第一章…「その夢の家族団欒は。」


「総勢13名、内3名が人種、残りは人種と竜種のハーフ、全員女性、背中に奴隷の烙印が押されています。それから、1名を除いて全員が左足の腱を切られ、複数個所に打撲の痕あり、ハーフの方々の内4名には拷問の痕も見受けられます」

 イクステンツのとある一室。

 今ここでは、エアグレーズンの基地の指揮を任されている人種の「アル・ゲン」が、薄い頭頂部と額に汗を浮かべて、国のトップの連中に話をしている所だ。

「彼女らが乗って来た船は、古い型ではありますが、オラグザームの船と酷似、烙印も調べた限り一致。彼女らの証言からも、十中八九、彼女らはかの国からの逃亡者であると思われます」

 おっさんが緊張しながら、紙に書かれた事を必死に読む中、この部屋の空気は重い、重くて重くて、胃もたれを起こしたように重い。

 だが、この空気がたまらなく好きだ、この重々しい雰囲気、空気が好きだ。


---[01]---


 どうしたモノかと頭を抱える光景を見ていると、うずうずしてたまらない。

「彼女らの容態は?」

 薄い黒褐色の肌の男「ゲイン・レープァン」、人種では珍しく戦闘術士でそれなりの地位に着いた男、どうしたモノかと、誰も口を開かないこの部屋で、そいつは真っ先に口を開いた。

「幸い、保護をした時、島にエルン医術士が滞在していたので、迅速に彼女らの容態を確認していただきました。傷はもとより、疲労等はあれど、命に別状はないとの事です。足の腱につきましては、誰のモノもすでに手遅れだそうです」

「なるほど、エルン医術士がいれば安心して任せられる。腱の事は残念だが、彼女達を最善の状態にまで回復してくれるだろう」

 苦虫が口に入ったような気分だ。

 誰もが幸福でいられるようになんて、そんなお花畑みたいな頭でもしているのかね、こいつは。


---[02]---


「女達の容態は、今はいいでしょう。問題なのは、そいつらがオラグザームの人間であるという事。保護だのと、簡単に言うが、それは連中に攻め込む口実を与えるのと同義だぞ?」

 あ~、良い事言うじゃないか。

 こいつは…、誰かわからんねぇ、ここにいるからにはそこそこの地位にいるだろうけど、どうでもいい。

 でも、その必死な顔はとても素敵だ、そそられる。

「元々、オラグザームとは戦争中だ。今更10人ちょっとの脱走者を保護した所で、口実も何もない」

「お気楽な頭をしているではないか。いざ戦闘が始まれば、犠牲になる者達はその保護した連中の何倍にもなるのだぞ?」

 そうだぜ、そうだぜ、言ってやれ、名前も知らないおっさんよ。


---[03]---


 その感情は実に良いぞ、実に香ばしい、よだれが零れそうだ。

「自分とて、戦いがしたいと言っている訳ではない。そちらこそ、報告をちゃんと聞いていたのか? 彼女達の状態を理解しようとしたか? オラグザームにおいて、奴隷の女性という存在が何の意味を持つか、それを知ろうとしたか?」

 どうなるかって?

 そんなもん、やる事なんて限られるじゃないか、なぁ?

 あそこは竜こそ至高と大声で叫ぶような国…、竜種でもない人種が…、竜以外の穢れたモノの混ざった混血が…、そこの連中から必要とされるために何を差し出すかなんざ、想像に難くないだろう。

 もちろん、その女どもに選択の権利などありゃしないがね。

 良いねぇ、あの空間、あの叫び、また行きたいものだ…、オラグザームに…。

「ふっ、知ろうとしなくたってだいたい予想は付く。連中からしてみればあの女達は道具だ。鬱憤を晴らす道具、気晴らしに殴る道具、壊れても気にしない、むしろ壊す事が当たり前の道具だ。だが、それは問題ではない。問題なのは、そんな道具が13体も我が国に流れ着いたという事実。たった13体の道具のために国を犠牲にするなど、馬鹿馬鹿しいにも程がある。全く釣り合っていない」


---[04]---


「あなたの言いたい事ももっともだ。彼女達の事を思えば…などという言葉は、感情から来ているかもしれない。しかしだ。それでも国を守る兵として、地獄から逃げてきた者達を見捨てては、民達に合わせる顔すら捨てる事になる。必要とあらば人間を見捨てる者達が自分達を守る兵なのだと教える事になるだろう。民に知られずとも、彼女達を助けるにあたって幾人かの兵が尽力した。ならば、彼女達を見捨てる行為は、今後の兵達の士気に関わる可能性も出てくる」

