第5話

第五話


 翌日も俺は、クラス内で変に目立ちすぎず、けれど程よく友達と盛り上がれる、充実した理想の高校生活を謳歌した。


 もちろん遙香や月原先輩、未央ちゃんとのゆるーい関係も相変わらずだ。

 教室では遙香と、昨晩放送していたお笑い番組の話で盛り上がった。お昼には、購買でたまたま鉢合わせた月原先輩にからかわれ、それを見ていた菊地に羨ましがられた。部活に顔を出せば、甲斐甲斐しくがんばる未央ちゃんの姿を眺めながらバスケを楽しむ。


 穏やかに流れていく、なんの変哲もない青春模様。

 もしあえて変化を挙げるなら、新しいマネージャーである久城ちゃんの存在だろう。


 俺はふたりの様子をときどき確認する。やっぱり部長だし、新しく入った生徒のことは気になっていた。とはいえ、ふたりは同性でクラスメイト。昨日話していた感じからも仲が悪いわけじゃなさそうなので、問題はないと思うけど……。


 未央ちゃんはやっぱり面倒見のいい性格みたいで、マネージャーの仕事をひとつひとつ丁寧に久城ちゃんへ教えているようだった。

 一方の久城ちゃんは相変わらずの澄まし顔……というかポーカーフェイス。ただ、表情に動きはないものの真剣に話を聞いてはメモを取っている。


 まあ、しばらくは未央ちゃんに任せてみよう。なにか問題があれば彼女のほうから俺に報告もあるだろうし。そういった連絡や相談を未央ちゃんはしっかりできるタイプだし、心配はない。いやはや、本当によくできたマネージャーだ。


 なんて思いながら、かわいらしい一年女子たちを眺めていると――


「小野瀬、危な――」

「え? ――ぶへっ!」


 振り向いたのがまずかった。飛んできたボールが顔面に直撃。

 あまりにも不意打ちすぎて、俺は足をもつれさせて尻餅をついてしまう。

 さらに不運は重なるもんで、顔面でバウンドしたボールは宙を舞ったあと、倒れた俺の股間に落ちてきやがった。


「大丈夫、小野瀬……? けっこういったよね?」


 ホントだよ! 鼻っ面に大打撃だよ! コートでボーッとしてるヤツにパス出すなよ!

 ……ボーッとしてた俺が百パーセント悪いんだけど。


 手を差し伸べてくれた常盤に掴まり、俺はお礼を言いながら立ち上がる。

 すると、鼻の奥にヌルッとした感触があった。


「やっべ、鼻血だ」


 つつーっと滴る赤い体液がTシャツに染みを作った。こんなわかりやすい鼻血は何年ぶりだろう……なんて呑気なことを考えながら上を向く。

 何人か笑ってるチームメイトがいるけど、上向いてて見えなくったって声で誰かわかるからな? あとで覚えてろよ?


