幕間 ある日の調査拠点
ここはラナンサス王国、いやウェントッド大陸最大の樹海、バードダル大森海の調査を担当しているハンターギルド直属の調査拠点、その本拠点だ。
バードダル大森海の周囲には本拠点を中心とした支部が複数あるが、ここはその中でも一際大きい施設で、万一の有事にも対応出来るだけの防衛力が存在する。
大森海そのものは北部統一域と西部統一域を跨ぐように広がり、西部統一域の四分の一、北部統一域の三分の一を覆っているとされているが、実際は極圏よりも先へと広がって居るためさらに広いとされている。
そのため、西の海から見た大森海の終わり、というのは観測出来ても、極圏に存在する本当の意味での大森海の終わりと大森海の全容は未だ知れていない。
またその樹海は人類の生存圏が存在する四つの大陸にもその名は広く知られている。
そう。
何人も人を呑み込んだ「魔境」として。
その中でも特に「大魔境」と呼ばれる場所は四大陸にいくつか存在する。
ここバードダル大森海。
西のウェントッド大陸南部の迷宮都市内の大迷宮。
それぞれ既に人がある程度踏み入り、それだけの調査は終えられているが、逆に言えばその分だけ人を殺しているという意味とも取れる。ある意味で、最も恐ろしいと言える場所である。
南のサルム大陸の亜竜の住まうキューラル大渓谷と接続しているアルカム大渓谷。
サルム大陸の竜騎士が駆るとされる亜竜が住まう渓谷と直結している大渓谷で、あまりにも深すぎるために調査は難航。
数年に一度行われる調査か、個人で足を踏み入れようとする酔狂な者以外は入ることの無い場所である。
大渓谷というだけあって巨大な谷なので表面的な大きさだけは竜騎士によって空から観測されているが、現状到達した最も深いところまで調査に行った記録によればさらに地下へと渓谷は続いていたとか。
北のノーク大陸そのものでありながら西部を覆うノーク大森海と東部に広がるノーク大荒野。
ノーク大森海は獣人族やエルフ族、他にも森や水などに適応した多くの種族が。ノーク大荒野はドワーフや鱗人など乾燥などに適応した種族が住まう。大陸そのものが魔境であり、その魔境を住処にしている種族が居るので調査という意味では進んでいるが、何分大陸単位の広さゆえ全貌は不明。
東のイルク大陸の南部の大半を占め、その魔境としての範囲は地下の大洞窟群にまで及ぶグラリー大山脈。
遺跡が多く、帝国が行う遺跡調査の一環で探索もなされている。しかし、あまりに広大なため中断されている。山脈に住まう者たちも居るが、かなり少ない。
最後に、人類史最悪の魔境であり、今だ全容も知れず、辛うじて他大陸との行き来が許されている場所。それが大海洋である。
この他にも多くの人を呑み込んだ「魔境」と呼べる場所はいくつもある。
それゆえ人類は四大陸へと生存圏を広げても、その四大陸を支配する事は叶わず、許されずにいる。ハンターが幾人居ようとも、魔境の前では優劣など無い。
魔物が住まうから魔境。魔物でさえ住むには強くなければならないのが魔境。どちらかはわからないが、手を出すなら命を賭けなければいけないのは確かなのだ。
しかし、それでも人は魔境へ足を踏み入れる。
栄誉、名声、地位、その全てが一度に手に入るかもしれないのだから。
その考えうる全ての可能性があるのが魔境なのだから。
魔境へと人が足を踏み入れる理由。それは「欲望」なのだ。
ここバードダル大森海は約五百年ほど前から調査が行われていたとの文献が時折発見されるが、本格的に開始されたのはここ百年程度だ。
それまでは霊峰の如く畏怖の対象であり、信仰の対象であった。たとえ人が多くの土地に住まうようになってもこの大森海だけは何人たりとも受け入れないいわば聖域に近いものとして扱われていたのだ。
しかし、状況は変貌する。聖域として人々から扱われていた大森海と、それを崇拝しそう扱っていた人々との境界が薄れ、無くなったのは。
あるとき発見された古代文明の遺跡のほんの一部。
約三千年以上前の古代文明の遺跡の一部だ。
まるで爆発に巻き込まれて吹き飛ばされた建物の破片のようなものだったそうだ。
この古代文明とは魔道具の原型であり、古代遺物とも呼ばれるアーティファクトを創り出したとされている文明だ。
