真紅の霧

『っ!?』


 ビシリ、と音を立てるように身体が硬直する。指先までほんの僅かも動かせない。ただ思考だけが高速で回転を始める。


 な、なんだ今のは!魔物の咆哮か、にしては大きすぎる。どれだけデカい奴なんだ!?声だけでは大きさは推定も出来ない。だが十メール相当と考えて動いた方が正解だろう。

 本当に十メールクラスだったとして抗えるはずも無い。雷虎の時は言ってしまえば罠に嵌めたも同じ状態。こちらが未熟なのもあったがそれでもこちらが有利だった。しかし今回はそんなハンデなど一切無い。しかも聞こえた限りそれが三体も。逃げ切れるかも心配になるな。


 そうしている内に何とか身体が動かせるようになった。焦りを隠さず路地から顔を見せる二人を呼び寄せる。


「くそっ、マナ、アカネこっちへ!」


「せ、先輩!?」「お兄ちゃん!?」


 困惑の声が聞こえたが完全に無視。安全のために近くに来た二人を抱き寄せた。

 今の咆哮で人々はある種の恐慌状態へ陥ってしまった。外へ出る道の方へ進んでいた人々が一斉に走り出してしまったのだ。ここではぐれてしまったら会えない可能性、場合によっては最悪の可能性すらもあり得てしまう。それを直感的に感じ取り、俺は咄嗟に二人を抱き寄せたのだ。こうすれば、そうそうはぐれることは無い。

 路地の壁に背を預け、ぎゅっと抱き抱える。二人の顔がある胸の辺りがやけに暑くなっているが二人分の体温が伝わっているのだろう。

 ふと横を見れば何やら両手で顔を隠しながらもこっちをがんみしているメノの姿が……何してるんだろう?



 しばらくの間、通りの騒ぎがある程度収まるまで路地でじっとしていた。今も振動が地面から伝わってくるが離れた方だろう。さっきは地震かと勘違いするくらいに揺れていた。あれが人が起こしているものだと気づくのに少しかかったが。

 そうして、俺は改めて抱き抱えていた二人に状況を聞くのだった。





「……なるほど、ベロニカのことはわかった。だけどたった今ルルたちと二手に分かれたばかりだ。それにベロニカも宿に来ると言っていたんだろ?」

「うん。武器を取りに来るって言ってた」


 俺の疑問に対してはマナが簡潔に答えてくれた。


 武器を取りに?

 それってここだよな。確かにベロニカの斬馬刀とかカルナの〈六杖〉は置いてあった。今は魔法袋の中に移してあるが。


「目的地は一緒なのに分かれたのか」

「多分お兄ちゃんたちが何処にいるのか正確にはわからなかったからだと思う。私たちは一先ず真っ直ぐここまで来たけど」


 なるほどな。

 あれからマナたちと分かれた後の話を聞いていた。そこで一緒にベロニカのことも聞いたのだ。

 俺たちとの合流を優先したそうだが、すれ違いが起きてしまったようだ。シャリアたちは先行させてしまった。


「仕方ない。このままベロニカとの合流を待つ。そしたらシャリアたちを追いかけてこの街を脱出。これでいいな?」

「うん」「いいよ」


 マナと緋音の二人も問題ないらしい。しかし……

 俺は樹海の方、三体の魔物が来ているとされる方を見る。周囲の大騒ぎで正確に状況が把握出来ないが、先のパニックでの振動とは別に微かに地響きがしているような気もする。同時に、嫌な予感も。


「そうだ先輩。さっきまでボクたちギルドの訓練場にいたんだ。そこで魔物に遭遇したんだけど」

「魔物?どんなのだ?」

「貴族蜘蛛っていう魔物の幼体だって。これくらいの大きな蜘蛛だったんだ」


 緋音が両手を広げてその大きさを示す。だいたい一メールってところか。こんなのが出てくるなんてどこのホラゲだよ……ただ話を聞く限り緋音がぶった斬ったらしい。つまり単体の強さはそこまででも無いと思っていい。何故かって?そりゃあだって技術はあっても実戦に関しちゃ初心者の緋音が倒せたんだからなあ。

 ただ警戒するに越したことは無いだろう。映画とかじゃそういうのは群れをなすってのはお約束だからな。両太腿のホルスターに納められている愛銃ニュクス&パンドラにそっと触れ、俺たちはすぐに来るであろうベロニカたちを待つのだった。




「む、あれは旦那様か?」

「うん、あれは師匠。でもどうしてまだここに」


 待ち始めて数分程度、今だ逃げる人は多いものの、多少なりとも人が減り、ざわめきが減ってきた大通りを進む人々の中からそんな声が聞こえてきた。その方を見ると、ぴょんぴょんと跳ねながらこちらを覗く小さな影。そして目立つ銀髪が同じく跳ねる。


