第6話

第六話


「やっと、ふたりきりになれた」

「……え?」


 なになに、どういうこと? ふたりきり?


「ずっとこのときを待ってた……誰も邪魔者がいない、ふたりだけの空間」


 久城ちゃんは突然、わけのわからないことを口にした。

 いや、口にしただけならまだマシだった。彼女は少しずつ俺に近づいてきた。

 鍵まで閉めた薄暗い保健室で、表情の読めない少女が俺に詰め寄ってきている……。


「どうしたの久城ちゃん? ふたりだけのって……え? これ、なんか復讐されるパターン? 俺、久城ちゃんになんかした? お、怒らせるようなこと、やらかしてた……?」


 久城ちゃんは答えない。代わりに、一歩また一歩と確実に距離を詰めてくる。

 俺も距離を保とうと後ずさるが、突然ふくらはぎになにかが当たり、バランスを崩してお尻から倒れてしまった。黒い合皮のソファにドスンと座り込む。


 これ、完全に追い詰められてない、俺?

 とうとう久城ちゃんは俺の目と鼻の先に立ち、こちらを見下ろした。相変わらずポーカーフェイスだが、その泣きぼくろが特徴的な目はマジで殺る気の五秒前って感じだ。


 三、二、一――そして、ゼロ。


「ひぃっ!」


 突然動きだした久城ちゃんに、俺はビビってみっともない声を上げてしまった。

 ……けど別に痛みが襲ったとか、苦しさに意識が遠退くとか、そんなことはなく。

 むしろ、消毒液臭さをかき消すフローラルな香りがすぐそばから漂ってきた。


「……久城、ちゃん?」


 なぜか久城ちゃんは、ソファに座り込んでいる俺の膝に乗っかり、抱きついていた。

 なんなんだこれ。なんで抱きつかれてるんだ? ますますわけがわからないぞ。



 ……なんて言うほど、俺は鈍感じゃない!


 なるほどそういうことか! このいかにもな展開は、久城ちゃんが俺のこと好きになっちゃったパターンだな!?

 じゃなかったら、誰もいない保健室で鍵を閉めてまでこんなことしない。ふたりきりになれるタイミングを待っていたって意味も、そう考えれば合点がいくじゃないか!


 マジか! こんなことって起こり得るんだな! これが『恋は突然に』ってことか! ちょっと違う? まあいいや!


 そういうことなら、変にホラーな演出挟まないで、素直に言ってくれればいいのに。

 おかげでビビっちゃったじゃん、あははははっ!



 …………笑いごとじゃないって!

 昨日の夜に考えてたこと、もう忘れたのかよ俺は!


 いま俺が手にしている交友関係は、青春は、ものすごーく絶妙なバランスの上に成り立ってるんだ。特に月原先輩や遙香、未央ちゃんとのゆるーい関係は、ちょっとの関係性の変化が直接崩壊に繋がる。


 そしてこの状況は、紛れもなく『関係性の変化』と言っていい状況だ!

 これは限りなくマズい!


「ちょ、待って久城ちゃん! い、いったん離れて……ね? お、落ち着こう」


 久城ちゃんの肩に手を添え、引き離そうとする。見た目通り、もの凄く小さな肩だ。

 グッと身を離した久城ちゃんは、それでも、俺の膝の上から退こうとはしない。チョコンと小動物かなにかのように、膝の上で大人しくしている。


 こうしてみると、飼い主に懐いてるネコみたいでかわいいな……じゃなくって!


「その、急に抱きつかれるのは……さ。嫌ってわけじゃないんだけど。びっくりしちゃって、こっちまでテンパっちゃうから」

「……嬉しくなかった?」

「いや、嬉しいよ? 久城ちゃんの気持ちは嬉しい。ただ……ダメなんだよ」


 久城ちゃんは小首を傾げる。

 無言で「どういうこと?」と問うてきているんだろう。


「俺はさ、今、誰ともお付き合いするつもりはないんだ。ほら! 生徒会やら部活やらでなんだかんだ忙しいから、あまり恋愛に没頭していられる感じじゃなくって……」


 あまり相手を傷つけないよう、言葉を選びながらやんわりと断る。


 久城ちゃんには申し訳ないけど、今の俺はやっぱり、恋愛に踏み込める状態じゃない。

 みんなとの関係性がどうのってのもその理由のひとつだし、久城ちゃんに対して言った生徒会や部活動が忙しいというのも嘘じゃない。



 なにより――きっと君は、本当に俺のことを好きじゃないはずだ。



「……なにを言ってるの、優ちゃん」


「――へ?」


 久城ちゃんの声に、言葉に、俺は驚いて顔を上げた。


 彼女は今、優ちゃんって言ったのか? 優ちゃんって、優哉の『優』……だよな?

 そんなふうにあだ名で俺を呼んでくれるのは、母方の婆ちゃんぐらいなもんだが。


 …………いや、待てよ? もうひとりいたな。淡い記憶が徐々に像を結んでいく。


「私と優ちゃんは、ずっと前にもう、約束してたはず」


 そうだ。もうひとり、俺を『優ちゃん』と呼んで慕ってくれた女の子がいた。


 ようやく思い出した記憶の中で、俺をそう呼び続けているのは――かつての幼馴染みである女の子の『のぞみ』だ。当時の幼い少女の顔が、俺の脳裏に浮んでくる……。


 その思い浮かんだ幼い少女と久城ちゃん、ふたりの目元の泣きぼくろが――重なった。


「お前、もしかして……佐(さ)久(く)間(ま)望海、なのか?」


 表情に変化はない。けれど心なしか、両肩がハッとなったように動いた。

 表に出さないだけで感情はちゃんとあって、微かでも体現していたらしい。


「久しぶり……だね、優ちゃん。やっと再会できた」


 佐久間望海。俺の幼馴染みで、ひとつ年下の女の子。

 俺が小学校四年生、望海が三年生のときに、引っ越しを理由に離れ離れになった……。


「マ、マジか……苗字も雰囲気も変わってて、全然気づかなかった」


 別れて六年も経つし、気づけないのも仕方ないだろう。引っ越した理由が親の離婚で、母方の実家へ帰ることになって……新しい苗字も馴染みが薄くてすっかり忘れてたわ。


 ともかく。俺は驚きと混乱で放心状態になってしまった。

 けれど重大な問題が片付いていないことに気がつく。


「いや、でも……本当にお前があの望海だとしても、俺は望海と付き合えないよ」


 そうだ。そればっかりは、せっかくの再会というシチュエーションなところ申し訳ないけど……貫くしかないんだ。

 それが俺の青春のためでもあり――なにより、みんなのためだから。


「さっきから優ちゃん、なに言ってるの?」


 望海は再び首を傾げた。

 本当に、俺の言っていることの意味が理解できていないようだ。

 それほどまでに純粋で、濁りのないまっすぐな瞳を俺に向けて――



「私と優ちゃん……もう交際歴、六年だよ?」



 …………えっと、はい……はい? え? そうだったの?

 つまり俺には、とっくの昔に望海という彼女がいた……てこと?



 …………んなバカなッ!!

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