第30話
第三十話
とまあそんな流れで、俺と未央ちゃんと望海は一緒に下校することとなった。
正直、シャワールームでのやり取りもあったから、この場に未央ちゃんがいるのは少し意外だったけど。呆れられた結果、避けられるかな……と思ってたぐらいだし。
ひとまず俺たちは、裏門から出たら正門のほうへぐるりと迂回することにした。そのあとは日波駅との間に広がる住宅街を抜ける。夕暮れに染まる、通い慣れた通学路だ。
ふと俺は、未央ちゃんが肩から提げている小型のクーラーボックスに気づいた。
「そのクーラーボックス、俺が持つよ」
「ありがとうございます。でも別に、重くはないんですよ? ちっちゃいですし」
「いいんだよ。こういうのはやっぱり、男が持たなきゃ」
なんて言いながら受け取ると、左隣を異様な至近距離で歩いている望海が言った。
「洲崎ちゃん、ズルい。私も優ちゃんに持ってほしい」
「……わかったよ。ほら、カバン貸せって」
「違う。私のこと、おんぶ」
「自分で歩け!」
なにシレッと難易度高い要求してんだよ!
「そうだよ久城ちゃん。先輩に無理させるのはよくないよ」
おお、なんか未央ちゃんが強気で対抗してきた。
「今日は先輩、飲み物かかっちゃったりしていろいろ大変……だったん、だから……」
と思ったら、徐々に語気が弱くなっていく。シャワールームでの一件を思い出しちゃったんだろう。そりゃ、まだまだ引きずっちゃうよなぁ……。
「未央ちゃんも、今日はその……いろいろと、ごめんね?」
「い、いえ! むしろ謝んなくっちゃいけないのは、わたしのほうですし……。本当にすみませんでした」
俯きながら話す未央ちゃんの顔は真っ赤だった。
その様子を不思議に思ったのか、望海が俺の袖をくいくいと引っ張る。
「なにやらかしたの?」
「訊き方! やらかしてはいないっての! まあ……ちょっとしたハプニングというか」
「……それを『やらかす』って言うんじゃないの?」
ぐ、ぐうの音も出ねぇ!
だめだ、この話題をこのまま続けるのは危険な気がしてきた。
なにか別の話題を引っ張ってこないと……って思うのに、一度思い出しちゃったらシャワールームの映像が頭から離れなくなった! ほ、他にいくらでもあるだろ、話題は!
そう頭を抱えたくなっていたら、不意に未央ちゃんが立ち止まった。
「そういえば、先輩は覚えてますか?」
「……え? なにを?」
唐突な質問に、俺は彼女のほうを見る。未央ちゃんは余所を向いていた。
彼女の視線の先にあるのは小さな公園だ。竹高から駅までの通学路の途中にあり、春は桜が満開になって竹高の新入生を迎えてくれる。
あとたまに、竹高生徒のカップルがベンチでくつろいでたりもする、憩いの場所だ。
「わたし、入学式の当日に、ここで先輩に会ってるんですよ?」
まだ一ヶ月ちょっとしか経っていない思い出を、未央ちゃんは懐かしむように言った。
そういえば俺も、入学式の朝にここで新入生の女の子に会っていた。
入学式当日、二年や三年は普通に授業のある日だったんだけど、俺は電車を一本乗り遅れちゃって遅刻ギリギリだった。駅から竹高までをダッシュで乗り切ろうと思ったけどさすがにキツくて、一息つこうとこの辺で足を止めた。
で、何気なく公園のほうを見たら、中をうろうろしている竹高の生徒がいたんだ。
眼鏡をかけたお下げの女の子で、リボンの色からその子が一年生だってことも、このままじゃ入学式に間に合わないってこともすぐにわかった。
声をかけたらその子は目尻に涙を浮かべてて、自宅の鍵を落としたというのだ。きれいな桜を撮ろうとスマホを取り出した拍子に、鍵もポケットから落っことしたらしい。
さすがにそれは一大事だと思い、俺も一緒に探すことにした。思いの外すぐに鍵は見つかって、あとはひたすら学校までふたりでダッシュ。入学式にも始業にもギリギリで間に合いそうってことで、俺たちは自己紹介をする間もなく別れたのだ。
確かその子は、見た目こそ違うけど背格好はちょうど未央ちゃんと同じぐらいのちんまりとした……って、ええっ!?
