第五章…「その者の横に寄り添うモノは。」


「じゃあ、フェリさん、私とイクは、先に帰っていますので、遅くなる前に切り上げてくださいね」

 私が頷くのを見届けて、フィアは基地の入口で待つイクシアの方へと歩いて行く。

 それを見送って、私は自分の剣を持つ。

 パロトーネで作った疑似剣ではない、本物のフェリスの剣だ。

 訓練場に来た私は、一呼吸置いた後、その剣を振るう。

 本物の剣は疑似剣と、持った感触なり、重みなり、それらに違いはない、それ程にパロトーネから作り出されるモノは本物に近い。

 だから普段から訓練している身として、実剣を振っていると等しいはず、そのはずなのに、振るってみると、なにか違和感のようなモノを感じた。

 もちろん見た目は違うけど、そう言うのとはちょっと違う。

 違和感を覚えたのは、疑似剣も実剣も同じ。


---[01]---


 普段座っている椅子なのに座り心地に違和感を覚えている時のような…、いつも肘をついている場所にいつも通り肘をついてその心地が違うと感じるかのような…、とにかく見た目は置いておいて違和感があるのだ。

 その違和感に慣れるなり克服しなければ、それが致命的な問題を引き起こしかねない。

 だからこそ私はここにいる。

 そう…、居残り練習だ。

 夢の世界で、どれだけ真面目に生きようとしているのかと思う事が、無い訳じゃないけど、こういう生活もなかなかに良い。

 戦う事、無双する事、思うがままに世界が動く事、それらが絶対に楽しいとは言えないからな。

 というか、思うがままに行かない夢だからこそ、こういう事をやっていかなきゃいけないとも言えるんだけど。


---[02]---


 今まで思い通りに行った試しは…、記憶している限り一度もない。

 居残り練習の内容はと言えば、とにかくフェリスの剣を、振って、振って、振りまくる。

 この手から違和感という感触を全て無くすためにやれる事をやるのだ。

『精が出るじゃん、フェリ君』

 一回二回と疑似剣を振っている時と同じように、アレンジなんて入れずに、一振りごと真面目にやっている時、そこへエルンが姿を現す。

「あなたは? 仕事は終わらせたの?」

「終わらせた、終わらせた。仕事は真面目にやるんだ、私って」

「そう」

 その言葉を聞くと、初めてエルンと会った夜、ダルそうに治療をフィアに押し付けていた姿を思い出して、嘘つけ…と口が滑りそうになるが、あの時以外でエルンが不真面目に仕事をしている姿を見た事が無いから、出かかった言葉を飲み込む。


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「フェリ君は、なんでまた素振りなんてやっているの? もうすぐ日も落ちて暗くなるっていう時に」

「自分の武器に手を馴染ませようと思って、数を熟しているだけだ」

「数を…。普段あれだけ模擬戦をやっているっていうのに、まだ剣が手に馴染まないの?」

「原因はわからない。何故そう感じるかも。とにかく違和感があるんだ。これじゃ、いざって時に自分を信用できなくなる」

「ふ~ん。フェリ君は変わっているねぇ。強くなろうと頑張る新人はよく見るけど、君のはそういう連中とはちょっと違う感じだ。抱えているモノの問題かな?」

「なにそれ?」

「頑張れる度合の話かな。特訓馬鹿でもないかぎり、すぐに限界を迎えるモノでね。その先に行こうとする君は、向上心があって、それを加速させる意思がある。良い事だ…」


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「その言い方だと、私はそのすぐに来る限界をもう超えている…みたいな言い方だな」

「限界を迎えた事があるかどうかは知らないけど、私はもうその一線を越えていると思うぞ~」

「何を根拠にそんな事…」

「周りがいつも言っているだろ? フェリス・リータは強い…、強いって聞いていた…、とか色々と。元々素質があって、それ相応に強くなれたなら話は別だが、君の過去の戦いぶりはまさにその一線を越えた力を持っていたよ」

「そう…。なんで急にそんな話を?」

「君が本調子じゃなさそうだったからねぇ。心の治療ってやつかな。君を受け持つ医者として当然だ」

「・・・、今の私は昔のフェリス・リータと比べて全然弱くて本領を発揮できていない。本来出せるはずの実力、調子が出せていないという事だと思うけれど、今のエルンの言い方だと、今までは本調子だった…みたいな言い方ね」


