意気ごみで、思い切り踏ん張って、同時に歯を食いしばり、自身の額を男の額へと容赦なく打ち付けた。

 頭の中で除夜の鐘を打ち鳴らす光景がフラッシュバックする。

 そんな中で、男の腕をしっかりと掴むと、一本背負いでその背中を地面へと叩きつけてやった。

『ガハッ!』

 やり過ぎたか…と思いつつ、殺人犯かもしれない相手に容赦はいらないと、自分に言い聞かす。


---[22]---


「何も取って食ったりしないわよ? 人の顔を見るなり背を向けるは、声をかければ走って逃げだすは、ちょっと失礼が過ぎると思わない?」

 さっきまでの必死さが嘘のように、男は地面に伏しながら動かない。

 こちらは敵ではなく、やるべき責務があるのだと、男に教えてやろうと口を開くが、こちらもこちらで緊張やら混乱やらが入り混じっているおかげで、頭で考えている事と口から出てくるモノが嚙み合わなかった。

「あ~…、もう…。せっかく落ち着いてきてたのに、あなたが出てきたせいでまたぐちゃぐちゃだ」

 誰のせいだ…全く。

 男はきっかけではあるが、こいつ自身が大本ではないはず。

『あ…あんたは敵じゃ…ないのか?』

「あぁ? 敵か味方かの話で言えば、急に取っ組み合いを仕掛けてきたあなたの敵ではあるけど…いや、その場を離れようとしたあなたを追った結果そうなったなら、こちらに非が…。いいえ、違うわね。敵か味方かを判断するのは、あなたの答え次第」


---[23]---


 というかそもそも敵とか味方とかそういうのとは違う、正直複雑になってしまった関係だ。

「あなた…、人を殺した事がある?」

 回りくどく、そしてマイルドに…なんて、そんな器用な聞き方、今の私にはできない。

 だからもう真っ向勝負、ストレートに問いただす。

 まぁこの聞き方だと、むしろ私の方が殺人犯みたいだ。

 殺人鬼が、お前は人を殺した事はあるか?…私はあるぞ…みたいな、ドラマとかでありそう…、いやないか、そんな陳腐なセリフ。

 でもまぁ私が殺人犯みたいな言い方ってのは、否定はできん。

「・・・。あ…あんたは、覚えてるのか?」

「あなたの言っている覚えている事…というのが、女性に包丁を振り下ろしていた事なら、覚えてる。それがあなたにとって実際にあった出来事なのかどうか、私はそれが知りたいの」


---[24]---


「そうか…そうか…」

 男はこちらの質問には答える事無く、何度も、何度も、納得したように頷いた。

「くぅ…んぅ…」

 挙句の果てには涙まで流して、声を押し殺し始める。

 この男には悪いが、気持ち悪いとまでは言わないけど、ドン引きだ。

 それに、一向に体を起こそうという気配もない。

 倒れた男が声を押し殺して泣いている…そんな状況を誰かに見られたら、痴情のもつれの末の男の駄々こねと思われるか、私がこの男をただイジメているだけの光景と思われそうだ。

 実際地面に叩きつけたのは私だし、イジメは言い過ぎでもそれに近しい状況ではあるんだろうけど。

 何はともあれ、この状況を維持し続ける気にはなれない。


---[25]---


「事情というか、全く状況が読めないんだけど、泣く暇があるのなら説明をして」

 男の腕を掴み、無理やり立ち上がらせる。

 もしかしたら地面に投げたせいで、どこか痛めて立ち上がる事ができない状態になっていたかも…、なんて自分の行動の結果に不安を覚えたけど、そんな事は無く勢いよく立ち上がらせられた男は、若干のふらつきを見せるも、しっかりと自分の足で立つ。