「それでも、多少士気が下がる程度と、国全体の危機では、結局天秤は釣り合うまい」

「そもそも彼女達が引き金になり、オラグザームが攻めてくると決まった訳でもないだろう。あくまで可能性の話だ。それに、逃亡者が流れ着いた事は、今回が初めてではない。その時だって、向こうはそれを理由に攻めてきてはいない」

「しかし…」


---[05]---


「オラグザームとは、元々戦争中、きっかけがあろうとなかろうと、戦いを仕掛けてくる時は仕掛けてくる。それに彼女達を送り返したとして、戦いが終わる訳でもないだろう。我々が今すべき事は、いつ戦闘が始まってもいいよう準備を整え、ドンと構えている事だ」

「ぐぅ…」

 あらあら、言いくるめられた感じか?

 つまらん。

 というか、話を聞いているだけで頭が痛くなりそうだ。

 他人の幸せをただ願い、そうあれと思うのはただの偽善だ、それならわかる、こっちにも必要なモノだ。

 だが、こいつのは臭う。

 助けるからには徹底的になんて、どうでもいい事を思っているんじゃないだろうな。


---[06]---


 それではダメだ。

 それでは、美味くないし、そもそも「食べられない」。

 不幸こそ…最高の甘味。

 このままでは前菜が無くなりそうだが…、こればかりはどうする事も出来ないか。

 あわよくば、事が悪い方向へと流れる事を祈るよ。

 誰にも見つからず、感じ取られず、ただただそう願い、そうなれと動く事にしよう。



「診た感じ、体には何の異常もないねぇ。本当に魔力が使えなくなったのかい?」

「今ならともかく、ブループと戦っている最中に付く嘘としては、冗談が過ぎるし、そういう嘘をつく意味もないと思うけど、理由にならない?」


---[07]---


「いやいや、疑うつもりはないけど、普通なら考えられないような事だから」

「う~ん、やっぱりそうよね」

 最近ではエアグレーズンで生活をする事が多くなっていた、私事「フェリス・リータ」は、本島の方へと足を延ばしていた。

 その理由は、私の主治医ともいえるエルン事人種の「エルン・ファルガ」の定期健診を受けるため。

 私は、久方ぶりにこの夢の世界で初めて目を覚ました場所、その医療術室に来ていた。

 結果は、エルン曰くすこぶる良好らしい。

「まぁフェリ君は色々と特殊な子だから、他と比べる事がなかなかできないのだけどね。一応言っておくけど、私は治療ミスとかしてないから、そこのとこ忘れないでおくれ」


---[08]---


「いや、そもそも疑ってないから」

「そっかそっか。一安心だ」

 エルンは、愉快そうに笑い声を上げる。

『フェリス、終わり?』

 その笑い声が合図にでもなったのか、彼女がひとしきり笑った後、私の後ろ、窓越しに外から声をかけられる。

 そこにいたのは1人の少女。

 少女は、覗き込むように顔半分を、窓から覗かせていた。

 黒く長い髪を結んだポニーテール、それでもまだ長いから、中間で折って毛先の部分をポニーテールの付け根部分でまとめている。

「うん。終わったよ。もう少し待っていてね」

「注射は痛かった?」


---[09]---


「やってないから、そんな事」

「ちゅうしゃ?」

「こっちの話、あの子、痛いのに敏感で。すごい防衛意識が高いのよ」

「ふ~ん。だから彼女はこっちに入ってこないのか」

「そうみたい」

「別に痛い事とかしないのにな~。ねぇ?」

「・・・、その辺の事は何も言うまい」

「え~…」

 初めてここで目を覚ました時、私が驚きのあまり騒いだのも確かに悪かったけど、桶を投げつけられ、後頭部を打ち、気絶したという記憶がある。

 ここで痛い思いをした事に変わりはない、だから、エルンのそれには賛同できない。


---[10]---


「まぁその事は一旦置いておこう。あの子、名前はなんだっけ?」

「フルート」

「そうそうフルート、フルート。そのフルート君がここにいる事と、フェリ君が彼女と同じ髪型なのには理由があるのかい?」

「え? あ~、はい」

 私の髪はフルート程長くはなく、彼女は自身の膝くらいまでの長さがあるけど、私は胸ぐらいまでしかない。

 だから彼女と同じ髪型にすると、後頭部で髪の輪っかを作るような形になってしまっている。

 少女は、どこにでも付いて来ようとするぐらい私に懐いていて、この髪型もその影響だ。

 元々彼女は、この国、イクステンツにとっての敵国であるオラグザームからの逃亡者、本当ならここにいる事すらできない身なのだけど、妙に私になついて離れようとしないから、私が面倒を見るという形で付いてくる事を許可された。