---[05]---


「まぁアレが今、君に出せる全力だと思っていたから、それが出せているなら本調子って事だ。今日はその本調子も出せていなかったように見えたからこその発言だな」

「じゃあ、私はやっぱまだまだね。ほんと現実みたいにうまくいかない…」

「ん~? ここが現実じゃなかったら、いったいどこが現実になるんだい?」

「こっちの話だ」

「そう? まぁその現実云々を言うなら、私は君という存在自体が夢のようだ」

「・・・」

「胸に大穴が空いたにも関わらず生き残った剣士、おまけに腕も立つ。死から蘇る強戦士。時々忘れそうになるけど、そんな存在、戦力として考えない訳がない。まさに夢…奇跡のような存在だ」

「私が軍に戻ってくれって言われた理由がそれ?」


---[06]---


「それ」

「エルンも、戦力としての見方でしか私を見ていない?」

 私は素振りをする手を止め、エルンの顔を見る。

 考えているような素振りは見せていない、かといって即答する訳でもなく、少しの間を置いてから、不敵な笑みを浮かべた。

「私が見ているのは、君という存在そのものだよ。上の連中が君を治療しろと言って連れてきた時は、それはもう大喜びさ。まぁ最初は、ただただ瀕死の兵の治療するだけの仕事かと思ったけど、その回復能力はまさに惚れ惚れするモノだった」

 ゾクッと背筋を走る悪寒、彼女の視線に何か嫌なモノを感じて、無理だとわかっていても体を隠すように両手で胸付近を隠す。

「むッ! そういう意味じゃないから! 体が目当てって…間違っていないかけど間違ってるから~」


---[07]---


 不敵な笑みのあとに出てくる子供のような不服顔、そこには悪寒を与えてくるような目は無かった。

「んっん~…。冗談はそれくらいにして。エルンは、治療に対してすごい熱心だけど、あなたが最終的に求めているモノは何なの?」

「何って…、私は治療士だよ、フェリ君? 皆のために怪我を癒す術を追求するのが仕事さ。そんな人間の前に瀕死…というかもう死んでたと言っていい人間が蘇ったんだ。そりゃあもう興味津々に決まってる。あんな事やこんな事、見る事ができる全ての場所を見尽くしたいぐらいだよ」

「身の危険しか感じない事を言うのね…。いずれ人に言えない事を要求されそうで引くわ」

「まだやってない事に対して引かれるのは心外だ。まぁ君が目覚める前の治療中の段階で、人体的な意味では見れる場所は全部見尽くしてるんだけどね。だから恥ずかしさとかそういう感情を抱くのは、今更」


---[08]---


「治療をしてくれた事は素直に感謝しているけど、寝ている間に変な事してないわよね? いきなり過ぎて頭が追い付かないのだけど」

「変な事? ないない。あくまで今後の医療術の発展の役に立つかもしれない以外で、何かをやるなんてないよ」

「そうなの? まったく信用できないのだけど」

「酷いなぁ~…」

「言い方が悪い…、あと態度」

「う~ん、確かに。ちょっと興奮気味だったかな」

「全くだ」

 話がひと段落して、止めていた素振りを再開しようとした所で、ふと思い立つ。

「そう言えば、エルンは、昔の私の戦っている姿を見た事があるのよね?」

「うん、見たよ」


---[09]---


「じゃあその頃の私の戦い方ってどんなモノだったかしら? 今の私はそれに近い? それとも遠い?」

「近いか近くないかの話で言うなら、遠いどころの話じゃないな。全然違う。でも、それだって記憶が無いのならしょうがないと思う」

「そうか。そうだよな」

 剣を持った時の、不思議なぐらい持ち慣れたモノだと感じたり、体がこれは知っていると感じる時がある。

 それは私が知らないのは当然としても、体自体はその記憶を保持しているという証明だ。

 なら、この素振りをする理由になった違和感も、それを使う事によって起きる事に対して、この体がやり慣れていない事をやっているせい。

「昔の私がどういう戦い方をしていたのか、教えてくれない?」


---[10]---


 もしそうなら、フェリスの体に刻んだ経験に近い動きができれば、今感じている違和感もなくなるんじゃないだろうか。

 剣を使う事によって戦う事に、今までは俺が慣れていなかったから、がむしゃらに戦ってきた。

 それでも十分戦えていたのは、フェリスの戦闘能力に依存していた結果。

 戦いに慣れ、戦う上で今まで無かった余裕ができたからこそ、違和感に気付けたのでは…と私は思う。

「そう言うのは、私ではなく、イクシアとかに聞くべき事だと思うけど」

「そこは…ほら。私はイクを目標にしているから、確かに目標にしている相手に教えてもらえば強くなれると思うけど、それだと貸しを作る事になるし、何より純粋に強くなったことを認めてもらえづらくなる気がする。あとは…イクに私は強くなったんだって、驚かせたいから」