「おおっと…。女性なのに見た目に寄らず、すごい力だな」

「魔力で体の能力、筋力とかは上がっていたら、大の大人一人ぐらい立ち上がらせるなんて、子供を起こすのと同じぐらいの苦労しかない。常識でしょ」

「あはは…常識か…確かに、よく言われるな」

 私と男、その2人の間に常識の不一致を感じる。

 今回のこれは、現地人のこの男が間違っていると思うけど。


---[26]---


「まぁ、そんな事今はどうでもいい。私は世間話をするために強引なやり方で、あなたを止めた訳じゃないわ」

「え、ああ、そうだったね」

「私がまず知りたいのは1つ。あなたはあの女性を殺したの?」

「…そう…だよね。それが知りたいよね。だからさっきから君は、左手を剣から放そうとしない訳だし」

「・・・」

「あ、ああ、ちゃんと君の質問には答える。答えるから、そう睨まないでくれ」

 男はこちらに抵抗の意思はないと言わんばかりに両手を上げる。

 その行動はいい。

 むしろ丸腰の状態で、目の前に得物から手を離さない人間が立っていたら、私だって同じ行動をするかもだし。


---[27]---


 今はとにかく、この男の口調に苛立ちを覚えた。

 なかなかこちらの質問に答えないのもそう。

 そして、さっきまでの口ぶりから言って、エルンが無かったといった出来事は、実際にあった事。

 なら、こいつは殺人犯確定だ。

 私が警戒するのは当然だし、男もそれを理解している。

 そんな状況の中、この男が何にも悪びれる様子が無い事が腹立たしい。

 エルンは言った…手遅れだって…、こいつは人の命を奪っておいて自分が被害者かのように話す。

 それがとにかく許せない。

 どちらが善で、どちらが悪か…そんな話をしたいんじゃなく、命を奪う事に対して、あまりに気にしなさ過ぎている。


---[28]---


 だからこそ、なかなか答えが帰って来ない事に対しても、イライラが募っていくのだ。

「僕が人の命を奪った…か。それは半分正解で、残り半分は不正解かな」

「どういう意味だ。他の人がその事実を覚えていなくて、普通の生活の記憶を持っているからか?」

「他の人? あ~、君と一緒に来たあの女性か。君のその服装に武器、軍の人だよね。ならあの人も軍の人かな」

「…無駄口が多い。こちらの質問に答えろ」

「あ、ごめん。半々である理由は、あいつが人じゃないから…かな。人の命を奪えば人殺しになるだろう。それは僕だってわかってる。でもあいつは…、あいつはそんなやってはいけないモノの枠に収まる奴じゃないんだ」

 こいつは何を言っているのか。


---[29]---


 エルン程しっかり確認した訳じゃないけど、あの時倒れていた女性は確かに人…人間だったはずだ。

 確かにあの時、この男は私達の言葉に反論するように、倒れた女性を人かどうかの言葉を口にしていた。

 でも、何よりあのエルンが確認した訳だし、人かそうでないかを見間違うなんて事、あるとは思えないんだけど。

「はたから見れば、確かに僕は殺した…殺してしまった事に変わりはないのかもしれない。でもそれだって、君も体験しただろう? その殺したという事実は無くなっている。確かに殺したはずなのに、無かった事になっているんだ」

「覚えているかどうかの話は置いておいて、殺人現場を私達がいない間にあなたが片付けたって線も無くはない」

「そう…、普通だったらそう思うだろうさ。でも証拠なんてない。全てが無かった事になっている以上、死体は上がらないし、証言をする人間も一生現れない。現れないはずだったのに」


---[30]---


 私が現れたって?

 私が感じる男への狂気具合がどんどんと、そのメーターを上げて行く。

 自然と柄を握る手に力が入る。

「そ、そんな警戒をしないでくれ。僕は君に危害を加えるような、そんな事をしたくはない。というか、もし僕にその気があってもその目的を遂げられないのは、さっき君自身が僕を背負い投げする形で証明したじゃないか」

「それを信用しろと? それこそ演技をしている可能性だってあるじゃない」

「確かに…そうだね」

「・・・」

 男の目的が何なのか…それが全くわからない。

 仮にあの女性が人じゃなかったとして、ならなんで人と見紛う姿をしていたのか、それを殺しても罪にならない、そもそもその罪だってなかった事になる、だからこそ自由に殺せるって?


---[31]---


 そんなものはただの狂気、殺人犯ではない、殺人鬼、殺戮者の考えだ。

「あなたの目的は何?」

 悪い方へ、悪い方へ、こいつと話をしていると、良い考えなんて全く浮かび上がってこない。

 その悪い考えが、もし真実だったら、それこそこの男の言葉の信用なんて地に落ちる。

「僕の…、目的…?」

 そうなってくれば、得体の知れない何かも、はなからそんな事思っていないが、偶然に遭遇した何かではなくなる。

 次の可能性はそれが、この男とグル、仲間であるという可能性だ。

「目的は…」

 やつれた顔ながら、私が記憶を持っていると知ってからは、少しばかり顔色が良くなっていた男。


---[32]---


 目的を聞くと、その表情は再び闇へと落ちて行く。

「目的は…、この世界を壊す事…、幸福であると思い込ませようとしてくるこの世界を…壊す事だ」

「は?」

 殺人による快楽とか、そういうモノを得る事が目的…と、勝手にそう思っていたモノだから、男のその発言に驚く。

 世界を…壊す。

 どういう意味での言葉だろうか、世界とは何を指しているのか。

「その手段があの女性を殺す事か? 言いたい事はよくわからないし、その女性の死が無かった事になるとしても、命が奪われるというのなら、私はあなたを止めるわよ。その義務がある」