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「ほうほう、フェリ君は人に好かれやすい感じかな? 孤児院の悪ガキシュンディといい、子供に良く好かれるな」

「そうなのかな…私には別段特別な事をしたつもりはないけど。と、そうそう、フィーから言伝を預かってたんだ」

「言伝? 特別な事でもなかったら、その辺にでも放っておいてくれてもいいんだけど…」

「そうはいかないって」

 フィー事「フィア・マーセル」は私の友人であり、エルンの弟子、そんな彼女は、オラグザームからの逃亡者の治療や、捕食者であるブループとの戦闘で負傷した者達の治療で、今もなおエアグレーズンにいる。

「早く戻ってきてほしいと言っていたわ。手が足りないって」

「そう言われてもなぁ」


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 エルンは気まずそうに顔を歪ませる。

「元々予定ではこっちに戻ってくる事になっていたし、それをブループ関連の事で先延ばしにしていたから、こっちでの仕事が溜まっちゃってるんだよねぇ」

「まぁだからこそ、私も定期的な診断をこっちに来てやっているんだけど」

「手間をかけさせて悪いね。まぁ言伝だけで済ませている辺り、まだ切羽詰まった状態じゃないんだろう。なら、まだ頑張れるよ」

「そういう言葉は、直接本人に言ってあげて」

「え~…、私は褒めるより弄る方が好きなんだけどなぁ」

「その好きな事だって、そこに行かないとできないじゃない」

「まぁそうだけど。こういう状態になると、イクシアがフィーを求める理由が分かる気がするなぁ。物足りないというか、刺激が足りない。じゃあフィーには、こっちの仕事に区切りが付いたら戻ると言っておいて。上から、逃亡者達の治療に当たるよう指示が来るだろうし、来なくても、治療に関して乗りかかった船を降りるつもりはない。そこに弟子がいたとしてもね」


---[13]---


 普段は面倒くさがりなのに、こういう所で真面目な所を見せる。

 そして、なんだかその話す姿は格好良くさえ見えると来た。

 あれかな、普段不真面目だからこそ、真面目になった時のギャップに引かれているのかな。

「向こうに行くのは、出来る限り急ぐとフィーに伝えて置いておくれ」

「はい」

「それで、フェリ君、この後の予定は? すぐにエアグレーズンに戻る訳じゃないんだろう?」

「ええ、まぁ。この後家の方に寄って、軍に入る事を伝えようと」

「なるほど。真面目だな」

「大事な事だから」

「そうかい。じゃあ、いってらっしゃい」


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 最後に耐え切れず欠伸をしながら、エルンは私に手を振る。

 そんな彼女に、私は休息も大事だ、と苦笑気味に返して、医療術室を出た。

 出てすぐ、待ちわびたようにフルートが私の腕に抱き着いてくる。

「あなたは元気ね」

「・・・?」

 私の言葉の意味を読み取れず、きょとんとした表情と共に、少女は頭の上に?マークを浮かべる。

 エルンの真面目と不真面目のギャップと同じ、流れ着いたばかりの時と今を比べて出てきた言葉だ。

 その時は、何をするにも過剰に怯えて、怖がって、ごめんなさいごめんなさいと、謝罪の言葉を口にする。

 一度でも、そんな姿を見ているから、今のフルートの姿は、自分からしても別人と思えた。


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 特別な事をしてあげた記憶はないが、まるで人が変わったかのように元気になったな。

