第36話

第三十六話



 やがて俺たちの番になり、ゴンドラへ乗り込む。座り方は対面。てっきり隣にくるとでも思ったが、望海はスマホのカメラを起動しつつ外の景色に釘付けだった。

 夢中になってる望海の横顔って、こんなにかわいいのか……と思って、慌てて顔をそらす。

 そうして目を向けた先には、田舎らしい平地が広がっていた。遠くには連なる山も見え、その向こうはさすがに白く霞み、辛うじて富士山らしきシルエットがわかるぐらい。


「……きれい」


 望海がボソリと呟いた。


「だな。ほんと、なんもない田舎だけど……」


 でも不思議と、心が安らぐ気がした。最近は特に慌ただしかったこともあって、こうしてゆったりできるのはなんだかんだで悪くなかった。


「それより優ちゃん」


 ゴンドラがそこそこの高さに達したころ、ふと俺は望海に呼ばれる。

 振り向くと、望海は座席の端に寄って座り、なぜか自分の膝をポンポンと叩いた。


「はい、膝枕」

「…………なぜ!?」


 あまりにも唐突な流れに本気でツッコんでしまった……。


「だって優ちゃん、観覧車ダメだったでしょ?」

「え? ……ああ、そういやそんなときもあったな」


 昔、それこそ俺が幼稚園児ぐらいのころだ。

 俺と望海が家族ぐるみで出かけたとき、一緒に観覧車に乗ったことがあった。


 今はもう全然平気だけど、当時の俺は高いところと狭いところがダメだった。観覧車なんてまさにそのダブルパンチだ。


 そうとは察することもできずウキウキしながら乗り込んだものの、閉じ込められてどんどん高い場所へ連れていかれるにつれ、俺は――


「あのときの優ちゃんのギャン泣きぶりは、未だに夢に見る」

「やめてー! もう一切合切記憶を抹消してー!」


 これだから幼なじみは嫌なんだよ!

 人の黒歴史、どんだけ掘り起こせば気がすむんだ!


「だから、はい。膝枕。あのとき、私が優ちゃんに膝枕してあげたら泣き止んだから」

「そういうこと、ほんとよく覚えてるよな……」

「優ちゃんに褒められた。えっへん」

「別に褒めちゃいないよ! だいたい、今はもう平気なんだ。だから観覧車選んだわけだし。膝枕なんてする理由もない」


 俺は望海から顔をそらすように外を眺めた。そもそも膝枕なんて恥ずかしいこと、すんなりできるわけがないんだ。やったらやったでまた望海を調子づかせるだけだろうし。


 ……だけど望海は諦めるつもりがなかったようだ。

 素早く立ち上がって俺の隣に座ると、


「え? ちょっ、なに――痛っ!」


 いきなり俺の肩と頭を押さえつけ、強引に膝へと倒した。

 柔らかく温かい太ももの感覚が、俺の頬に当たる。

 耳なんかももとももの間に包まれているかのようで、ものすっごくこそばゆい。


「む、無理矢理にもほどが……って首! 首が痛いんだけど!?」

「優ちゃんが抵抗するから」

「お前が頭抑えつけてるからだろ! テコの原理!」


 言われて初めて気づいたかのように「……あっ」とか口にしたぞ、望海のやつ。

 俺が逃げやしないか不安なんだろうか。望海は恐る恐る手を離す。

 ようやく姿勢が楽になり、ホッと落ち着くものがあった。


「ここまでやられたら、もう逃げたりしないって」


 そもそも逃げ場もないし、変にヘソを曲げられても困るしな。


「…………それになんだか、望海の膝枕は懐かしくて安らぐ」


 そう、つい本音が零れてしまった。

 自分でなに言ってんだろ、って思ってしまう。でも本当にそう感じたんだ。


「やっぱり優ちゃん、中身は全然昔と変わってない」

「初めて膝枕してもらった幼稚園児のころから……って意味か?」


 と、冗談めかして訊いてみると、


「それもあるけど」

「あるのかよ!」


 さすがに幼稚園児よりは成長してるわ!