---[33]---


「止めるというのが逮捕ではなく、文字通り僕の命の火を止める…消す事なら、それもアリなのかもしれない。僕は…、この世界での生活が嫌になった。だから壊そうと思ったんだ。でも、この世界から僕がいなくなれば、世界は消えるだろう…。そういう世界なんだ。その方法を取らなかったのは、僕に勇気が無かったから。命を捨てる事、ここでの生活を捨てる事、未練たらたらだったからだ」

 前に会った時もそうだったが、目の前で言葉を、話を聞いている人間がいるのに、こいつは自分の世界に入り込んで話始める、自分だけ話し終えて満足そうにする。

 あの時は極度の興奮状態だったからとか、そういう理由だと思ったが、今もその色が見える辺り、普段からそういう人間なんだろう。

「よく喋るな。言っておくけど、私はあなたを殺さない。人を殺すつもりなんて無いわ。ブループとか、骸カニみたいな怪物ならともかく。人なんて殺してたまるか」

「そう…。結局そういう事なんだね。この世界は僕を殺さない。もし死のうとしても、それすらなかった事にされるのかもね。結局、夢は夢でしかない。僕の思い通りには…ならないか。まぁここで生活してきて、それは嫌ッて程感じてはいたけど、本当に役に立たない」


---[34]---


「は? いまなんて言った?」

 ながながと自分の世界に入り込んで、いつまでもしゃべり続ける。

 だから、途中から聞いてやるのも面倒になり始めてきた時、男はさっきまでと同じ調子でべらべらと喋っていたのだろうけど、その言葉に引っ掛かりを覚えた。

 いや、もはや引っ掛かりなんてレベルではない。

 大雨で流れた土木が橋に引っ掛かり、水をせき止めて水を氾濫させる勢いの詰まりだ。

「これが、この世界が、自分の夢だって?」

「ああ、そうだよ。僕が望んだモノのある夢、世界。他の人にこの事を話しても、そんなことあり得ないと、むしろ馬鹿にされてきたけど、君の反応は随分と違うモノだね。記憶が修正されないし、この世界にも「バグ」はあるらしい。それか、「アイツ」がドジを踏んだか…。でも僕は前者が良いな。前者なら、不測の事態が起きても、不思議じゃないだろう?」


---[35]---


 バグだのなんだの言いたい放題言ってさぁ…。

「この世界が、あなたの夢だって言うのなら、私はなんだっていうの?」

「君が何か? そんなの…夢の中の登場人物である事以外に何があるってのさ。君がこの世界の不具合であるなら、こういう会話の1つ1つが「エラー」の積み重ねになるはず。壊そうとして壊せるものではないモノでも、それは普通の手段であるからで、やり方が規格外の事なら…。規格内で、規格内の行動を取った所でソレは問題にならない、なら規格外の行動を行えば、そこに生じる塵のようなエラーも、積もり積もれば処理しきれずデータを破損させる。それはまだ試した事が無い。それでこの世界から解放されるなら…僕は…」

 水を得た蛙か?

 この男のやつれ顔は、早々治る事は無いだろうけど、その目に籠る光は、明らかにその強さを増していた。


---[36]---


 希望…、こいつにとっての未来が見えたって?

 そのおかげで疑問がさらに深まったわ。

 聞きたい事が増えた、増え過ぎた。

 立ち話だけで終わらせられる量じゃないだろう。

 たまたまソレっぽい事が、こいつの口から出てきているだけかもしれないけど、それでも聞かなければいけない。

『希望に満ちた顔をしちゃってまぁ…。話を聞いてれば好き放題言っちゃってさ。せっかくもう少しで収穫できるかもって思ってたのに…。これだから欲張ると損をする…。教訓が生きないなぁ』

ゾクッ…。

 突如として耳に届くガラガラ声、全身の毛が逆立って、私に危険を知らせてくる。

 咄嗟にいつまでも握っていた短剣を引き抜いて、逆手に構え、その場から飛び退いた。


---[37]---


『昨日の今日で疲れているのに…、こう毎日毎日問題を起こされたら堪ったもんじゃない…。ブループなんていう獣のおかげで、作物が大打撃だ。これじゃあ、ここからいつまで育てたって美味しくなりゃしないさね』