魔法を用いた大文明を築いていたと、とても稀に発見される遺跡から見て取れる。そのため現在世界で最も古代文明に近しいのはイルク帝国のガド=レーグ帝国だ。イルク大陸のグラリー大山脈近辺でも大森海同様に古代文明の遺跡の痕跡があり、探索が始まる。既に発見された古代文明遺跡も多く、遺跡から発見された技術を用いているとか。
発見された破片により大森海での調査が始まるが、その調査はなかなか進まなかった。その理由はいくつもあるが、その最たるものが強力な魔物だ。
そして今日もまた一人、被害者が訪れる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
のどかで暖かな陽射しの今日。
上半身血塗れで呻きながら治療院に運び込まれるハンターが居たり、腕や足が変な方向に向いたハンターが治療院に運び込まれたり、時折ビクンビクンと震える毒に侵されたであろうハンターが治療院に運び込まれたりしているがいつも通り平和な一日になりそうだ。
ここバードダル大森海調査拠点では優秀なハンターが常駐していたり、多くのハンターが活動しているので滅多なことでは魔物の
例えば、強力な魔物が出現した時だ。
昼を過ぎて少し経った頃。調査拠点内の人の騒がしさもいくらか落ち着いた頃だ。珍しく閉じられていた調査拠点の入口の大きな扉がまるで蹴破るような勢いで開かれた。
その荒々しい音に調査拠点内の人は皆そちらの方を見る。
どうやら一人の男のようだ。今どき珍しい命知らずの大馬鹿者か?と、少し騒がしくなる。
しかし、その男は皆の予想に反して誰かに喧嘩をふっかけるなんてことは無かった。むしろ、今にも泣きそうな顔で跪き、その禿頭を木の床に叩きつけた。そして、調査拠点内に大きく響き渡るほど大きな声でこう叫んだ。
「頼むっ!誰か、誰でもいい!あいつらを……助けてやってくれっ!!頼む……っ!」
その様子に調査拠点内は静まり返る。今も尚、「頼む……頼む……」と繰り返し言っている。
あまりにも哀れで、誰かが話しかけようにも話しかけにくい雰囲気になっていた。
よくよく見ると、身体に纏う金属鎧はボロボロで、所々に血も付いている。まるで命からがら逃げて来たみたいな様相だ。
そして誰かが気づいた。この男の正体を。
そう、この男はダルク。青タグで、禿頭で、強面で、いかにもな見た目だが調査拠点を根城にする多くのハンターたちから慕われる「強面でも根は優しいおじさん」みたいな人物だ。
それなりに名が知れているので皆気づき、そして困惑した。彼らのパーティーはそれなりに優秀で、そろそろ紫タグへと昇格するのではないかと言われていたほどの実力だからだ。
そんな男がなぜ、こんなにまでボロボロになり、助けを乞うているのか。そして、「あいつら」とは誰なのか?
「頼む……早くしねえと、あいつらが死んじまう!!だから……」
そんな時だった。
「ダルク、何があったのか教えてくれないかい?」
優しい、しかしハッキリとした声音で、キッチリと調査拠点内の職員が来ている制服を着こなした老女が奥から出てきた。
彼女はアマル・グレイ。女傑とも称される程の人物で、かつては腕利きのハンターであった。
晴れ晴れしい実績こそ無いものの、堅実かつ確実に経験と実績を積んだハンターだ。
その経験を買われて大森海の調査拠点総本部長に就任している。また、その人格からも荒くれが多いハンターたちからも慕われている。
しかし、噂ではこう呼ばれているそうな。〈鬼殺し〉と。
彼女はそんな噂とは裏腹に今だに額を床に擦り付け懇願する彼の元に向かい、そっと肩に手を当てた。
「ダルク。お願い、何があったのか話して欲しい」
調査拠点の中に居たハンターたちがその口調に目を丸くするが、気にしてはいけない。
「あ……あぁ、あ……れは、……ら、雷虎……だ……」
とても憔悴しているようで、先程と違い言葉は途切れ途切れだが、彼はしっかりと「雷虎」と言った。
それだけで調査拠点内に居た一部のハンターたちは自らの装備の点検をし始めた。
それを見て、たかが雷虎と笑うのは経験がまだ浅いハンターだろう。
キョロキョロして訳がわからなそうなのはまだ新人。大森海にも足を踏み入れたことも無いのだろう。
三者三様、十人十色、捉え方は人それぞれのようだ。
「っ!?……雷虎ねえ。それだけならば一笑に付すところだけど青タグで紫タグも近いとされてる実力者がここまでボロボロに。
