第18話

第十八話



 望海には、俺が計算打算の八方美人だってことは感づかれてるんだよな。今もこうして言い切った以上、望海の中で確証はなくとも確信はある……。


 なら隠したところでしょうがない、か。

 そもそも、八方美人になって計算と打算で取り繕う前の俺を、知ってもいるんだしな。

 望海になら、その皮を剥いで素のままに接してもいい……か。


「……望海の言うとおりだよ。勝手なデマを流されると、俺の評判や人望に関わる。せっかく順風満帆に理想通りの青春を楽しんでるんだ。それを壊したり、内側からグチャグチャにするようなことだけはやめてほしい」


 思っていたことを吐き出して、俺は缶コーヒーを一口含む。

 ああ、苦い。俺の心境にマッチしたビターな香りがする。


「やっぱり優ちゃん、変わっちゃったね」


 そうポツリと呟いた望海は、どこか寂しそうだった。


「そりゃ六年も経てばいろいろあるって。むしろこんなに変わってても、お前はやっぱり俺のことが好きなのか?」

「うん」

「即答か……」


 ここまで正直で素直でまっすぐだと、ある意味恐れ入る。

 だからこそ――本当に俺のことが好きなのか、わからなくなる。


「確かに優ちゃん、変わった。けどこういう優しいところは、変わってなかった」


 そんなことを言う望海は、ジュースのペットボトルを見つめていた。

 高校デビュー目指してからはともかく、昔からそんな親切なほうだったかな、俺……。


「だからこそ私は、なんで優ちゃんがそんなふうになっちゃったのかが気になる」


 望海は俺の顔を覗き込んできた。なんでだか、望海には全部話してしまおうかって考えが脳裏を過ぎった。八方美人であることもバラしちゃったからかな。

 けど、俺が変わった――変わらざるを得なかった原因をすべて思い出し、洗いざらい吐き出すのは、いくら望海が相手でも無理だった。心臓がギュッと苦しくなる。

 そのぐらい、あの経験は……思い出すのも辛いトラウマになっていた。


「…………いろいろ、あったんだよ。辛かったことが。今はそれだけで察してほしい」


 望海は「そう……」とだけ言って身を退いた。

 この子は勘が鋭い。これだけでも、ちゃんと察してくれると思う。


「同じような辛い思いは二度としたくない。だからこそ計算打算を駆使してでも、敵を作らない理想の高校生活を送るんだって決めた。望海にとって俺が八方美人に見えるのは、そういうところがだと思う」

「敵を作らない……。嫌われることが怖いの?」

「当たり前だろ。ってか普通怖いだろ。人から嫌われるのは」

「私は優ちゃんが好きでいてくれるなら、全人類に嫌われても怖くないよ?」

「さすがにそれはもう少し怖がれよ! 全人類敵に回すんだぞ!?」


 全人類から嫌われている女性に愛された、たったひとりの男――小野瀬優哉。

 ……むしろ重いわ。なんか俺まで狙われそうで怖いし。


「優ちゃんは周りの人に嫌われたくないから、嫌われないよう八方美人の皮を被って、みんなを欺く道を選んだってこと?」


「だから、他に言い方あるだろって!? 本当に俺のこと好きなの!?」


 とはいえ、突き詰めればそういうことなんだろうな。いろいろオブラートに包んだり言い訳がましくご託並べても、今の俺の本質は望海の言ったとおりだ。


「でもさ――やっぱ、そうでもしないと怖いんだよ」


 人が、人付き合いが、学校が、社会が。

 だから俺は八方美人であることを選んだし、これからも選ぶ。


 でも、それになんの問題がある?

 単にすべて俺の心と体を守るため。自己防衛って考え方の、なにがいけないんだ?