 突如として男の後ろに現れ、肩に手を置き、その後ろにたたずむ何か…。

 その身長は、2メートルは超えるだろう。

 ボロボロのマントを身に纏い、骨と皮だけのような手で男の肩を摩る。

 所々腐ったように肉がグチョグチョになっているそいつの顔は、深々と被られたフードのせいで、ちゃんと確認する事も出来ない。

 何とか見える口元は、唇なんてなく、そのほとんどが腐って無くなり、不自然なまでに良い歯並びが、むしろその不気味さを増す要因となっている。

 そして、フードの闇の奥から覗く、光っているように浮かび上がる真っ赤な眼が、まっすぐ、私の事を見据えていた。


---[38]---


「怪物大戦の次はホラーか…。ほんと、最近のこの世界はネタが尽きないな…」

『これじゃあ、こっちの目標が達成できないねぇ。あまりよくない事だろうけど、こういう時は他のとこの作物を拝借するのも1つの手だと思うんだけど、君はどう思うかね?』

「そ…そんな事…僕に…聞かれても…」

『まぁそうだよね。でもさ、そもそも君らの常識から考えれば、他人の作っているモノを勝手に取ったら、それは罰せられるんじゃないのか?』

「そ…それは…」

『いい、いい。今の君じゃ真っ当な考えは出てこないさ。だって…、こんなにふるふると子供みたいに震えちゃって。寒い訳じゃないよねぇ? じゃあなんでかな? 我の事が怖いの? 傷つくなぁ。いつもいつも君の事を見守ってあげてたのに。君の望みが崩れない様に、壊れない様に、君という作物が台無しにならない様に、とにかく親身になって頑張ってあげてたのにさ』


---[39]---


 震えている…か。

 男の震えは、こちらからでも見て取れる。

 急に現れた何か…、その声は私が耳元で聞いた声と似ている…というか、言うなれば、その声の主が声を枯らしてガラガラにした声が、今目の前で男と話している何者かの声だ。

 何の気配もなく、突如として現れたソレ。

 未熟者の私でも、こんな高身長の奴が目の前の人間の後ろに立つのを見落とすわけがない。

 文字通り、目の前のソレは、ポッと姿を現した。

 そういう能力があるのなら、急に耳元で声がしたり、肩に手を置かれるというのも納得ができる。

 そして、その何かと男は共犯…協力関係か何かにあるかと思っていたけど、今の男の反応を見る限り、そうではないらしい。


---[40]---


 今の男は、強者とか、自分より上に立つ者に怯えるそれだ。

 いじめっ子が、下の相手を良いように利用しているようにも見えなくはないけど、今大事なのは得体の知れない何かと男が仲間ではない事だろう。

『一人一作物って決まりでね。数を作るのなら、短期的に、そして効率良く、ダメな時の潔い判断が必要だ。でも我はそういう思い切りの良さが無くてね。作るモノには大なり小なり思い入れってのも感じちまう。だからさ…君の収穫はまだ早いと思って、あれやこれやと手入れをしたつもりだったんだが…。君は完全な早熟だな。早くに完成されてしまって、これ以上美味くならない失敗作。このままいけば不味くなる一方だ。であるなら、少しでも美味い内に食すのが賢明』

「お…終わらせて…くれるのか?」

 男は数歩前に出て、得体の知れない何かと向き合う。

『さぁ…どうだろうねぇ』


---[41]---


 2人?で話を終わらせようとするな。

 男に向かって得体の知れない何かが手を伸ばす。

 何かをしようとしているのは確かで、それをやった後、男がどうなるかはわからない。

 なら、不確定要素が混ざるのは阻止させる、男に用があるから。

 私は地面を強く蹴る。

 その辺の建物の屋根よりも高く、その体を軽々と舞わせて、得体の知れない何かと男の真上へ。

 落下し始める体の勢い、そこから短剣に乗る力を、男へ伸ばされる手に振り下ろした。

 一瞬だけ、堅い何かが当たる感触がするものの、すぐにそれは消えて、私は思った通りの場所に着地する。


---[42]---


 まるで、短剣が斬ろうとした瞬間、その刃が触れた瞬間に、目標が霧のように実体を無くしたよう…。

『いった~い…。急に何なんだ、君は? 何の宣言もなく斬りかかって来るとか、それでも武士か?』

「生憎、私は武士じゃなし、失礼だけどあなただって、そういう武士道精神なんて、欠片も持っていない様に見えるけど? そもそもあなたが、そういう正当性を主張できるような、そんな立場の存在には見えないわ」