 環境への適応能力が高いのか…、今までの環境が環境なだけに、そう言った空気を読み取る力に長けて、ここが危険な場所ではないと判断できたからこその姿か。

 それでも覆せない事があるから、注射とか、痛いと思える事に拒否反応を示すのかも。

「どうかした?」

「いや、何でも」

 自分の顔を見ながら止まっている私に、フルートのきょとんとした表情は、不安の表情へと変わる。

 そんな少女に心配をかけまいと笑顔を向けて、目的地に向けて歩き出す。

 その間も、私の腕を放そうとしない。


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「そんなにくっつかれると動きづらいんだけど…」

 この言葉も何回言った事か…。

 フルートは自分の歳が分からなくなる程の生活をしてきたらしく、人肌の温もりに飢えているのかもと思うと強く出られず、結果離れようとしない。

 自分の歳が分からなくなるほどの生活、良い方向ではなく悪い方向での意味でそう言った生活、パワーワード過ぎて、正直それがどういう生活なのか想像も付かず、とにかく酷い生活であると認識し、こちら側はやさしく接するだけ。

 だからこその甘えん坊状態なのだろう。

 そんな年齢不詳の少女の身長は、私よりも頭1つ分ぐらい小さい、目測で言うなら、多分150センチもないだろうな。

 後は見た目、細い体、それらを考慮すると、多分孤児院のガキ大将であるシュンディと同じぐらいか、少し上。


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 シュンディが確か12歳で、まさに手を出しちゃいけない存在と言える。

 そんな子に、ここまで言い寄られるとは…、俺ではなく私で良かったと言わざるを得ない。

 妹です…なんて言い訳が通じる程似てもいないしな。

「フェリス、何か変な事考えてない?」

「変な事ってなんだよ。人聞きが悪いぞ」

「ふふふ、冗談よ、冗談。やっぱりフェリスは良い人ね。あそこだったら、勝手に口を開くだけで叩かれたもの。自由に話をさせてくれるフェリスが、大好きよっ!」

「それはどうも」

 フルートの過去とか、年齢とか、見た目とか、そういうモノは横に置いておくとして、正直このノリにどう合わせていけばいいのか、それがわからなくて困っている自分がいるのが正直な所だ。


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『よう、姉さん、こっちにいるのは珍しいな』

「ん?」

 広い道へ出た所で、隣接する水路に止まっていた乗合船から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 声に加えて、呼ばれ方も聞き慣れたモノだったから、反射的に声のした方を見てみると、そこにはオールを持った見覚えのある男が、乗合船の操舵位置に立っていた。

「フィア達が一緒にいないというのも新鮮だし、見慣れない女を連れているのも興味深い。逢引か?」

「そんな訳ないだろうが」

 男の言葉が的外れで、思わず声を荒げて反論してしまう。

 男は、ドゥー事竜種の「ドゥー・ダイ」、元兵士の乗合船の操舵手だ。

「はははっ、元気になったみたいで何よりだ。来た方からして、医療術室の方へ行ってたんだろ? 体の方はもう大丈夫なのか?」


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 なんか、好きなように流された感があって、腑に落ちない部分もあるけど、私の体調を気遣ってくれている気持ちは素直に受け入れておこう。

「問題ないって」

「それはいい。仕事の関係で帰らなきゃいけなかったからな。心配していたけど、無事で何よりだ」

「私の心配よりも、自分の心配でもしてなさいよ。働け」

 そう言って、私は、ドゥーが乗る乗合船を指さす。

「やる事はやってるって。今は出発時間待ちだ、サボりじゃない。というか、姉さん。髪型変えたのか。似合ってるじゃないか、逢引相手とお揃いで熱いな」

「逢引相手じゃないって言っているだろうが」

「まぁまぁ。前までの下した髪型も良かったが、その髪もなかなかに魅力的だと思うぞ?」


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「腑に落ちない所はあるが、褒められる事自体は素直に嬉しいと言っておこう。」