 俺の一言を最後に続いた沈黙は、やがてホームに響くアナウンスでかき消された。ほどなくして電車がホームへ滑り込んでくる。


 けど俺はその電車をスルーした。望海が不思議そうに俺を見る。


「……これ、乗らないの?」

「次の次に直通のがくるから、それに乗る」


 望海はますます不思議そうに首を傾げた。


「優ちゃん、今どこに住んでるの? 次の次の直通って、そんなにお家遠いの? この辺じゃなくて? ラインで聞いても教えてくれないし……彼女なのに冷たいね」

「彼女じゃないってば。……遠くもなにも、住んでるとこは今も昔も変わんないよ」


 もう望海の前で取り繕うのも無意味だろうと思って、俺は正直に話した。


「…………うそ。そんなはずない」


 すると望海は、珍しく目を見開いて驚いた。


「だって私……二年くらい前に、優ちゃんち行ったよ?」

「え、そうだったの?」

「でも、会えなかった。お家に違う人住んでて……」


 ああ、なるほど。文通がすれ違った理由も含めて、なんとなく合点がいった。


「中学入ってすぐに引っ越したんだよ。同じ辻倉市内で、通学区域も一緒んとこだけど。でもその報告をする前に文通も途絶えちゃったろ? それで行き違いになったんだな」


 それにしても望海のやつ、わざわざ会いに来てたんだな。素直に驚いた。

 あるいは、それだけずっと俺に対して本気だった……ってことでもあるのか。


「……十回以上会いに行ったのに、優ちゃんに会えなかった理由、ようやく判明」

「いや、来すぎだから! 中学生じゃ辻倉までの電車代だってしんどいだろ!?」

「お年玉貯金を全部崩したの」

「他に有意義な使い方あったでしょうに!」


 それはつまり、全財産なげうつほど俺に会いたかったってことか?

 そりゃ気持ちとしては、嬉しいことは嬉しいけど……もったいない気もするなぁ。


「でも、なんでわざわざ、こんな遠い高校に?」

「地元の高校は、同中のやつらも少なくないからさ。逃げてきた」


 望海は鷹揚に頷いた。まるで、彼女の中で点と点が繋がったかのように。


「私ね。竹高に入って優ちゃん見かけたとき、絶対に幻だって思った。どこにもいなくなっちゃってた優ちゃんが、竹高にいるはずないって。でも気になって校内で尾行したり洲崎さんに確認したら、優ちゃん本人だってわかって……すごい嬉しかった」


 いま望海のやつ、さらりと犯罪めいたこと言わなかったか? 尾行だと?

 けど、そうか。俺と望海の再会は、本当に単なる偶然だったんだな。俺が逃げ場所として選んだ竹高が、たまたま近くに住んでた望海の志望校でもあったってだけのこと。


「でも、なんで竹高なんだろうってずっと不思議だった。そういうことだったんだね」

「そういうこと。これも、望海流にいうところの『計算』だよ」


 まあ、逃げた先でとんだ事故に巻き込まれたって気はしないでもないけど。

 ただ事故の相手が――出くわした知り合いが、望海でよかったとも思う。望海の中の俺は小学四年のころのままで、俺の暗黒の中学時代については見聞きしてないんだし。


 などと話しているうちに、反対側のホームに電車が到着した。

 どうやら望海はそっちに乗るらしく、立ち上がった。


「それじゃあね、優ちゃん。また明日」

「おう……って、もう変な誤解招くようなこと言いふらすなよ?」

「誤解は言いふらさない。言うのはいつも、本当のことだけ」

「だから、何度も言わせんなって。俺とお前は――」

「素の優ちゃんがどれ程魅力的か知ってるのは、私だけだから」


 俺の言葉を遮るようにして、望海は言った。


「だから……その分厚い八方美人の皮を剥がすまで、私は諦めない」


 それはまるで、なんらかの宣言のように聞こえた。

 宣戦布告でも告白でもない。決意表明と言ったほうがしっくりくる、そんな宣言。

 望海の言葉を受けて、俺はなんて返したらいいのかわからず、黙ってしまった。

 そんな俺の様子を見たからだろう。望海は本当に微かな――それこそ、幼なじみの俺じゃなきゃわからないぐらいの微笑みを浮かべた。


「ジュース、ごちそうさま。ありがとう、優ちゃん」


 望海はそれだけを言い残すと、呆気にとられてしまった俺の返事を待たずに電車へ乗り込んだ。

 閉まるドア越しに、俺と望海の視線が交差する。そのときにはもう、さっきの微笑みはなく澄まし顔に戻っていた。

 電車が動きだしてもヒラヒラと手を振り続ける望海を見送りながら、俺は息を吐いた。

 面倒ごとって、本当に立て続けに起るもんなんだな。今日は心底疲れた一日だった。


 八方美人の皮を剥がすまで、私は諦めない……か。

 望海のその宣言が、なぜかずっと頭から離れなかった。



 けどもしこのとき、俺が望海に、中学時代のことを洗いざらい打ち明けていたとしたら。

 自分の気持ちや行動を、取り繕ったりせず素直になりきれていれば。


 違った未来にたどり着けた可能性は、あったのかもしれない。

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