---[11]---


「それは戦士としての意地とかそう類の何か?」

「そうかも」

「まぁいいけどねぇ。あと、強くなったんだ…じゃなくて、力を取り戻したんだ…だよ。過去の自分に近づくって事は、その頃の自分を取り戻すって事なんだから。今の言い方だと、過去の自分を切り離して考えているみたいだ。記憶がないから仕方ない部分はあるけど、フェリスは君だ。それを忘れちゃいけない。記憶があろうがなかろうが、別人のようになっていようが、君はフェリス、フェリス・リータだ」

「何を当たり前のことを言っているの?」

「忘れちゃいけない事だからね。時折言っておかないとと思っただけ」

「あなたの言いたい事がいまいちわからないけど、とりあえず私はフェリスよ。それで…、昔の私はどういう戦い方をしていたの?」

「あ~そうだった、そうだった。昔の君ね。私も君の戦いは数えるほどしか見ていないけど、それだけで言うなら常に守りに傾いていたかな」


---[12]---


「守り? 攻め手に欠けるって事? 前に出れないとか…」

「いや、違う違う。わかりやすく言うと、イクシアが攻撃に特化した槍なら、君は防御に特化した盾と言えるって事。とにかく堅い。相手が一人だろうが複数人だろうが、徹底的にその攻撃を防ぎきる。まるで、攻めている相手が、木刀を片手に大岩を叩いていると錯覚させる程に防ぎきる。それでいて攻めにも抜かりはない。どんなに多彩に攻めても防がれ、攻めに雑さが生じた瞬間、君の剣は確実に相手の体へ刃を通す」

「なんか堅苦しいわね」

「そうだねぇ。イクシアのように型にはまらない戦い方ではなく、どこまでも型に忠実というか、決まった動きをとにかく詰め込んた様な剣士だった。それなら、型にはまっているからこそ、予測しやすく攻めやすい…と思うけど、それは君自身もわかっていた事なんだろう。君はガッチガチに堅められた岩壁に自分から綻びを作る。行動1つ1つの合間、何かをやった後に起きる隙、そこをわざと大きくしたりして、相手にそこを攻めさせるんだ。攻撃が自身の許容範囲を超えず、常識を逸脱した力技でもない限り、来る事が分かっている攻撃程防ぎやすいモノもないからねぇ」


---[13]---


「堅苦しい印象から陰湿な印象に変わりそうだ」

「とにかく勝つ事にこだわってたんじゃない? まぁ今となってはわからないけど」

「こだわり…か」

 それが真実だとして、フェリスは何に対して…、一体何を追い求めていたのか。

 俺の知らないフェリスの歩いてきた道、歩こうとしていた道が増えたというか、見えてきた気がするな。

「守りに傾いていた…て言い方だと、一応攻めに対してもそれなりのやり方というのがありそうだけど、その相手が生んだ隙を確実に取りに行くってだけ?」

「いや。私が見た戦いの中で、一回だけ守りではなく攻めが前面に出た戦いがあったんだよ」

「なんでまた…」


---[14]---


「その時の相手はあのイクシアだ」

「イク…か」

 守りを固めているだけでは勝てない相手…。

「まぁ私も短い期間で連続して見た訳じゃないからねぇ。その戦いとは日にちが離れた日だと、イクシアはフェリ君の守りを越える事ができなかった」

「そうなの?」

「他の軍生と同じように守り抜かれて一撃必殺だ」

「なるほど、イクなら、それだけで意地になる理由になるわね」

「だからかねぇ。元々イクシアは戦いの才能があった、戦っていく中で得た経験が、その守りを捨てさせるだけの武器になったんだろう。それで話を戻すけど、守りを捨てた訳ではなく極端に減った君は、今まで完全に防ぎ…止めてきた攻撃を、防ぐんじゃなく受け流す形で攻めに転じるまでの時間を減らし、一気に攻め手を増やした。今のフェリ君は、その時の戦い方に近いな。それでも程遠いけど」