 頬が微かに熱くなっているのは気のせいだと思いたい。

 喉付近がむずがゆくなって、軽く咳払いした所で、いつの間にかフルートの、腕に抱き着く力が強くなっている事に気付く。

「フェリス、この男は誰?」

 そして、少しだけ強い口調で、フルートが口を開いた。

 妙に敵意のある喋り方だ、過去を個人的に想像した限り、フルートが男を好きになる要素は1つもなく、むしろ全て嫌いになる要素。

 その想像が的中しているかのような、敵意のある喋り方だな。

 私の後ろに隠れ気味ではあるが、そこから感じる雰囲気は、人見知りとは少し違う印象だ。

「この人は、ドゥー・ダイ。見ての通り乗合船の操舵手よ。船を操って人を運ぶ仕事をしているの。悪い人じゃないから、そんなに警戒しなくても大丈夫」


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「ほんと?」

「ホントだって」

「そう。なら、ドゥーはフェリスの恋人か何かなの?」

「ブッ!」

 フルートの言葉に、思わず吹いてしまった。

 そう言うのやめて、慣れていないし、話がこじれる。

「あ~…」

 ドゥーはドゥーで言葉に詰まっているし、正直即答の否定をしてほしかったんだけど、別にそういう関係ではあるまいに、何を詰まる必要があるのか。

「姉さんが良ければそう言う関係も悪くないとは思うけどな」

 こいつは、そんな言葉と共に満面の笑みをこっちに向けてきた。

「そんな事にはならねぇから。絶対」


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 褒められたりとか、自分の事を良く言われる事自体は、純粋に嬉しいし、受け入れられるけど、そう言うのはダメ。

 それを受け入れる前に、俺が拒絶する。

 相手がフィアとかエルンとか、イクシアとかだったら、素直に受け取ってしまうかもしれないけど、さすがに野郎を受け入れられるほど、俺の器は出来ちゃいないというか、フェリスに染まってはいない。

「即答はさすがに傷つく。口調もなんか男勝りが強くなって、余計に傷を抉られるわ」

「そう…」

「傷への救済はなし…か。まぁ今はそう言う事にしておこう」

 今だけじゃなく、今後永久にそういう方向へ意識が転がる事が無いよう祈るよ。

「所で、普通に話に入ってきたが、その子は誰だ?」


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 ドゥーは、私の脇を覗くように、私の後ろに隠れ、覗き込むように自分を見ているフルートへと、視線を向ける。

「妙に俺への当たりが強いように感じるけど、孤児院にそんな子はいなかったよな? 混血の特徴も印象深いし、忘れる事なんてなさそうだが」

「ええ、まぁ。色々と事情があるのよ」

 オラグザームの逃亡者。

 今まで辛い目に会ってきて、今も後遺症で苦しんでいるだろうし、助けてあげなきゃ…と思う事はあれ、哀れな弱者を装ったスパイだと、疑う事はしないししたくない。

 その肩書は、フルートや、他の逃亡者たちを傷つける言葉でしかない、だから私はドゥーの言葉に素直に返さずに濁した。

「気になるなら、エアグレーズンの基地に行って見ればわかるよ」


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「・・・、わかった。じゃあ時間が空いた時にでも、また向こうに遊びに行くとするわ」

 そう言って、彼はフルートに対しても、元気溢れる笑顔を向け、時間が来たと乗合船を出発させた。

 またなと手を振るドゥーに対して、フルートは怪訝そうに彼を見続け、私は彼と同じように手を振って見送る。

「本当に悪い奴じゃない?」

 フルートの問いは、もうしつこいとさえ言えるが、少女にとっては大事な事か。

「じゃない。私も色々あった身で、彼とは短くはなくても長いとも言えない関係ではあるけど、悪い人ではない事は確かだ。次に会う時は、無理にとは言わないけど、もう少し警戒心を解こうね」

「できる限りがんばる。でも、フェリス、油断はダメよ、絶対。男は獣、いえ、猛獣と言っても過言じゃないわ。いつ襲ってきても不思議じゃないの。本当に親しい人以外には心を許しちゃダメ」