……ダルク、お前さん仲間はどこへ行ったんだい?まさか一人でここまでってのは無いだろう?」
こうして、調査拠点でもある程度有名なハンターだけではあるが、皆の名前を覚え、語りかけるような安心感を与える話し方をするのも慕われる一因だろう。
しかし、そんな彼から返ってきたのはさすがの女傑でも予想外の答えだった。
「し、死んだ……俺と、あいつ……以外……ぜ、ん員……」
「そ、それは本当かい?」
彼はゆっくりと頷いて返す。
その反応に彼女は驚きを隠せない。確かに彼らは紫タグに近いとはいえまだ青タグだ。彼女自身に比べてみたらまだまだ弱い。でもあくまでも彼女とだ。周囲の一般的なハンターたちと比べたら実力はあると言っていい程度だろう。それでも彼と仲間の一人を除いて全滅。
「俺とあいつ、以外……四人死ん、だ」
ある程度は落ち着いたのか、言葉もハッキリしてきた。それを見計らって彼女は情報を集めようとする。
「雷虎なのは確かね?」
「あ、ああ」
「大きさとかは?」
「十五メール……程くらいだ」
「通常の雷虎と違うところは?」
「……やたらと体毛が、長かった。あとは……真っ白、だった」
「真っ白?どういうこと?」
「そのまま……だ」
「白い雷虎……変異種?いえ、でも……」
「あと……もう一つ。動きがやたらと速い……うぐっ!」
いきなり呻いた彼の様子を見て彼女は手早く指示を出す。
「多分傷が開いてるね。応急処置はなされてるみたいだけど。誰か治療院の連中を呼んできな!」
「は、はい!」
職員が外へと駆け出す。今日はあまり忙しく無さそうだからすぐに来てもらえるだろう。
「これだけは聞かせなさい。あいつらって言うのは誰?」
「あいつら……は後輩だ。赤タグの、ハンターたち……だ」
傷の痛みに耐えているのか、額に玉のような汗を浮かべながらも答えていく。
「昨日、あの……クソ野郎を、ぶっ飛ばした……奴だ」
それでようやく何人かのハンターたちが誰か思い出したような顔になった。
「名は……ヤマト。頼む……雷虎を食い止めて、るんだ。早く……」
「食い止めてる?」
「雷虎は、大森海の入口から……二時間も無いところに、いる」
「随分近い……。それにヤマトと言ったね?その人物がそんな近くの雷虎を食い止めてることに感謝しないといけないね。無謀とも言えるけど、情報を届けてさらに一人の命を救った……か」
「ち、がう。あと……三人、いる」
「じゃあ四人だね。……誰か、来な!」
苦々しい顔で何かを思案する彼女は職員の一人を呼ぶ。
「はっ」
「三十分以内にこの街にいる青、もしくは紫以上のハンターを集めな。変異種の雷虎の可能性がある。あとは……その四人の救出もだ」
「了解しました。では早速──」
そんな時、彼らに「その必要はありません」と声をかける者たちが。
「アマルさん、それは私たちが引き受けましょう」
「あなたたち……」
調査拠点の扉を開けて現れた彼女たちに中は騒がしくなる。
「おいおい、嘘だろ。来てたのか」
「おい、知ってるのか?」
「知ってるも何も……この大森海での活動を主とする数少ない特級ハンターの〈狩人の乙女〉だ」
「特級!?」
そんな声も聞こえてくる。
彼女たちは特級ハンター〈狩人の乙女〉。所属している全員が女性であるということに加えて、初代たちの戦い方に倣い、今も尚弓矢や罠などを駆使した戦い方をする。そのような昔ながらの戦い方だが、この大森海という特殊な土地で培われた技術はここでは恐ろしいまでの威力を発揮するのだ。
「帰ってきてたのね……」
「はい、先程。アマルさん、大森海は私たちの庭です。それに入口から二時間程度の所ならば、私たちならそこまでたどり着くのにいくらか短時間に出来ます」
「そうね。今は一刻を争うわ。じゃああなたたちに調査拠点の長として依頼をします。依頼内容は──」
バッ!!
そんなとき、調査拠点内で起きた一部の人間による唐突な行動で彼女も言葉を切らずを得なかった。
何が起きたのかわからず困惑する人が大半だが、その一部の人間たちは一様に同じ行動をしていた。
別になにか魔法かなんかで操られた〜みたいなことでは無さそうだ。
しかし、特徴的ではあった。なぜなら、その同じ行動を取ったのは全て獣人族のハンターや職員たちであり、彼・彼女らは皆同じ方向を向いていたからだ。まるで何かが聞こえたかのように。
そして、その方向には……?