---[15]---


「なら、その線を辿る意味でも、今のやり方を熟していった方が良いかしら…」

「いや、それはどうかな。そういう戦い方をした瞬間が確かにあったというだけの話。その時の戦い方には荒さがあった。勝つ事にこだわっていたからこそ、攻めに対してもそれなりの実力、経験の差を見せていたけど、あれはもはや特攻、短期決戦で一気に勝敗を付けるための選択だ。今までの戦い方とは真逆の事をするから意表を突けるけど、それでもあまり勧める事は出来ないな。現状の君にとって一番近い戦い方であるのに対し、違和感があるというのは、選択肢として昔の君が積極的に選んでこなかったという事だろう」

「じゃあ、守りに意識を置いて行った方が良い…て事か」

「あくまで戦闘職が主ではない人間からの意見だがね」

「ふ~ん。じゃあ、その辺を気にしながらやろうと思う。あと最後に1つ、エルンが見てきた中でフェリスの守りを越えた人は、イクの他にいた?」


---[16]---


「自分の事だろうにまだ他人行儀だなぁ。まあいいけど。イクシアの他にか…、ん~…、私が見たのは、軍生の戦闘訓練の様子だから、それ以外の所での事はわからないけど、少なくとも見てきた中、軍生の中でイクシア以外に君の守りを突破したのはいないかな」

「そう」

「それがどうかしたの?」

「いや、他の人にできない事ができる…、他の人が見る事ができない姿を露わにできる…て、その人の自信につながるじゃないかと思っただけ。守りを越えるというのは、強いフェリスに寄り近づけているという事で、イクにとってはとても重要だったんじゃないかなって。彼女が私を意識するのはそこに理由があるのかなと思ったのよ」

「なるほど、一理ある」


---[17]---


「少なくとも、その頃のフェリスは…自分は、イクよりも強かった…。そして今の私は、彼女の目標を奪ってしまった存在。立場が逆転しているのは、私は気にならないけど、イクにとっては今なおあり続ける大きな問題なのかな」

「イクシアがそんな事まで考えているかな?」

「イクにだって強くなろうとする事に理由があるはずだし、意識しているかどうかはわからないけど、目標が無くなって苦労していると思う」

 私は、その辺に置いてあった剣の鞘を拾い、それへフェリスの剣を収める。

「稽古は終わりかい?」

「ええ。フェリスの力が守りに強い事なら、それに重点を置いてやっていきたいし、無理に素振りをして変な癖を付けちゃうのも問題かなって。まずは大きな土台を作る所から。守りの訓練なんて一人でやる光景が全く想像つかないし、エルンが訓練に付き合ってくれるなら…話は別だけど」


---[18]---


「訓練を付き合う? まさか、やる訳ない」

「でしょうね」

「今日はもう帰るのか?」

「ええ、そのつもり。フィーが遅くなる前に帰って来いって言っていたし、やるべき道が見えたなら無理にやり続けるものじゃない」

「そうか。じゃあ、ちょっと待っていてくれ。私も一緒に帰るから」

「ええ、分かったわ」


 太陽の光が空を焼き、今はもう焼き終えた空が黒く染まってきている。

 そんな孤児院への帰り道。

「そう言えば、1つ聞きたいんだけど」

「何々? 今日のフェリ君は聞きたがりだねぇ」


---[19]---


「茶化すな」

「はいはい、ついね、つい。それで、何?」

「あなたやフィーは医療術士って役職だけど、戦闘はどうなの?」

「どうとは…また曖昧な聞き方だな」

「いや、戦っている姿を見た事が無いし、戦う事ができるのかなって」

「あ~、その辺の一般人に負けるような能力値ではないはずだ。治療する事、他の隊員の補助をする事が仕事とは言え、もし一人になった時…自身で対処しなきゃいけない事態になった時、とにもかくにも最低限の戦闘ぐらい熟せないと困る。だから私もフィーも戦う事ができるよ」

