基点短転移の魔法
「ちかれた………」
ネルハの成人の儀から一ヶ月ほど経って王都も落ち着いた頃、俺は最近気に入った喫茶店で身体をダレさせていた。
ここのコーヒーもどきは予想以上に美味い。砂糖なんかは高くて買えないが、最近はミルクを入れなくとも美味く感じてきた。
と、言ってもここのイチオシはコーヒーもどきでは無くてケーキだ。ここの喫茶店の女将さんが毎日焼いているパウンドケーキで、中にはドライフルーツとかが入っていて、果物の甘みだけで十分なくらいの旨みがある。
一週間に一度糖分を摂る目的で通っているが、鍛錬が無ければ毎日来たいほどに美味い。
「鍛錬に銃の試射が数日連続……さすがにキツかった……あー糖分が染みる」
空は快晴、銃もバッチリ、身体も上々、今日を過ごすには全くの問題無しなのに。
ルルたちも今日はやることがあるみたいで朝から忙しそう。
俺も弾を作ったりやらなきゃいけないのだけど、前に弾の装填装置とか整形装置を改良してドーラの弾以外は作れるようになっているから作業効率が上がったから今日はフリー。
王女殿下もといネルハについてもあの時は成人の儀で忙しそうだったし、そもそも彼女は学生、学院に戻らなきゃいけない。なかなか話す時間も取れないんだよな。「雨の日、ネリネ、ヴィブラシア」に関してはあくまでも成人の儀を見に行くという報告程度だから深く考える必要が無いのは幸いだ。色々問い詰められたりしたらめんどくさいからな。でもそれでも問い詰めかねないのがネルハだったはず。性格が変わってなければな。
まあとりあえずやることが多くなるかもしれなくて嫌になってると思ってもらえればいい。
「どうなされたのですか?随分とお疲れなようで」
ん?この声どっかで……
俺は身体を起こし、その声の主の方を向く。
「あ、あなたは。お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりです」
そこには落ち着いた色の長いローブを纏った老いた男性が。好々爺のようで、どこか鋭い刃のような雰囲気を感じる。
王立学院の校長を務めるベンさんだ。学院なのに校長なのは気にするな。本人が校長と名乗ってるんだ。
「一年ぶり……くらいですか?」
「そうですね。そのコートを見るに、私の本が役に立っているようで」
「あの時は本当にありがとうございました。とても役に立ってます」
「それは何より。ところで、どこかお疲れのようですが、何かあったのですか?」
「ああ、すみません。ちょっと最近忙しくて。自身の鍛錬や研究もしなきゃいけないんで休む暇が無くて」
「それはそれは。でも、若い時はそれくらいがいい。私はもうこの年になって好奇心のままに動きたくとも、鍛錬がしたくとも出来ぬ身体ゆえ」
「ええ、胸に刻ませて頂きます」
年長者の言うことは聞くべきみたいな風潮あるが、それは場合によりけりだ。少なくとも地球では。だが、この世界では年長者の言うことは聞くべきだ。少なくとも、その年齢までは生きれているわけだからな。
「そういえば、あなたのしている研究とは?差し支えなければ教えて貰えませんか?協力出来るかもしれない」
「ああ、そうですね。では、お言葉にあまえまして」
ベンさんの言葉はなかなかありがたい。彼から貰った本を元に研究をしていたが、なかなか難しいのだ。まあその研究内容と言うものにも原因があるわけだが。
それにしてもここ半年治療や鍛錬の傍らずっと調べたり試したりしていたのだけど取っ掛りすら掴めない状況が続いている。ヒントが貰えるならば何でもいい。
「……なるほど。両手に一つずつ持った飛び道具の矢を魔法で装填したいと。確かに、単純に攻撃の手数は二倍になりますし、装填の手間が省けるので片手ずつ矢を込め直す必要がありませんな」
「ええ、上手く伝われば良いのですけど」
「いえいえ、問題ありませんよ。学院では武具の研究もしていましてな。片手で扱える弓というのも研究対象でした。ですが、小型の矢を一つの箱に収めて連続して発射出来るようにする、それはなかなか面白い案です。今度試してみると……おっと、すみませんです魔法でしたね。これに関してですが、一つだけお教え出来ますな」
「そうなのですか?」
「ええ、あなたは無属性魔法、そして空間魔法についての理解はありますかな?」
「いえ、どうしても魔法が扱えないようで。魔法陣でようやくこのように魔法が」
俺はコートを見せ、魔法陣のことを示す。
「無属性魔法や空間魔法のことはある程度分かるんですが、どうしても使うことだけは出来ないのです」
「そうですか。では先に答えだけお教えしましょう。────こちらを」
ベンさんは自身の持つ鞄から古い本を取り出した。見た感じ保存状態は良さそうだけど。
「これは三百年前から書き足し続けられてきた魔法についての本なのですが、この中に私がそうですね……だいたい三十年ほど前に書いた魔法があります」
三百年!