『カヒッ…。まぁその通りだ』

「そう…。見た目通りで助かった」

 私はその得体の知れない何か…、確かに斬ったはずなのにその腕に深手を負っていない、追わないような何かしらの能力を有する、もはや怪物のソレに向かって突っ込んでいく。


---[43]---


 いつも以上に意識して地面を蹴り、体重を乗せて少しでも威力を上げて短剣を振るう。

「…ッ!?」

 しかし、今度は少しの感触もなく、私の刃はその体を通過し、それどころか私の体も、その怪物の体を通り抜けて、反対側に出る。

 理由、原理もわからず動揺するが、短剣をしまって両手剣を抜く。

 その間に迫ってきた怪物が、その手を一本の槍のように尖らせて、突き出してくる。

 カンッカンッ!、と両手剣でソレの防御を試み、防げたもののまるで得物同士のぶつかり合いのような音を響かせた。

「ハァッ!!」

 その防御のおかげで、最初の攻撃の感触が気のせいなんかじゃない事が分かり、気負いする事無く剣を怪物目掛けて振るう。


---[44]---


 しかし、その結果はさっきと同じ、見えているのにそこには何も無いかのようにすり抜ける。

 原理、ネタが分からない。

「幽霊じゃあるまいし…」

『幽霊なんて、失礼だな』

 ゲームなり漫画なり、そういうモノに出てくるこういった類の連中の対処法はいくつかある、それらをしらみ潰しに試していくのもアリだ。

 そう思い、再び怪物の方へと向かっていこうとした時…。

…目を瞑った方がいいわよ…

 ゾクッという悪寒と共に、ブループの時に起きた奇妙な現象が襲う。

 頭の中に浮かぶ文字…文章、それを理解した時、目の前に何かが落ちてきたのが見えた。


---[45]---


 その文章を信用するとか、疑うとか、そういう考えを起こすよりも早く、私は剣を握っていない方の手を目元へと持っていく。

 その瞬間…、パリンッという音と共に、目を覆った視線の先が真っ白な世界へと変わる。

『ウガアアアァァァーーーッ!』

 同時に怪物の悲鳴が、耳へと痛い程伝わった。

 真っ白な世界から、元の世界へと戻った時、目の前の怪物が自身の目を両手で押さえて、もがく姿が目に入る。

 古典的だが効果てき面な目つぶし、相手は完全にこちらの居場所を見失ってもがく。

 それを理解した時、私は怪物を跳び越えて、剣をしまいつつ男の方へと走り、その手を掴んでその場から走り去っていった。


---[46]---


 普通の相手なら、その隙を突いて仕留めればいいかもしれないけど、攻撃が通用しないとわかっているのなら、あのまま戦い続けても消耗するだけだ。

 少なくとも、その場を去る事で、怪物が何かをする前に男を確保するというある種の目的は達成できる。

 後は、あの怪物が探知能力とかを持たない事を祈るだけだ。

「あだっ!」

 必要以上に、これでもかと距離を取り、工場区から住宅区まで入って、家々の隙間にその身を隠し、男を放り投げるように離した。

「ホラーはホラーでも、呪い殺すとかそういう類じゃない。スプラッター系の物理で殺りに来る悪霊の類の登場とか…、聞いていないにも程がある」

 混乱状態はもう最高潮、もうちょっとやそっとの愚痴だけじゃ、この感情を落ち着かせる事なんてできない。


---[47]---


「なんで…なんでこんな事…僕は、終わりたかったのに。君の役目が住民を守る事なのはわかるけど、こんな…。酷いなぁ…」

「どっちが」

 こいつは明らかに他の連中と違う。

 此処が本当の世界じゃないかのように振舞うかと思えば、自分以外に本当の人間がいないかのようなしゃべり方をする。

 こいつは…この夢の世界の住人じゃない…そう思えた。

 捜索の世界で、此処が作り物だとわかっているイレギュラーな主要キャラとか、そういうのもいない訳じゃないが、そんな事はどうでもいい。

 聞けばわかる。

 判断するのは、それからでも、遅くはない。

 尻餅をついて倒れ込んでいる男の胸倉を掴んで、私は問いただした。

「あなたの生まれは何処だッ? この夢の世界かッ? それとも…、現実か?」

 その瞬間の男の目は、驚きと困惑、動揺の色だけが支配し、私の言葉に耳を疑っているというそんな表情だった。

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