「ふ~ん、そうなんだ」

「まぁフィーも本当なら君らの戦闘訓練に参加しなきゃいけないんだけど、まぁそれ以上に医療術士としての仕事が忙しいから。まぁでも、フィーが私の弟子ってのが一番大きいか」


---[20]---


「エルンの弟子だと大変なのは知っているけど、今回の場合は何があるんだ?」

「フェリ君はサラッと失礼な事を言うよな。まぁアレだ。私主導で治療をやっていったから、私という存在の勝手を知っている人間が1人は必要だったんだよ。そもそもフィーの腕が良いのも理由だけど。だから、フィーはこちらの仕事を手伝っていたって訳だ。それに医療術士と言っても、正確な兵種は衛生術に属する一部分だ。というかまだまだ発展途上で私とフィーの2人しかいない。あと、フィーは医療術士ではなく、あくまで医療術士の私の弟子なだけで、あいつの正確な兵種は魔術だ」

「魔術? あ~そう言えば、会ったばかりの頃、階級とかの説明の時にそんな事を言っていたか。・・・、兵種が魔術でも戦闘訓練に参加するモノなんだな」

「当たり前だ。理由はさっき言った最低限の戦闘を…てやつと同じ」

「ふ~ん、機会があれば見たいものだ」

「この治療の一件が片付けば戦闘訓練の方にも参加するだろうし、そう遠くない未来だよ」


---[21]---


「・・・、所で今更ながら兵種の魔術って何?」

 魔法かなんかの類なのだと思っている自分。

 ブループとの決着の時、相手に飛んでいく無数の光弾があったし、あれがその魔術ってやつなのかな?

「魔力を使う事を主にした戦闘方式を採用した兵種だ。主に戦闘術の後方に待機して、その戦闘を援護するのが仕事」

「魔力を使用した戦闘方式…とは? 私も戦う時に魔力で体を強くするけど、それとは違うの?」

「違うなぁ。わかりやすくいうと、肉弾戦ではない魔力の運用をするモノだ。主には個々の魔力の性質に合わせた魔術を用いて、やる事を変えていくかな。私達が初めて会った時、魔力に関して少しばかり説明したと思うけど、ソレの事だ。詳しく説明しようとすると、なかなかに説明に困るモノ。本格的に軍での訓練が始まった事だし、「流印(りゅういん)」の事も合わせて、向こうから説明やら訓練やらが始まるだろうさ」


---[22]---


「りゅう…いん?」

 りゅういんだかなんだか、トフラか誰かに説明してもらった気もするけど、正直どういうモノだったか覚えてない。

 当然というかなんというか、私の頭には疑問の色がばっと溢れ出る。

 その色は表情にも現れて、それを見たエルンは、少しだけ面倒くさそうな表情を見せた。

 さすがにこちらも聞きっぱなしだから、その面倒そうな表情もわかる、さすがに申し訳ない気持ちになるばかりだ。

「あ~そこも…、まぁ当然か。それもいずれちゃんと教えてあげるから、今度また…」

 それに対して、エルンは軽く頭を掻いてから、口を開いたが、それもすぐに止まる。

「ん? どうかした?」

 彼女は、口どころか足も止まって、不審そうな表情を浮かべた。

 それ程までにこちらの質問攻めが癇に障ってしまったのか…とも思ったけど、それにしては急に一変し過ぎている。


---[23]---


 私の不安を否定するかのように、こちらの言葉には言葉ではなく、片手をこちらに向けて制止する形で指示を出す。

 動くなとか、待ってとか、それが意味するモノは複数あるが、とにかく唐突にやられたそれに、息を飲むかのように私は止まる。

 その時のエルンはとても真剣な顔をして、いつものふざけた態度を取る時のソレや、気の抜けた不真面目モードとは違う、自分の仕事を失敗無く熟す時のプロモードとも言うべき状態だ。