それは凄いな。秘伝のソースじゃないが、書き足され続けるのは余程貴重な物なんじゃないのか?
「おお、ありました。こちらを見てください」
そう言ってベンさんが開いたページには一般的な魔法陣とその解説が書かれていた。
「これは〈基点短転移〉と言う魔法でしてな、先程のように三十年ほど前に私含め何人かの魔法研究者で創り出した魔法なのですよ」
「創り出した?」
「ええ。よく使われる言語魔法では新たな魔法の開発というものは難しい。ですが、刻印魔法であるこの魔法陣はその気になればあなたでも作れるのですよ」
「俺でも……?あっ、組み合わせですか?」
「その通りです。魔法陣の中に複数の魔法を文字化したものを組み込んで組み合わせた物は比較的簡単に出来ます。が、私が行ったのはその文字を一から組み合わせることです」
なるほど?つまり前者、複数の魔法を文字化して組み合わせるのが俺が所有する〈初典・深紅害為〉で、後者が完全オリジナル魔法陣ってことか。
「つまり、魔法として機能する単語を最初から構成したと?」
「言い方によってはそうなりますね。この魔法なら単語を構築するのに三年は掛かりました。さらにそれを機能するよう組み合わせるのに四年ほど……懐かしいものです」
魔法陣を見ると、空間魔法が組み込まれているのはわかったのだけど、無属性魔法がわからない。あまり触れてこなかったからな。もう少し勉強しておくべきだったか。
「さて、この魔法について少し授業のようになってしまいますが、お話しましょう」
「お願いします。ベンさ……ベン教授」
「ええ、よろしくお願いします。ではまずこの魔法を構成する二つの魔法からです」
こうして、俺とベンさんのマンツーマンでの講義が始まった。
内容は二つの魔法の基礎から。
まず無属性魔法は魔法でありながら魔力そのものに強く干渉する魔法のことを言う。例えば俺の魔砲の魔法陣にも組み込まれている魔法〈
と、このように魔力に干渉するものが多い。
次に空間魔法。これは確かにその名の通り空間に作用出来るのだけど、かなり制限がある。分かりやすく言うなら魔法袋だ。袋というのは口を閉じれば外と中で空間が分かたれる。空間魔法での魔法袋製作はその分かたれた空間の内の内側を利用することで空間そのものを広げている。
このように空間魔法は密閉空間など概念的に外の広大な空間と分かたれているという事実が無ければ使用不可能なのだ。
それに、転移魔法と称す物もあるらしいが文献上の存在だし、亜空間なんて知っている人も少ないような物だとか。俺にしてみれば魔法袋が亜空間なんだがな。
でもベンさん曰くこの魔法はその二つの魔法の中間に位置するから密閉空間などの制限は無いのだとか。ただし、実用するには不利点、つまりデメリットが大きすぎるらしい。
「でも名前から察するに転移魔法ですよね?何か問題があるのですか?」
「ええ。聞きたいですか?」
「もちろん。この魔法が使えれば色々な事に応用が出来ます」
「そうですか……では不利点があると言ったので利点から。これは範囲内であれば一切の障害物を無視した転移が可能です。あくまでも範囲内であれば、ですが」
「範囲内?それはどのくらいの大きさで?」
「これこそが不利点の一つとなるのです。この魔法の範囲は親となる基点から直径四メール。もちろん基点の位置にもよりますが、魔法の適用範囲は基点を中心とした半径二メール程度なのです」
「なるほど……確かに、障害物を無視出来たとしても範囲が短くては使い所に迷いますね」
長距離転移は出来ずとも隣のお家まで鍋すら送れない距離じゃなあ。
「加えて、転移できる大きさにも制限があります。最大で二メールほどの長さで重さは数キグラ程度までですね。さらに言えば魔法袋からの転移も出来ません」
大きさと言うよりは質量なのかな?それに転移可能な質量範囲内とはいえ魔法袋に入れたものを取り出せないのは不便だな。
「さらに不利点があり、子となる物体それぞれにも当然基点が必要となるのです」
「あー教授、その親と子の基点はいくつ必要で?」
「そうですね、私たちが研究を行っていた時はそれぞれ二つずつの基点を必要としましたね」