---[25]---


 もとよりそのつもりだが、何かフルートが言うと、かなり重い言葉に思えるな。

 心に染みる。


 その後も、歩く時は常に腕に抱き着く状態は続き、フェリスにとって実家に当たる家に付くまで、その状態は続いた。

「ねぇねっ!」

   「にぃにっ!」

 聞き慣れた声が私達を出迎える。

 相変わらず、妹のリルユは私を兄と呼ぶ、それはそれで自分の妹なんだと思えるから、そのちょっとしたフェリスにとっての誤差も、俺にとっては有難い。

 抱き着いてくる弟達を受け止めて、思いのほか強かったその突撃に、その元気の良さを体で感じる。


---[26]---


「相変わらず元気ね」

 それだけで私の心は、緊張感も無くふやふやだ。

「と、2人共、フルートに挨拶は?」

「こんにちは」

   「こんにちは」

 私の一声で、元気よく挨拶をする2人。

 どことなく私の影に隠れ気味になっている弟のテルは、言うなればさっきのフルートとドゥーの関係に近いか。

 理由は違うが。

 テルの場合、気恥ずかしさとか、人見知りとか、そう言うモノが強く出ているだろう。

「どうした、テル。この前、エアグレーズンで会ったじゃないか」


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 まぁ会ったと言っても、少し挨拶をした程度だけど。

 テルとリルユは、フルートと入れ替わる様に、こっちに帰ってきているから、自己紹介をした顔見知りで親しい訳じゃない。

「テルと…リルユ、こんにちわ」

 こちらも打って変わって、フルートの口調は優しく、まさしく弟をなだめる姉のように、その人当たりは柔らかだ。

 さっきドゥーを敵視していた子と同じだとは、到底思えない。

 まぁ男とは言え、子供に対しても同じ反応をされては、困るなんてモノじゃないから、一安心と言える。

「フェリス、お帰り」

「お帰り」

「ただいま」


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 続いて出てきたのは、言うまでもなく母さんと父さんだ。

 弟達の突撃を一通り見届けてから、2人は声をかけてくる。

 2人のお帰りという言葉には、自然と笑みが零れ、弟達の時でさえ、嬉しさのあまり笑顔になっていたのに、今の笑顔は頬とかが少々痛いぐらいだ。

「じゃあフルート、私は母さん達と大事な話があるから、ちょっと2人の事をお願いしてもいい?」

「ええ、いいわ。フェリスの頼みだもの、完璧に熟して見せる」

 どこから来る自信なのか、妙に彼女の胸を張った姿勢は力に溢れている。

 遠くには行かないでねと付け足して、遊び始める3人の姿を横目に、私達は家の中へと入っていった。

「フェリス、お腹空いてる? 空いてるなら何か用意するけど」

「いや、別に空いてないかな。朝ちゃんと食事はしたし」


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「そう」

 残念そうに肩を落とす母さんは、椅子に座った私に恨めしそうな視線を向ける。

「なんかこう…物足りないのよね。食事を作るにしても食べるにしても、シンプルイズベストを追求し過ぎていて作り甲斐は無いし、そもそも作る回数が減っているし、料理自体もシンプル過ぎて美味しくない」

 まぁこの世界には調味料って概念は無いし、体の魔力を使うための仕組みが成長しきってしまえば、そもそも食事を取る必要もほとんどなくなる。

 それでも一日一回必ず食べるのは、体がこうなる前の名残、腹を満たすという目的の為だ。

 そう言う点で、この世界は現実よりもだいぶ劣っている。

 食事がただの作業になってしまっている訳で、ここで美味しい母さんの手料理が食えないというのは、なかなかにもどかしい。


---[30]---


 作ったとしても美味しい料理でないのは残念極まるといった所。

「お父さんもそう思うでしょ?」

「ん~? あ~、確かに、夜、本を読む時間に、片手が物足りないと思う事は多いかな」

「でしょ~」

 噛み合っているようで噛み合っていないというか、噛み合っていないようで噛み合っているというか…。

 この会話は、聞いていて飽きないな。

 父さんの片手が物足りないというのは、多分晩酌が無いという所だろう。

 朝食を食べてしまえばその日1日の食事は終わるし、調味料が無い世界なのだから、酒だってある訳がない。

 夜の晩酌、仕事終わりの一杯を楽しみにしていた人間からしてみれば、それは寂しいの一言だろう。


---[31]---


 母さんは料理を、父さんはお酒を、という当たり前の光景が脳裏に焼き付いているから、夢の世界の2人もそれを望む。

 でも望んだものが無いから、それが表面に現れている。

「食材も肉というか、魚というか、お肉だけだし、それを焼くだけって、もはや料理とは言わないわよね?」

「まぁ…うん」

 反応に困るな…、解決策なんて無いし、現実の物を持って来れれば話は別だが、それも出来るわけがない。

 0から1を生み出す事ができない限り、解決できない難題だ。

 とまぁ、今日はそんな話をしに来たわけじゃない。

 一度咳払いと共に、場の空気を改めて、私は口を開く。

「話は来ていると思うけど、軍に入る事が決まったから、改めで話をしに来た」


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 夢の世界、普通に報告して終わりと思っていたが、一言しゃべるだけで口の中の水分が干上がっていく。