「血の匂いがする」

 そして、数秒間何かを探る様に周囲を見渡していた彼女の口が開いて、開口一番に発した言葉がそれだった。

 ここは孤児院まで半分を切った、もう少しで住宅区域に入ろうという工場区。

 何かのサスペンスドラマのようなその台詞に、一瞬だけ…何言ってんだ…とツッコミを入れそうになるが、それを許さなそうな程に、彼女の表情は真剣だった。


---[24]---


「血の匂いって…、工場区だし、誰かが怪我をしたとかじゃないのか?」

「指を切ったとかその程度の怪我なら、気づく程の匂いは出さないさ。結構強い匂いだし、下手したら致死量の血が出ているねぇ」

「そんなに? 私は何も匂わないけど…」

 真面目な顔でエルンが言うものだから、こちらもスンスンとその血の匂いを探ろうと、鼻を動かすが、彼女の言うような匂いはしてこない。

「私は仕事柄その匂いに敏感なんだよ。それを見ても、嗅いでも、何も感じなくなるほどに見て、そして嗅いできたモノだ」

「そ、そう」

 正直、ここまで真面目に振舞う彼女を見たのは、初めてか、はたまた見たのがいつかわからない程に昔の話。


---[25]---


 そして、エルンは何かに導かれるように、孤児院へと帰る道から外れ、横の道へと入っていった。

 路地というか建物と建物の間、荷物を建物内に運び入れるために作られた少し広めの道、水路すら通っていないその道は四方に瓦礫が散乱し、未だ残るブループの爪痕を見せつけてくる。

 太陽が沈み切る寸前という事もあって、道は暗く、肌を冷やす。

 薄暗い道をさらに進むと、行き止まりに差し掛かって、そこには1人…いや2人の人影があった。

 仰向けに倒れた人の横で、こちらに背を向けながら座り込む人。

 その人は、何度も何度も、手を振り上げては振り下ろす、まるで倒れている人に何かを叩きつけるかのように。

「フェリ君、剣の用意」


---[26]---


「え、マジ?」

「冗談でそんな事言わないさ」

 小声で指示を出してくるエルン、そんな声ですら静かなこの空間では、とても大きい声に聞こえた。

 しかし私達の前にいる奴は、その声にすら気付かず、自分のしている事に夢中だ。

 そいつが何をしているのか、想像したくないという気持ちはあるが、その光景、その構図は、何をしているかという結論へと至るに難くない。

 ドラマで見る人の命を奪う現場、そこで犯人と鉢合わせ、しかもまさに真っ最中の状態。

 エルンの剣を準備しろという言葉は、それだけで私の体を緊張という鎖で縛りあげる。

 いつの間にか乾いている口の中に残った僅かな唾を飲み込んで、私は自分の剣を抜く。


---[27]---


 そして空になった鞘を横に投げた時、目の前の相手は、その音でようやく私達の存在に気付いた。

 振り上げた手を止めて、振り下ろすのではなく、ゆっくりと下ろしながらこちらへと振り返る。

「ようやくこちらに気付くか。行為に夢中で周りが見えてなさすぎるな」

「だから何だ?」

 暗くなってきてしっかりと相手の顔を見る事は出来ない。

 しかし、そいつは立ち上がり、続けて発せられる声から、男だという事はわかった。

 言葉を震わせながら…、僅かに見える表情は、無ではなく何か1つの感情に押しつぶされそうなモノ。

「命を奪う者を捨て置く訳にはいかなくてねぇ。職業柄もそうだし、性分的にもさ」


---[28]---


 まだ、本当にその男が何をやっていたのか、それを確認できた訳じゃないが、エルンの言葉に籠った感情はとても冷たく、それは私自身が感じている悪い予想をまさに肯定する事に等しいものだった。

