第9話
第九話
「なんだか優ちゃん……すごい計算高くなっちゃったね」
「…………はい? え? あの……へ?」
なにを言われたのかよくわからなかった。またしても情けない声が出てしまう。
「えっと、それは一体全体どういう……。お、俺が計算高い? いやいや……別に、そんなことはないと思うけど」
「でも、みんなと平等に仲良しでいたいけど、目立つようなことはしたくない……って考え方が、もうその時点で打算的だって私は思ったけど。違うの?」
「いや、別に……ふ、普通じゃないか?」
そんな純真無垢な目でこっちを見ながら首を傾げられてもなぁ……。
「でもそんな人付き合いって、周りの顔色窺って、嫌われないバランスを気にしながらじゃないと無理だよね? 八方美人ってことでしょ? けど八方美人って、計算高くないとなれない気がするの。邪推しすぎ?」
捲し立てる望海の言葉を、俺はただ黙って聞き続ける。
「久しぶりに優ちゃんと会って、いろいろ見てたらね。優ちゃんってすごい八方美人になっちゃったんだな……って思ったの。もし間違ってたらごめんね?」
謝る気があるのかないのかわからないポーカーフェイスで、望海は俺の顔を覗き込む。
俺が計算高いやつ? 八方美人だって?
いま手にしている関係性や青春模様が、すべて計算打算で手に入れたものってこと?
「……いやいやいや! さすがにそれは考えすぎだって……。楽しい学校生活送ろうって思って普通に動いてたら、自然とこういう関係ができあがってただけだよ」
「そう、なの? 本当に?」
「そりゃそうだって。それに、そんな器用なこと俺にできると思うか?」
「……無理、だと思う。優ちゃん、昔は不器用だったから。今はわからないけど」
あまり嬉しい納得のされ方じゃなかった!
自分で言ったことだし、事実、昔から不器用っちゃ不器用だったけど……。
まあ、納得してくれたんならそれでいいか。
「そういうこと。俺は不器用だからさ。恋愛始めちゃうと、そっちにばかり意識が向いちゃうと思う。かといって、気持ちの追いついていない恋愛なんてしたところで、余計に望海を傷つけるだけ。そっちのほうが、俺は嫌だな」
俺は望海の目をまっすぐ見つめながら説得する。
しばらく無言で見つめ合ったあと、望海は小さくため息をついた。
「……それでも、私の気持ち、変わらないから」
たったそれだけを言い残すと、望海は振り返って一足先に保健室を出ていく。
ぽつんと俺ひとりになった薄暗い保健室へ、一気に静けさが舞い戻ってくる。こちこちと、壁掛け時計の寒々しい音が鳴っているだけ。
その静けさのおかげで、一気に頭が澄んでいく。ソファの背もたれに身を預け、短くため息を漏らしたあと、なぜか俺はしばらく身動きが取れなかった。
体育館に戻ったのは結局、降り出した雨の音に気づいたからだった。
雨の中、最寄りの辻(つじ)倉(ぐら)駅から自宅まで必死に走って帰ってきたのに、制服をずぶ濡れにしたことを母さんにこっぴどく叱られた俺は、そのまま風呂場に放り込まれた。
五月の雨は濡れると底冷えするせいもあって、風呂が沸いていたのは素直に感謝だ。
ザブンと湯を顔にぶっかけて、保健室での望海とのやりとりを反芻する俺。
幼い頃に離れ離れになってからも、俺を一途に想い続けてくれた幼なじみ、久城望海。
彼女はこの六年間、ずっと俺と付き合っているつもりでいた。
それについては、俺の勘違いのせいでかわいそうな思いをさせちゃったけど……もちろん、異性に好かれて嫌な気持ちなんてない。望海の気持ちは純粋にありがたいって思う。
状況が状況じゃなかったら、きっと嬉しくて逆立ちしながら校庭走ってたろうな。
いや、ごめん冗談。そもそも逆立ちできるほどバランス感覚よくないんだ。
ただやっぱ何度も言うとおり、今もしも望海と付き合うってなったら、俺が望んで築き上げてきた関係性はあっけなく崩壊してしまうと思う。それだけは避けたい。
俺はもう、中学のときのあんな思いをするのは、こりごりだから。
だからこそ高校デビューを決意して、今日の今日までがんばってきたんだ。
……それなのになぁ。そのがんばりと成果を、言うに事欠いて計算高い八方美人って。
望海のやつ、本当に毒舌だよ。昔に比べて語彙力上がってるぶん、攻撃力増してるし。
でもまあ、言い方が辛辣なだけで全部望海の憶測でしかない。
単に話を聞くだけなら、荒唐無稽にしか聞こえない、思わず笑っちゃうような与太話。
そうだ。そんな与太話、盛大に笑い飛ばせばいいじゃんか!
あはははっ!