「二つ……なるほど」
「私たちがそもそもこの魔法を開発したきっかけと言うのが戦争による弩弓による矢の装填の簡略化のためなのです。複数存在する矢を順に転移させたり、確実に転移させたりするためですね」
弩弓……バリスタか。あの弓の矢は相当大きいと聞く。確かに魔法を使って簡略化したい気もわかるな。
「それでも結局その魔法は使われなかったのですけどね」
「そうなんですか?」
「ええ。やはり戦場で使うには不利点が大きすぎます。まず親となる弩弓に矢の前身方向と後部が来る位置に基点が二つ、子となる矢にも先端と後部の二つ。親と子の基点がそれぞれ重なるように刻まねば機能はしません」
「そこまで精緻なものなのですか?」
「いえ、親の基点を大きくすれば、その魔法陣の円の大きさの中に子の魔法陣がはいっているならば機能はします」
なーるほどね……
まとめるとこういうことか。
①基点短転移という魔法名である。
②それぞれ二つの基点となる魔法陣が必要。
③親と子のそれぞれに刻む必要がある。弓ならば弓本体と矢。
④親の方に刻まれた魔法陣の中に子となる魔法陣が入っていれば良い。
⑤不利点として魔法袋からの転移、半径二メール以上の長距離の転移、おおよそ数キグラ以上の大質量の転移は不可。
⑥利点として魔法の効果圏内であれば障害物を無視した転移が可能。
⑦親に対して子である転移対象が複数存在している場合、指定した順で転移させることが出来る。
「こんな感じですか?」
「その通りです。ははっ……私の創り出した魔法の中でも相当の失敗作ですよ」
「教授、そんなことはありませんよ。なんのためにここまで根掘り葉掘り聞いたと思ってるんですか」
「しかし、先程のように不利点が多すぎる……」
「デカい矢じゃなきゃいい。小さな矢を詰めた箱に刻んでしまえば基点短転移は武具の使用速度と火力増加という方向で最高の手札となります」
例えば、ニュクスとパンドラのリロードとかな。
本来二丁拳銃はリロードが問題となる。それゆえカッコよくてロマンでも現実にはありえないのだ。ただし、この基点短転移を使えば解決出来る。
「それに、矢を収納した箱を身体中に、例えばコートの裏なんかに引っ掛けておけば魔法袋を使わずとも大量保持できます」
「なるほど、小型故の方法ですな」
「それに魔法袋を組み合わせます。たとえ転移出来ずとも、中に刻印を施した箱を入れて適当な時に取り出してまた引っ掛けておけば個人としてはそれなりの継戦能力はあります」
「継戦能力……確かに、その観点で考えてみればこの魔法は優秀ですね。でもその飛び道具を兵士全員に配布するには経費が嵩んでしまいますね」
「さすがに個人に配布するには厳しいですね。でも研究を重ねれば何かには使えそうですね」
「今後の研究ですね。私も久々に研究室に籠る日々が始まりそうです」
おっと、だいぶ話し込んでしまった。もう昼を過ぎておやつの時間じゃないか。そろそろ家に帰った方が良いかもな。
「おや、もう三時ですか。そろそろ私は行かねばならぬ所があるので、これで。その魔法陣の写しは差し上げます。あなたの研究の役に立てば何よりです」
「ええ教授、使わせてもらいますよ」
「ははっ、私はもうしがない老人なので。普通にベンでいいですよ」
「わかりました、ベンさん。俺もそろそろ戻らなきゃいけないので」
ベンさんはそれにこちらを振り向かず手を振って去っていく。かっこいい立ち去り方だ。彼のような人間でなければ出来ない事だ。
「さて、俺も戻ってルルたちの飯でも作るかな」
そろそろハンター業も復帰だ。
銃の訓練も鍛錬もそろそろ大詰めだ。
早撃ちもある程度出来るようになってきたし、この基点短転移で双銃のリロードに関しても解決。あとはそれぞれの銃の習熟度をどんどん高めていくだけだ。
これで、俺の半年間の鍛錬は終わりに近い。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
次回から第五章を開始します!
幕間が予想以上に長くなってすみません!
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