 そうならば、私達はまさに犯行現場の真っただ中にいる事になる。

 男からしてみれば見られてはいけないモノを見られたはずだが、少しの間を置いても、返答もなく、動く気配もない。

 だからなのか、エルンも慌てる様子を見せず、ゴソゴソと懐から何かを取り出すと、手の平にあったそれは徐々に周辺を明るく照らす光へと変わっていった。

 それはパロトーネ、私にとって馴染みのあるそれは、疑似武器を作り出すモノだが、その用途は多岐にわたる。

 用途によって作り方も変わり、エルンの使ったソレは、光源となるモノ、その光は暗くなってきた周辺の闇を掻き消すのに十分な光を放った。


---[29]---


 この道を全体的に明るくするように、エルンはそれをその辺に投げ捨てて、地面に落ちると共に砕け散ったパロトーネは、その光る力を地面やら壁やらに託す。

 そうなった事で、ようやくこの場の現状を理解する。

 暗く見えなかった倒れた人は、もう生気を失った女性、腹部を赤い池へと変えて、こちらにもう手遅れである事を悟らせた。

 現実でもこの夢の中でも、事故ではない、人が人の命を奪う殺人という現場に出くわした事なんて当然ない。

 だから、ここがそういう場であると理解した時、全身の毛が逆立った。

 俺ではなく、私だからなのか、気持ち悪さや恐怖の色は薄いけど、緊張感だけはひしひしと伝わってくる。

 明るくなったからこそ、男の状態に気付ける点も出てきた。

 人種の男、体を震わせて、泣きじゃくる子供かのように、目を、頬を、涙で濡らし、その表情にあるモノは、快楽でも、興奮でも、無でもなく、悲しみや絶望と言った色。


---[30]---


 男を押す潰そうとしている何かは、そういった恐怖などと言った負の感情だ。

「命を…、命を奪う?」

 そんな時、静かだった男が震える声で口を開く。

「ぼ、僕が、何の命を奪ったって? 人か? あれが人だって?」

 黒く血に濡れた手で頭を抱えながら、叫びにも似た言葉を吐き散らす。

「何度も何度も、殺したのに…、あいつは毎朝ここで目が覚める度に何事も無かったかのように台所に立ってやがる…。怖かった…、怖かった…、今日こそは終わらせてやるって…そう誓って、包丁を刺すのに…、いつもあいつは怖がらなくていいんだよって…、僕に微笑みかけてくる。何が夢だ…、これじゃ…終わらない悪夢じゃないか…」

「夢?」

 言っている事は支離滅裂、状況を踏まえれば、男の言葉は聞く必要のない狂人の言葉でしかない。


---[31]---


 でもそいつが最後に発した単語は、私の思考に引っ掛かるモノだった。

「どうせ…、どうせお前らだってそうだ。ここで起きた事なんて、忘れる…。それがいつかなんてのは知らないけど、きっとそうだ。いい加減にしてくれ…。もう終わりにしたい、したいんだ。僕に、この悪夢を終わらせられるって事を見せてくれ。あいつじゃだめだ…。あんたらが、僕にこの世界には死があるんだって、教えてくれッ!」

 まさに周りが見えていない。

 包丁片手に唐突にこちらへと突っ込んでくる男、真っ当な思考ができているなら、剣を抜いている相手に向かっていくなんてあり得ないだろう。

 鎧を着て、剣を抜いているという姿は、明らかにその辺の一般人ではないはずだ。

 この世界で鎧を着ている人間なんて限られる。

 男の行動を現実で例えるなら、銃を構えた警官に向かって包丁で立ち向かうようなもの。


---[32]---


 勝ち負けの話ではないが、これが真っ当な思考ができない状態と言わずしてなんという。

 私は男が動くと、すぐにエルンの前に移動し、自分が盾になるような形を取って、突き出される包丁を、剣を振り上げて弾き飛ばした。

 普段からイクシアに絞られている身、素人のソレに負ける訳もなく、包丁を失い、体勢を崩してふら付く男に突進する要領で肘打ちをして、その場に倒す。

 そして、男が立ち上がろうとするよりも早く、剣の切っ先を倒れた男に見えるように突きつける。

 この剣を突きつけて動くなと言わんばかりの状況を作る事、やってみたい事、ロマンの1つだったけど、状況が状況だけに喜べない。

 戦意を失った男は、四肢を地面に投げ出し、自分はもう動かないと意思表示をする。


---[33]---


 それを見届けて、エルンは早々に横たわった女性の方へと向かうが、その状態を一目見るや、やっぱり…と絶望下でも持ち続けた希望を横に捨てて、首を横に振った。

「フェリ君、その男を頼む。私は基地で事情を説明して、応援を連れてくるよ」

「はい」

 殺人者、狂人と2人きりになる…というのは、普通に考えれば首を横に振るものだが、俺ではない私だからこそ、エルンのその言葉には何の疑問を持つ事もなく、首を縦に振れた。

 そんな時だ。

 この場には私達だけしかいないはずなのに、その瞬間、肩に何か重いモノがのしかかる。

 まるで、誰かが手を置いたかのように、誰かが引き留めてくるかのように、自分の肩へ、自分達以外の力が加わった。

 そして、その反対側の耳元で、聞き覚えの無い声が聞こえる。

『他言はやめてほしいなぁ~…』

 吐息のように耳に当たる何かは、とても冷たかった…。

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