「え、待って待って。あの子、未央ちゃんだったの!?」
「その反応……やっぱり先輩、気づいてなかったんですね」
「いやいや! だ、だって、様変わりしすぎでしょ。さすがに気づけないって……」
「でも、お下げを解いて少し染めて、コンタクトにしただけですよ?」
それは充分、『だけ』に納まらない変身じゃないかな……。
未央ちゃんはそのまま公園の中に足を踏み入れる。
俺も追いかけようとして一歩踏み出した――ところで、隣の望海がぼそりと呟いた。
「女の子の些細な変化に気づけないなんて、八方美人が聞いて呆れるね」
「ぐっ……なんかその言い方、恨みこもってないか?」
「だって私のことも気づけなかったし」
ね、根に持ってやがる……。
でも、確かに女の子の変化に気づけないのは大失態だったな。今後は気をつけよう。
「ごめんね、未央ちゃん。気づけなくて」
公園に入った俺は、あたりを眺めていた未央ちゃんへ素直に謝る。
「あっ。ご、ごめんなさい……。責めてるつもりは全然ないです。ちょっとした冗談です
から、気にしないでください……でも、少し嬉しいです」
「嬉しい?」
「わたし、両親が共働きで弟の面倒も見ないといけなかったから、おしゃれとかにすごい無頓着だったんです。だから、ちょっとがんばっただけでそんなに様変わりできたんだなって思うと、コンタクトに挑戦してみてよかったって思って……」
未央ちゃんは照れ臭そうに笑う。
「それに、その挑戦してみようって気持ちがあったからこそ、こうしてバスケ部のマネージャーもしているんだと思います。もともと、部活には入らないつもりでいましたから」
「そう……だったんだね」
けど確かに、弟の面倒を見ないといけないなら部活への参加は負担になるだろうな。
「でも、なんでそれがバスケ部だったの? 部活動をがんばりたいなら、他にいくらでもあると思うけど」
すると未央ちゃんは、少し恥ずかしそうに目をそらした。
「そんなの……先輩が所属してたから……ですよ」
なるほど……そういうことだったのか。
ずっと未央ちゃんが入部の理由をナイショにしたがっていたのは、これか。
未央ちゃんがバスケ部にマネージャーとして入った理由も、やけに俺に懐いてくる理由も……疑問に思っていたすべての点が、ようやく線で繋がった気がした。
「ずっとお礼も言えないままでどうしようって思ってたら、先輩が体育館でバスケしてるのをたまたま見かけて……。なにかわたしにできることはないかなって考えて、マネージャーは初めてだけど、がんばってみようって決めたんです」
未央ちゃんは俺のほうへ振り向いて続けた。
「他にもいろいろ、挑戦してみようって思ったことはたくさんあるんですよ? ……そう思えたのは全部、あの入学式の朝に先輩と出会ったからだと思います」
「いや、俺は別になにもしてないでしょ」
「でも一生懸命鍵を探してくれて、ここから学校まで走りましたよね? なんとかギリギリ入学式に間に合いそうだから諦めないでって、ふたりでがんばって……」
「それだけのことで?」
未央ちゃんはコクッと頷く。
「あのときわたしは、心細かったところを助けてくれた先輩に、たくさん勇気づけられたんです。先輩にとっては、たった『それだけ』のことだったとしても……」
一拍置いて、未央ちゃんはまっすぐ俺を見つめて続けた。
「わたしは『それだけ』のことで、もっと自分を変えてみようって思えたんです」
その言葉はとても強く放たれた。
未央ちゃんにとって、かなり重要な決意だったんだとわかるぐらいに。
だからこそ俺は、複雑な思いだった。
俺は自分で自分を八方美人だと思うし、そのためには人に親切であろうって方針で行動している。あのときの俺だって、打算的な親切心が体を突き動かしたにすぎない。
それだけなのに未央ちゃんは、自身を変えるほどの影響を受け、自分の時間を犠牲にしてまでマネージャーになってくれた。その事実に、俺は戸惑いを覚えた。
「それに自分を変えてみてから、これまでよりも毎日がすっごい楽しいんですっ。だから先輩。あのときはキッカケをくださって……本当にありがとうございました」
心からの感謝の言葉と、まっすぐすぎる笑顔。
こうして、自分の親切が誰かの笑顔に変わって返ってくる。
望んでいた結果が、答えが、ちゃんと返ってきている。
だから嬉しい……はずなのに。
「なにも大したことはしてないって。けど……どういたしまして」
返事の内容とは裏腹に、俺の気持ちはスッキリしないままだった。
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