「こっちだ」


 そちらに向け手招きすると二人は人混みの中を掻き分けるようにこちらへ進んできた。小柄だからかスイスイとこちらまで来ることができていた。

 そうして現れたベロニカの一言目は先行しているはずのマナたちへの呆れたものだった。

 目も細め、若干怒っているようにも見える。


「お主ら……先に伝えたであろう。旦那様と森へ逃げよと」

「で、でもお兄ちゃんが待とうって」

「むう……」


 しかし、マナの反論で、それならば仕方あるまい、と呟いてベロニカは納得したように頷きこちらを見た。


「旦那様、実は妾たち二人、先の鐘にあった魔物とやら。目視で確認したぞ」


「なに?」


「うん。見てきた」


 どうやらこの二人、なかなかに重い情報を持ち帰ってきたらしい。この街に向かうという三体の魔物、一体なんなんだ?

 気になってそれも聞こうとしたが、ベロニカはここから逃げることを優先させた。


「じゃがここで話していては少々不味い。一旦この場から離れるぞ旦那様」

「そうだな。先行しているルルたちにも追いつかなきゃいけないし、長居をする理由もないしな」

「ならこっちです。そこまで人もいないので速く移動出来るかと」

 

 先導を買ってでたメノの案内で路地裏を進む。どうやら彼女、前職の影響で路地の位置などを把握するのが得意らしく、この街に来て短いが既にある程度ならば迷わずに進めるらしい。さらにベロニカが自慢の身体能力を活かして屋根の上に登り逐一情報を提供するため、道に迷う要素が一切無くなった。


 こっちです、という声について行くこと十数分。俺たちはこの街を囲む石壁に辿り着いていた。ただここで問題が一つ生まれた。


「あちゃー、これって……」

「そうだったな……この街の壁って」

「一つしか出入口ありませんでしたね……」


 そう、この街だけではなく森の中にある街の多くは周囲から魔物に襲われる可能性が高く、万一の時に備え要は穴である出入口を少なめに作る傾向があるのだ。そして背後が森でその奥に行く必要の無いこの街は出入口は一つだけなっているのである。


「ふむ、ここは妾に任せよ。お主ら、少し離れておれ。おっと、旦那様は妾の近くでも良いぞ。守ってみせよう。というよりも近くに来ておくれ、やる気が出る」


 ふんすっと胸を張って自慢げにこちらへ背を向けどこか楽しそうに壁に向けて腰だめに拳を構えた。

 何やら危なそうだから近くに行くのは丁重にお断りして、ベロニカがやろうとしていることを静かに見守る。


 彼女は目を閉じ、ゆったりと呼吸を行う。肩幅に広げた足を左を前にして少し膝を曲げる。

 次いで、左手をそっと石壁に触れさせ、グッと押すように掌を当てる。腰に構えた右手は微動だにせず放たれる時を今か今かと待つ。


 しかし、何も起きない。


 ベロニカはその場から動かずただ左手を壁に、右手を腰に、半身で構えるだけで動かない。


 その様子にさすがにこの状況では待つ時間も惜しい。そう思い、声をかけようとした。その時だった。


 ゆらりと全身が引き寄せられるような感覚があった。それも一瞬で終わったが……目の前の変化はそれに留まらなかった。


 彼女の背中から真紅の霧のようなものが吹き出したのだ。彼女の服は背中が一部開いていて、よく見れば肩甲骨の辺りから背骨に沿うように背中の中ほどまでの間でその変化は起きていた。その真紅の霧はまるで一対の翼のように吹き出していることがわかる。


「こ、これは……」

「強い魔力です。というよりも霧そのものが魔力の塊です」


 メノの驚いた声と重なりゴクリと唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。この魔力のせいで感覚が鋭敏になっているのか。

 そして霧は今も吹き出し続け、霧散することなく彼女の周囲に漂っている。あまりの量と濃さに彼女の身体が隠れてしまっているほどだ。

 霧は次第に俺たちの足元にも漂い始め、上にも伸び石壁の上端にも届きそうになっている。彼女の身長の数倍は優にある壁の上端に届き、さらに姿を完全に覆い隠す霧の密度。メノは霧が魔力だと言っていた。俺は魔力は見えないが、もしも見えたのならば今目の前の光景は凄まじいことになっているのではないか。


「こんなの……まさかあの霧を構成する粒一つ一つが……」

「然り、じゃ」


 目の前のありえない光景に汗を垂らすメノに向け霧の奥からベロニカが答える。それに合わせるようにただ吹き出すだけだった霧にも変化が起きた。

 

 突如霧が消えたのだ。霧散したか、違う。見ればベロニカの姿があり、その姿はまるで赤い鎧に身を包んでいる。そう、先程までの真紅の霧が物質化し、鎧と化したかのように。


「見ておれ、こうなった妾は強いぞ」


 彼女は口元が見える兜を被った状態で笑ったのだった。

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