ははは………………
なんでバレた!?
ちょっと待って。いや思いっきり待って? どこで感づかれた?
なにか失言したか? 俺、バレるようなことやらかしたか?
んなわけない! わかりやすく気づかれるような失言があったなら、それこそそのときに気づけるだろ! 今までどんだけ発言に気をつけてきたと思ってんだよ!
いくら思い返しても失態は見当たらない。たぶんこっちに落ち度はない……はず。
じゃあ感づかれた理由は他にある。つまりは望海の中のなにかだ。
…………いやいやいやっ! そこまでわかったからって、どうにもなんねぇよ!
実は望海って心が読めるんじゃないの? あいつ本当はエスパーなのか? それともメンタリスト? 俺の仕草かなにかで読み取られたのか?
マジでわけがわからん! 軽く恐怖体験だよこれ! 手、震えてるし!
……いや待て。落ち着け。バレたと決めつけるのは早計だ。
自分で言ったように、ただ感づかれただけって可能性も充分ある。つまりはブラフ。誘導尋問。ボロが出るのを誘っているに違いない。……でもなんのために?
まあその辺の詮索はあとでいい。
優先すべきは、これ以上ボロが出ないよう細心の注意を払って行動することだ。
そうすれば露呈することはない。ちゃんと自分の中にのみ留めて、守り切れるはずだ。
俺がこの理想の青春を、計算打算を駆使して手に入れたっていう、紛れもない事実がな。
§ § §
望海は俺のことを、要約すれば『今のおいしい青春模様を計算打算で手に入れ、あの手この手でキープして楽しもうとしている八方美人』と称したわけだが……。
なにひとつ間違っちゃいない。はっきり認めよう。俺はまさしく八方美人だ。
計算と打算を駆使し、八方美人に徹してクラスメイトとコミュニケーションをとる。それこそが中学時代を踏まえて俺なりにたどり着いた、理想の青春を謳歌するための戦略。
そしてその成果が、月原先輩や遙香、未央ちゃんたち三人とのゆるい距離感を含む人間関係と青春の獲得――つまり『高校デビュー』の成功だってわけだ。
けど俺は人を貶めるような手段は使っちゃいないし、使わないことを鉄則にしている。
高校デビューにあたって俺がしてきたことのひとつは、情報をかき集めることだ。
例えば流行りのお笑い芸人の情報とか、新しく始まるドラマの話題。
あるいは新商品のお菓子の情報だったり、人気のマンガや映画の知識。
他にもテストのヤマや各先生の弱み、スクールカースト上位の生徒のプロフィールや、かわいい女子生徒の3サイズ、好きな男子のタイプなどなど。
情報ってのはなんにでも利用できる。なにか行動を起こす上で、データのインプット量はそのまま力に代わる。浅くてもいいから広く、集められるだけ集めておいて損はない。
だから俺は、情報収集にあの手この手を尽くした。
あとは集めたデータを、上手に利用していくだけ。
周囲の顔色と空気を窺いながら、計算に計算を重ねて的確に情報を利用し、時間をかけてクラスメイトとの信頼関係を築いていったってわけだ。
バスケ部に所属しているのだって、コミュニケーションを円滑にするための計算だ。
運動部に所属しているってだけで、周囲の生徒は俺のことを勝手に陽キャ認定してくれる。校内での地位を確保するのに、この陽キャ属性は必須と言っても過言じゃない。
もちろん運動部員であることが陽キャの絶対条件ってわけじゃないだろけど、少しでも印象にバフがかかれば、あとは俺の計算打算による言動次第でどうとでも取り繕えた。
生徒会だって、その肩書きがあれば好印象を得られるから所属しているだけ。特に影響力が顕著なのは、先生たちからの評価と内申だろう。
ともかく、そんな地味な計算打算の末に手に入れたのが、教室の中にひとりやふたりは必ずいる『誰に対しても分け隔てなくいいヤツ』的なポジションだ。
これは言い換えれば、大多数から嫌われない平穏な立ち位置でもある。
誰にも迷惑をかけることなく、俺の望む高校生活を楽しむために必須であり、最適だと確信している理想的なポジションだ。
誰かに特別好かれようとすると、得てして別の誰かに嫌われる可能性は高くなるものだ。もし嫌われた相手が、クラス内の覇権を握っているカースト上位のやつだったら? あっという間に俺の存在は潰される。
あるいは誰かに好かれようとすると、他の誰かを切り捨てなくっちゃならないことだって起こりうる。もし切り捨てた人があることないこと吹聴したらどうなる? 俺の周囲からの信用はガタ落ちだ。
だからこそ俺は、特定の誰かに好かれることより誰からも嫌われないことを最優先した。
それを八方美人と呼びたいならそう呼べばいい。俺は八方美人って言葉をネガティブに捉えてないからな。でなきゃ最初からこんな考え方を支持し、行動に移したりしてない。
現に俺は八方美人に徹したおかげで、念願の明るく平穏で、程よくみんなからチヤホヤされる楽しい楽しい青春模様を手に入れたんだ!