「なんですか?今の音は……」
「今の音?どういうこと?」
「え、聞こえませんでした?何かものすごく甲高い音が聞こえたんですど」
「私も聞こえたわ」
獣人族の職員とアマルがそれぞれ疑問符を浮かべていると、職員と同様に獣人族のハンターの女性もその音とやらが聞こえたそうだ。
周囲を見ると、先程の〈狩人の乙女〉所属の獣人族ハンターを含めた多くの人物たちが同じような状況になっていた。
確かに、獣人族は耳が良いとされている。それも人の数十倍からそれ以上とも言われるほどに。
この時、彼女の「勘」のようなものがある。仮説を弾き出した。
「少しいいかしら。今、皆が向いた方向には何があるの?」
『大森海』
するとまるで訓練されたかのように答える。しかし、これはここで活動するハンターたちにとっては常識なので何もおかしなことは無い。
「ダルク、あなたが来たのはどこから?」
そう言って彼女は大森海の区分けが書かれた地図を持ってきて見せる。
「ここだ……」
震える手で一つの区画を指さす。さすがに忘れてはいけない事の一つだが、覚えていることに安心したのは表に出さない
「じゃああなたたちに聞くわ。音が聞こえたのはこの中のどの辺かしら?」
獣人族の彼らは一旦目を見合わせると、代表として一人のハンターがその地図の区画の一つを指さす。
他にも何人か出てきて地図を指さすが、やはり皆最初の一人と同じか、その近くの区画を指さす。
「やはり……ね。──良かったわね。あなたの言う『あいつら』はまだ生きてる可能性が高い」
「っ!?本当か!?な、なら
早く頼む!」
「言われずとも。──それでは改めて指名依頼を出します。指名対象は特級ハンター〈狩人の乙女〉。依頼内容は変異種と予想される雷虎の対応、加えて交戦しているハンターの救出。ダルク、一つ聞かせな。なぜ彼らはその場に残ったんだい?実際無謀で馬鹿だとしか言いようがないがね」
依頼を受け、準備を始める彼女らを横目にアマルはようやくいくらか回復したダルクに目を向ける。
「俺が背負っていたあいつ……サーマを助けるためだ。雷虎の攻撃を食らって動けなくなっていたが、まだ助かりそうだった。ちゃんと治療すればな。でも雷虎に追われて針を落とした俺らは逃げ惑うしか無かった……」
「ほう、それで?」
「そんなときに雷虎の気配を感じて来たのが調査任務を受けてたヤマトたちだった。変な魔物の気配を感じたらしくてな」
「なるほど。『調査任務を遂行中のハンターはその区域に存在しない魔物が存在している可能性がある時、その魔物の情報を集めることが推奨される』だね。なるほど、ハンターとしての義務を果たそうとしてたのか……」
「そうして合流したが、逃げようとした時に目の前に追ってきた雷虎が出てきた。逃げられないと思ったから戦おうとしたが、あいつは『逃げろ』と言った」
「背中の奴を助けろと?」
「ああ。あいつの仲間は足が早くとも人一人背負えるほど力は強くない。それにサーマを助けたければ、なんて言われちまった。それに、雷虎を食い止めるとも。だから俺はあいつを背負って逃げて来た。あいつらは自分から囮になったんだ……」
「人を助け、更には危険な雷虎を食い止める、か……」
「あいつらは命の恩人だ。金なら出す。頼む……」
「生きてりゃ助けることは確定してるんだ。少なくともお前さんが雷虎から逃げてここにたどり着くまで二時間程度。その間逃げ続けながら戦ってるんだからね」
その事を指摘されてダルクは目を見開く。
実は逃げる時に聞こえていたのだ。「最低でも二時間は時間を稼がせてもらう」という文言が。
「アマルさん、準備完了です」
「わかった。後から援軍としてさらに数パーティー送る。先遣隊としてまずは雷虎を食い止めて。生きてれば救出だ」
「了解」
「ダルク、あんたも行きな。正確な場所はわからないよ」
「お、おう」
「ここにいるあんたらもだ!とっとと準備しな!万一がありゃここ諸共消えるかもしれないんだからね!」
そう言われてはハンターたちも慌ただしくなる。
「さて……そのヤマトやら、生きていて欲しいものだよ」
彼女は自らの若かりし頃を思い出して苦笑する。
魔物を食い止める。
自らにも経験があるからだ。それも、全く同じような状況で。難しさを知っているからこそ、あと少し、と思ってしまうのだ。
あと少し、頑張って生きていて欲しい、と。
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