「話を聞いた時はびっくりしたけどね。フェリスが自分で決めた事なら、私は応援するわ。母だからね。お父さんも同じ意見よ」

「自分で決められるというのは、若いからこそ。そこに他人が介入する余地はない」

「でも、言っておくわ。軍に入るのは確かに良い事ではあるけど、それを罪滅ぼしの理由にしてはいけないわよ」

「・・・え?」

 いつも笑顔で、周りの雰囲気を明るくする母さんが、その瞬間だけ笑みを捨て、すごく真剣に、まっすぐな目を私に向けてくる。

 その時、ノイズが走る様に脳裏を悪夢の瞬間、記憶が過った。


---[33]---


 夜の街並み、暗い世界を照らす街灯、そんな周りの光を掻き消す程に、強く、醜く、禍々しく、その脳裏に焼き付かせるように燃え盛る炎。

 気分が悪くなった。

 頭を頭痛に似た違和感が襲い、僅かな吐き気すら覚える。

 自然と額にシワが寄り、手で口元を覆う。

「フェリス、どうかしたか?」

 私の変化に父さんが近寄ってきて、背中を優しく摩ってくれる。

 母さんは、コップ一杯の水を片手に近寄ってきた。

 この夢を見るようになって、稀だが突発的に起きる体調不良や感情の大幅な変化、最近では魔力が使えなくなるという事があったぐらいだ。

 それがその突発的な何かに入るのかという疑問は置いておいて、最近ではほとんどないと言ってもいいモノだった。

 だからこその油断、今回のソレは症状からしてみれば、そんなに強いモノではないのに、差し出されたコップを取る事ができない程、体が硬直してしまう。


---[34]---


 トラウマスイッチとでも言うのか?

 家族の事だったり、あの事故の事だったり、嫌な事を強くイメージした時に限って、こんな状態になってしまうような、そんな気がする。

 心臓の音も心なしか大きく、自分の頭に響いていて、多分脈も速い。

 治まれ治まれと念仏のように頭の中で唱え続け、気づけば2人の手を強く握り締めていた。

「はぁ…」

 吐き気やら何やら、落ち着いた所で、母さんの持ってきた水を一気に飲み干すと、安心したかのようなため息が自然と零れる。

「フェリス、あなたもしかしてできたの?」

「私達もとうとうお爺ちゃんお婆ちゃんになるのか。見た目はそういう雰囲気を全く感じないが、それでもめでたい、めでたいなぁ」


---[35]---


「いやいや、話飛躍し過ぎ。」

 特に父さんの方。

 そんな可能性欠片もないのに、孫ができたような気になるのは早すぎだって、お約束かよ。

「相手は誰?」

「だから違うって。時々なるの、昔の事を思い出すと」

「昔?」

 このまま母さん達に合わせて話をしていると、いつまで経っても答えのない問題の追及をされそうだから、早いとこ話を変えようとした。

 すると、2人の話への食いつきは良く、そもそもわかっててやっていたような、そんな気さえ感じる。

 とりあえず、話が戻らないよう、私は言葉を続けた。


---[36]---


「事故の事とか色々とね」

「事故…」

 私の言葉に、母さんは疑問の色を覗かせて、首を傾げる。

「事故? フェリスが大怪我をして医療術室で治療を受けた時の事かい?」

 一方、父さんの方は、ピンッと来たように人差し指を立てた。

 私にとっての事故は、俺の事故、あの事故の事だが、ここでの父さんないしは父さん達にとっての事故は、私が初めてこの夢を見る直前のフェリスに起きた何かの事らしい。

 私からしてみれば、それがどういうモノなのか知らないから、父さんの言葉に素直に頷く事は出来ないけど。

 でも分かった事として、この世界の父さん達は、この世界での存在だという事だ。

 まだ欠けたモノが多くあるような気はするけど、そこに変わりはないだろう。


---[37]---


「私、その事をよく覚えていないというか、医療術室で目覚める前の事ってわからないのよね」

「それはまた不思議な話だ。自分で、事故が、とか言い出したのに、その内容を覚えていないの?」

「うん、まぁ。大怪我したぐらい。それって…どのくらいの大怪我だったの?」

 一応エルンが話をしてくれた気がするけど、その時は俺が現実で起きていて夢を見ておらず、聞いたという事は覚えているけど、その内容はうろ覚えだ。

 体自体には致死レベルの傷ができた訳ではない…と思う。

 それ程の傷なら、治ったとしても完全に消える事なく、傷痕が残ると思うから。

 でもそういうのはない、この世界で生活する上で、フェリスの体を、正確には全裸を何度も見る機会はあったが、それらしい痕は見られなかった。

「大怪我…大怪我ねぇ。私達が聞いた限りじゃ、大怪我と言える程の大怪我はしていなかったって話だけど。ねぇ、お父さん?」


---[38]---


「ああ、体の所々に切り傷や打撲の痕はあったが、大怪我と呼べるような傷は無かったそうだ。でも不自然な事はあったらしくてね。体に傷はないのに、服とか鎧とかには、ちょうど心臓部分に剣が刺さったような損傷が見られたと。それに血痕もあったらしい。でもそれだけの傷は無かった。なぁ? 不思議だろ?」