八方美人でなにが悪い! 高校生活を存分に楽しむことのほうが何倍も大事だろ!
てなわけなので、打算的だってことが周知されちゃうのはまずい。非常にまずい。
八方美人は、バレない内は誰にも迷惑かからないけど、バレた瞬間信用が崩れるからだ。
望海に感づかれたのは俺史上最大の誤算だ。このままじゃご破算だ。韻なんて踏んでる場合じゃない。
望海はこの事実を周囲に言いふらしたりはしないと思う。望海の中でも俺が八方美人だって確証があるわけじゃないだろうし、そもそも自分から言いふらすメリットが薄い。
しばらく望海を観察して、動きを把握しとくか……。そういう意味じゃ、俺が部長を務めるバスケ部のマネージャーになってくれたのは不幸中の幸いだ。
今の時点で俺がジタバタしたって意味はない。でもそれは望海の側も一緒だ。今日明日じゃことは動かず、しばらくは俺の尻尾を掴もうと様子見の膠着状態が続くはず。
なら一度冷静になって状況を見極めるとしよう。
同時に、今のみんなとの関係や俺の立ち位置が崩れないよう、防衛策を練っていこう。
……そんな簡単に、俺の青春が壊されてたまるかってんだ!
§ § §
翌日。外は昨晩の雨がなんだったのかってぐらい、雲ひとつない晴れ。
そんな快晴の早朝、辻倉駅から電車に乗って揺られること一時間以上。
俺は、同じ県内だけど地元から五十キロは離れている竹高を目指していた。
なんでわざわざそんなに遠い高校を選んだのかというと、これだけ地元の辻倉市から離れてれば、同中のやつらと遭遇することなんかまずないからだ。
高校デビューにあたって俺のしてきたことの中で、たぶん最初の行動が『地元からなるべく離れた場所の公立高校を受験する』だろう。
本当は県外の私立も視野に入れたかったんだけど、金銭的に厳しいって条件を親に出されてしかたなく県内の公立校を志望した。まあ今にして思えば、私立は県内外関係なく人が集まるぶん、同中のやつらと遭遇率高そうだったから結果オーライかもだけど。
つまりこれが、俺の『逃げ』だ。嫌な思い出しか残っていない地元から逃げ、嫌な思い出に関与している連中と鉢合わせしそうな環境から逃げたかった。
そして、誰も俺のことを知らない新天地で、心機一転、順風満帆な青春を送ってやるって誓い、行動に移したわけだ。
あとはその新天地で、俺はいちから『小野瀬優哉』という人間を取り繕うことにした。
簡単に変えることのできない、変えたくない素の自分――実はゴリゴリのオタクだって面を完璧に封印し、外面だけでも受け入れてもらいやすいように。
そうしてできあがったのが、計算打算で人間関係を構築し、青春を謳歌している八方美人な今の俺、というわけだ。
……なんてことを思い返しているうちに学校へ到着。俺はいつも通り教室へ向かった。
途中の廊下で知り合いに出会えば、普段と同じように軽く挨拶を交わす。顔が広くクラスの外にも友人知人がいるってのは、それだけで安心感があって心地いいもんだ。
……けど、今日はなんだか妙だ。
声をかけた知り合いのほとんどが、やたらとわざとらしい笑顔を作って答えるのだ。嘲笑とかそういう類いの笑みじゃないから、不快感はないんだけど……。
なんていうか……近所の奥様方が「あらあらまぁまぁうふふふのふー」と井戸端会議で好奇の視線を向けているときの笑み、みたいな?
…………なんだって?
ちょっと待て。好奇の視線?
なんか無性に嫌な予感がしてきた。脂汗が首元に滲んだのがわかる。
いやでも、昨日今日の時点で好奇の目で見られるようなヘマ、俺はしていないぞ?
友達に送ろうと思ったエッチなラインを女子の元へ誤送したとか、ツイッターのごりごりオタクな裏アカが身バレするとか、そんな凡ミスはなにひとつだ。
その辺は今朝、登校中の電車内で一切合切確認済み。ここ一週間とかまで遡っても、そんな下手をこくような言動はしていない。細心の注意を払ってきた……はずだ。
だとすれば……いや、だとしても……そんなバカな。まさか、昨日の今日で?
焦りと不安に俺の足は急かされ、あっという間に自分の教室へたどり着いた。
「おーす、おはよー!」
なるべく平静を装って挨拶しながら教室に入った――直後。
「よお小野瀬! おっはよー!」
がっちり肩を組んできた菊地が、とんでもないことを口にした。
「お前、彼女いたんだって?」
「……………………へ?」
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