「先輩、大丈夫ですか?」


 未央ちゃんが心配そうに駆け寄ってきた。ポケットティッシュを何枚か取り出して、高いところにある俺の顔へ当てようと背伸びする。


「上向いちゃダメです。血が喉に流れて、余計にひどくなっちゃいます。ちょっと俯きめに。『考える人』のポーズです」

「あ、そうだったの?」


 全然知らなかった。外へ流れ出ないよう上向いていれば、勝手に治まると思ってた。

 言われた通り、俺は『考える人』のポーズをとる。


「あとは丸めたティッシュを詰めて、鼻の頭を押さえてください……そうです」


 未央ちゃんは心配そうな表情を浮かべつつ、テキパキと応急処置を手伝ってくれた。未だにケラケラ笑ってる部員たちとは大違いだ、まったく。


 それにしても、未央ちゃんって本当にすごい子だな。

 こんなことまで知っていて、的確に処置ができるなんて。


「未央ちゃん、お母さんみたいだね」

「……へっ?」


 思わず正直な気持ちが口から漏れてしまった。

 受け取った未央ちゃんは、当然ながら呆気にとられていた。


「こういうことよく知ってるから、すごいなって意味でね。いいお嫁さんになれそう」

「か、からかわないでくださいよぅ」


 顔を赤くしちゃって、かわいいなぁ。

 ……なんか周囲の視線がいろいろ刺さるけど。


「そんなことより、大丈夫ですか? 痛みがひどいなら、骨や軟骨にも影響があるかもしれません」


 未央ちゃんに言われてみて、改めて鼻に意識を集中する。

 ぶつけた痛みが残っているぐらいで、骨を痛めたような感じはしない。

 なので、そう答えて安心させてあげようと思った――のだが。


「念のため、私、先輩を保健室に連れていく」


 なぜか久城ちゃんが割り込んできた。

 てか保健室だって? んなオーバーな。


「そこまでひどくないから大丈夫だよ、久城ちゃん。ほっとけば血も止まるし、その辺で座って休んでるよ」

「ダメ……です」


 感情の波がない顔で俺を見ながら、久城ちゃんは言った。


「万が一の場合がある……あります。保健の先生が近くにいれば迅速に対応してもらえる……えます。なので今すぐ保健室へ行きましょう。一緒に」

「え? あ……お、おう」


 なんだか妙な気迫、というか勢いを持っている子だな。押し切られちゃった。

 ってか、さっきからなんでそんなタメ口と敬語を言い直してるんだ? 気にしなくてもいいのに。もとから敬語が苦手なタイプなのかな。


 でも、久城ちゃんが俺を心配してくれているのは素直に嬉しい。

 それに彼女の言うとおり、俺自身はなんとも思っていなくても、気づかずに大怪我している可能性もある。

 なら確かに、保健室へ行って保健の先生の指示を仰ぐべきだろう。


 チラリと未央ちゃんを見やる。彼女も、心なしか不安げに俺を見て頷いた。


「わたしも、そのほうがいいと思います。それで、あの……」


 俯き、なにか言いにくそうにしながらも、未央ちゃんは顔を上げた。


「わ、わたしが保健室まで、ご一緒しましょうか?」


 なんということでしょう。いきなり後輩ふたりから保健室デートに誘われちゃった。


 どうしたものか……と考える。やっぱり、マネージャーとしての経験が少しでも多い未央ちゃんには、体育館に残ってもらったほうがいざってとき助かるよなぁ。


「保健室に行くだけだから大丈夫だよ。むしろ、未央ちゃんはこっちに残っててくれないと。このアホなメンバーがまとまんなくなっちゃう」

「おいこらっ! アホとはなんだ、アホとは!」


 冗談交じりに説明すると、案の定、常盤たちチームメイトから文句が飛んできた。

 うるさい、鼻血を笑った仕返しだっ。


「未央ちゃんにならいろいろ任せられるしさ。戻ってくるまでの間だけだから。お願いできないかな?」


 未央ちゃんはどこか落ち込んだように眉を動かし、けれどすぐに真剣な面持ちに変わる。


「……はい。わかりました。任せてくださいっ」


 小さな胸を張って答えてくれた未央ちゃん、マジ天使だなぁ。

 天使なマネージャーにこの場は任せ、俺は久城ちゃんと一緒に体育館をあとにした。



 保健室に到着し、引き戸を開ける。ほのかな消毒液の香りが迎えてくれた。


「失礼しまーす……って、誰もいないのかな」


 電気の灯っていない室内は薄暗く、人の気配はまるでない。

 ってか異様に暗いと思ったら、外がかなり曇っていた。どんよりと厚い雲が広がっているのが窓越しに見える。ひと雨来そうでヤバめな天気だ。用事を済ませて戻ったら、今日は早々に部活切り上げてみんなを帰したほうがいいかな……。


 なんて、いつも以上にマジメに部長ぶって考えごとにふけっていたのには、わけがある。


「保健の先生、席外してるっぽいなー。それかもう職員室かなー? ねぇ、久城ちゃんはどっちだと思う?」

「………………」


 …………頼むからなんか喋ってくれよ!

 無言が一番どうしたらいいかわかんないんだよ!


 わけとはこのことだ。久城ちゃん、話しかけてもずううぅぅぅっと無言。多少頷いたり首を左右に振ったりはしてくれるけど、コミュニケーションって概念をどこかに落としてきちゃったのかな? ってぐらい会話が発生しない。


 壁に向かって喋っているような虚しさってこういうことね。泣きたくなってくる。

 せっかくふたりきりだし、いろいろゆっくりお話ししたかったのに……。

 一応これでも、久城ちゃんの所属する部の部長だからね。なにかあったときのためにも、可能な限り情報を仕入れておきたかった……んけど。


 おかしいなぁ。久城ちゃんと未央ちゃんが喋ってるときは、普通に会話が成立していたように見えたんだけど。

 それとも、年上の男が相手じゃ緊張しちゃうのかな。それならしかたないけど……。

 まあ、またタイミングを見計らえばいいか。それよりも鼻血だ……って、あれ?


「なんかもう鼻血止まってるみたい。そんなに痛みもないし、やっぱ部活戻ろ――」



 ――カチャッ


 突然、引き戸のほうから音が聞こえ、俺は振り返る。

 なぜか久城ちゃんは、引き戸の前に立って鍵を閉めていた。


「やっと、ふたりきりになれた」


「……え?」

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