 それが本当なら、不思議なんてレベルではないんだが。

 事故というより怪奇現象かも、そう考えるとちょっと怖いな。

「不思議な事があるもんだ。「戦場で倒れていた」にしても不自然で、目も覚まさないものだから、原因がわからず、傷の治療も兼ねてファルガさんの医療術室に移されたって聞いたかな。あなた、ファルガさんに感謝しなきゃダメよ? 命の恩人なんだから」

「あと神様とかかな?」

「なんでさ? エルンに感謝するのはわかる。というか感謝しているけど、何故に神様?」


---[39]---


「明らかに不自然過ぎるからだ。鎧とかの傷がフェリスの傷にも同じように入っていたら、確実に致死レベルだったと聞いている。それなのに体にはそんなに大きな傷はない。無宗教ではあるが、何かしらの力が意図的に加わって、傷が無くなったと思わなければ説明がつかない」

「なるほど。言いたい事はわかった」

「神様かぁ、もしかしたら、大がいくつも付くような悪魔かもしれないわね。大きな力を与える代わりに代償を払うとかそう言うの。死を免れない傷を治してやる代わりに、後で大きな代償を貰うとか」

 何それ怖い。

 神がいるならいるで、出て来いと思うけど、それが悪魔だったら絶対に出てほしくないぞ。

「でも、大怪我するって思うと、私はさっきの軍に入る事を賛成する言葉は、間違いなんじゃないかなって思ってしまうわね」


---[40]---


「母さん…」

 いたずらをする子供のような表情だった母さんは、現実に引き戻されたような、考え込むような表情に変わる。

「でもまぁ、やっぱり、私には背中を押す事しかできないな」

 暗い表情はすぐに消え、いつもの明るい笑顔が咲く。

「心配してくれてありがと。私、出来る限り頑張るよ。神様でも悪魔でも、私を蘇らせて良かったと思わせてやる」

「おぉ~っ! その意気よ、フェリス!」

「フェリスが言うと戦争もすぐに終わらせちゃいそうだな」

「さすがにそれは言い過ぎじゃない?」

「何言っているの? やるからにはそれぐらいの意気で行かなきゃ。大丈夫よ。あなたは何たってあのブループを倒した剣士よ? 力は十分…て、そうだっ!」


---[41]---


 私が胸を張る場所なのに、母さんは自分の事のように胸を張って喜ぶ。

 そして何かを思い出したかのように、勢いよく立ち上がった。

 私も父さんも、どうしたの、と不思議そうに母さんの方を見る。

「忘れる所だったわ。フェリス、あなたはあのブループを討ち取ったのよ? 今祝いをせずにいつ祝うのよ?」

「え、そんな祝うような事じゃ…」

「そんなもこんなもないわ。大事な事よ、とてもね。という訳で、腕によりをかけてご飯を作らなきゃ…。いえ、腕によりをかけてお肉を焼かなきゃ」

 母さんは、何かのスイッチが入ったかのように、その勢いが止まる気配を見せない。

「フェリス、もうご飯は食べた…とか、寂しい事は言わないでね。今日ばかりは無理してでも食べてもらうから」


---[42]---


「でも…」

「でもじゃない。今日はブループ討伐記念と、一緒にフルートちゃんの歓迎会イベントの日にしましょう。まだ話さなきゃいけない大事な事があるような、そんな気がするけど、そんなの後回しよ」

『イベント?』

   『いべんと?』

 テンションが上がり、外で遊んでいた弟達にも聞こえたのか、家の入口からフルートも含めて3人が顔だけを覗かせる。

「ふっ」

 こうなってはもう止まらない。

 そう思うと、昔の明るい記憶、リビングでよくあった突拍子もない母さんの思いつきの記憶が蘇り、今度は体調不良になる事もなく、ただただ心が温かくなり、自然と笑みが零れた。

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