「本心が素直でかわいいところ。…………外面はとってもダメダメだけど」

「……ひと言多いっつーの」

「でも、本当だよ? 優ちゃんは昔から素直でかわいくて優しくて……そんな優ちゃんのそばが、昔から私の一番好きな場所で……唯一の救いだった」


 唯一の救いだなんて大げさだな……とは、思わなかった。


 望海は昔から口下手で人付き合いがうまいほうじゃなかったし、両親が不仲になってからは自宅の居心地も悪くなった。どこにも居場所らしい居場所がなかった。

 そんな時期に俺と望海は、なにかにつけ一緒の時間を過ごし、誰よりも仲がよかったんだ。俺が逆の立場でも、望海と同じように救いに感じていたかもしれない。


「けど、聞いていいことかわかんないけどさ……。おばさんとおじさんが離婚してから、ちょっとは雰囲気も変わったんじゃないの?」

「……変わったよ…………より悪い方に」


 俺の頭に置いている望海の手が、微かに震えた。


「離婚して、おばあちゃんちに住むようになってから、お母さん毎日イライラしてた。おじいちゃんおばあちゃんに当たるようになったし……ときどき、私にも」


 しかたがなかったと諦めているような声音に、俺は心が抉られるようだった。


「……ごめん。やっぱ、聞かない方がよかったな」

「ううん、大丈夫。優ちゃんにはちゃんと、聞いてほしい」


 望海は俺の髪を指先で撫でた。妙にくすぐったい気持ちにさせられる。


「お母さん、いろいろうまく行かなくって、大変だったんだと思う。でも当たられるのはやっぱり悲しかった。私だって、新しい学校に全然馴染めなくて、辛かったのに……。だからね、優ちゃんからのお手紙が救いで、いつも待ち遠しかった」

「でも、手紙にはそのへんのこと、一度も書いたことなかったよな」

「やだよ、書きたくないよ。楽しいやり取りなのに、そんな嫌な気持ちとか……。だからいつも、楽しいお話ばかり書くようにしてたの」


 そう気丈に振る舞っていたように話すけど、もしかしたら俺を心配させないための強がりだったのかも……なんて思うのは、さすがに自惚れすぎかな。


「……でもお手紙も急に途絶えちゃって、私、すごい不安になった。だから中学のころね、優ちゃんに会いに行ったんだよ。何度も何度も……けど、全然会えなかった」


 望海は俺の髪を撫で続ける。辛い気持ちを紛らわそうとしているみたいだった。


「私が私でいられた世界が、私の居場所が、突然どこにもなくなっちゃった。目の前が真っ暗になった。それが本当に辛くて、苦しくて……どうしたらいいかわかんなかった」


 連絡の行き違いや、住所の書き間違い。きっかけはそんな不運でしかなかったんだろう。

 でもその不運が望海にもたらした影響は、きっと、計り知れないんだと思えた。


 すると、相づちを打ちにくくて黙っていたら、望海のほうから続けた。


「けどね……これがあったから、耐えてこられたの」


 俺は首を動かして、望海の頭のほうを見上げる。

 望海は胸元からオモチャのネックレスを引っ張り出し、俺へ見せつけるように持った。


 誕生日に俺がプレゼントした、屋台のクジの残念賞。


「会えなくなっちゃったけど、あのときの約束を信じ続けることはできる。優ちゃんのことを、想い続けることはできる。これがある限り、優ちゃんの存在を近くに感じることができる。だからいつか再会できるよって、自分に言い聞かせることができた」


 今はもう、当時の輝きなんて剥がれてしまったプラスチックの固まり。

 そんなものでさえ、彼女にとってはかけがえのない宝物だった。


「……なんでそんな、まっすぐ信じられたんだよ。もし会えないままだったら、とか考えて怖くなかったのか?」

「全然。だって、信じ切ってたから。いつか会えるって。会いに行くって。むしろ、優ちゃんだって探してくれてるかも、って思ってたぐらい」

「そんなの、結果論じゃん。今はこうして会えたから、そう思えるだけでさ……」


 計算も打算もない。ただ信じ、祈り続けるだけ。行動とは呼べない行為。

 にも拘らず、望海は俺の頭を撫でながら、淀みなく言った。


「うん、そう。今はこうして、再会できたよ。信じてたから、奇跡が起きた」


 ……そんなのは屁理屈だ。結果にあとから都合のいい理由をつけているだけ。

 そう思ったけど……当然、言えるわけがなかった。


「外面は計算高い八方美人のクズになっちゃったけど……こうしてまた、大好きな優ちゃんのそばにいられる。それがなにより、私にとってはうれしい奇跡なんだよ」


 相変わらずなにを考えてるか読めない澄まし顔で、辛辣な言い方も挟んできたけど。


「……そういうもんなのか?」

「うん。そういうものだよ」


 その優しい声音は、どこか、この状況を喜んでいるように聞こえた。

 それが妙に気恥ずかしくて、申し訳ない気持ちにもなり、俺は望海から顔をそらした。



 ――カシャッ


「……って、なに撮った、今っ!」


 突然のシャッター音で跳ね起きると、俺は望海のスマホをひったくった。

 ディスプレイには自撮りの望海越しに、膝枕されている俺の姿が映っていた。


「渾身の一枚。既成事実を激写。言い逃れできない彼氏彼女のイチャラブ証拠写真」

「問答無用で削除だ!」

「クラウドに自動保存なので抜かりなし」

「用意周到! お前は探偵かなにかか!?」


 だが一応、端末上からは削除しておく。

 いかんいかん。なんでいつも望海のペースに乗せられ、あまつさえ絆(ほだ)されちゃうんだ。

 俺の理想の青春を守るため、もっとも警戒しなきゃいけない相手だってのに。


 ……ただ、望海のように計算打算もなく一途でいられることは、少し羨ましいと思った。

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