あの日の味
「ふいー……疲れた」
「お疲れ様。でもあの仮面よく持ってたわね」
「何か使う機会ないかとは思ってたけどまさかこんな形で使うとはな。まあ顔は隠せて便利だったけど。でもあの演技はもうやりたくない。恥ずかしすぎる。顔全体が隠れてただけマシだったけど、もう何があろうとやらない」
「あら、かっこよかったのに」
「それはありがとう。でももうやらない」
俺は部屋に入った途端そこにあった椅子に座り背を預ける。ルルは向かいに座る。
シャリアとマナは買い物だ。今日の夕飯を買ってきてくれるらしい。ありがたいな。
「ところで……さっきの人って知り合い?なんか話してたみたいだけど」
「ああ、まあ知り合いっちゃ知り合いだ。ルルも知ってる人」
「そうなの?あんな騎士みたいな人いたかしら……」
「シールレッド卿だ。ほら、ネルハの護衛官の」
「あれ、あの人って騎士団に居ても近衛騎士団じゃ……」
「そのはずなんだけどな。でも最後に見た時に一応騎士団の中でも上位の片翼騎士団に推薦で入団したとは聞いてたんだけどな。いつ昇格したのやら」
片翼騎士団とはこの国の騎士団の中では上から二番目だ。一番は当然近衛騎士団となる。シールレッド卿は元は特級の黒タグのハンターで、二つ名は確か……
「〈霧狼〉だったかな。確かそいつを倒したことでハンターながら騎士団に推薦されたはずだ。でもその時の戦いで怪我をして、ハンターは引退となってたはずだけど」
「そうだったの?推薦されてたんだ」
「うん。剣術顧問みたいな感じでいたはずだ。あまり激しい動きは出来ないけど、それでも良いならって受けたらしい」
「それでネルハの護衛官にねぇ……」
「ネルハってほら、結構武闘派だし」
「確かにね。なら剣とかが使える人を護衛官にするのも納得だわ」
いや、護衛官は剣を使えなきゃダメなんだが……
「そうだ、決闘が終わった時何か話してたわよね?何話してたの?」
「成人するんだとよ。ネルハが。早いものだね。王族だから何か名前を加えなきゃいけないはずだ。誰の名前を加えるのかね」
「そうなの……。ネルハのことだから順当に英雄の名前とかじゃなさそうね。でも、成人ならば会えるかしらね」
「実際間近で会ったのはこの前含めても数回だけどな。でも後ろを着いてきてたのが懐かしい」
「ほんとね。元気かしら」
「元気だろ。王都に着いた時もすぐに来たし。まああの程度でへこたれるような奴じゃ無いさ」
「そうだったね。確かに、彼女は行動力はあった」
「あと、こう伝言を頼んだ。『雨の日。ネリネ。ヴィブラシア』って」
「…………なるほど。これはちゃんと帰らなきゃね」
「そろそろ王都にフィルグレアの一件の報告書が届く頃だろ。さすがにこれ以上引き伸ばすのは厳しいだろうからね。それを見られたら晴れて俺たち二人は王宮に出頭だ」
「もう行くことは無いと思ってたんだけどね」
「国としての面子が保てないよそれじゃ。また報酬とかくれるんだろうけどお金はもうこれ以上貰ってもな……」
「そうね……いくら持ってるのか数えるのも怖いわ。報酬なら黒龍の情報の方が欲しいし」
「確かに。そうそう、この前持ってる金を試算したら貴族位程度なら買えるかもってくらいある」
「そんなにあるなら報酬のお金いらないわよ。手持ちもその半分でも良いくらいね。貴族位に関しちゃ、元貴族の私が言うのも何だけど、あんなパーティーに参加しなくて良いだけ本当に楽だわ。あんな着るのに時間掛かるドレスとか美味しくても大して量の無い料理とか。そもそもなんであんなに色目使われなきゃいけないのよ」
「ほらほら、落ち着いてさ。もう過去の話なんだから」
イラつき始めたルルを宥めながら俺は魔法袋からハーブをいくつか取り出す。この調査拠点を中心とした街はどうやら貿易の中継地点にもなるみたいで、北の方で栽培されたハーブなんかが結構入ってきていた。中には王都の店で高く売られてたのもあった。
その中には前々から探してたハーブもあって少し高かったけど問答無用で購入した。王都にも無かったんだ。でも生産場所もわかったからいつか行ってやろう。これだけはどうしても手に入れたかったんだ。そういえば、伯爵家にいた頃時たま見慣れない行商人が来ていたけどもしかしたらこれを持ってきていたのかもな。
「なあに?それ」
「バナークさんが前に教えてくれた伯爵家でよく淹れられてた紅茶さ。やっと完成した」
「えっ……」
ルルが驚きで目を見開く。
伯爵家ではいつもバナークさんが紅茶を入れていた。運ぶのはメーネさんとかメイドの人がやっていたんだけどな。俺も十二歳になる直前にハーブの配合などを教えられた。紅茶一杯入れるのにもものすごく細かな調合作業が必要なんだ。もしかしたらスキルの「調合作成」、最近はあまりお世話になってないけどこの紅茶の配合が原因なのかもな。
「あのお茶はたった五種の植物から出来てきたんだ。南方で採取されるトトルの葉に乾燥させたチムの花びら。あとは東方由来の茶葉を混ぜてここに刻んだククの葉を加える。それぞれの分量が大事でね。ここまでは王都でもいけたんだけどあと一つがわからなかった。残り一つが王都でも見つけられなかった」
「それは?」
「これ、冥麗の花。通称ハドス。北方の厳寒地域の森の中じゃないと育たないらしい。乾燥させてもいいけど、扱いも難しいからこれをお茶にする人は少ないって。それで、これの花びらを細かく刻んで入れる。この段階でお茶そのものを高温にしておかないとハドスの花の味が抜けちゃうんだ」
「作れる?」
「もちろん。でも、シャリアたちが戻ってからにしよう。最近はシャリアに任せっぱなしだったからね。ルルの従者として久々にお茶を淹れさせてもらうよ」
「もうっ、ヤマトは従者じゃなくて私と対等なの」
「ははっ、わかったよ。でもさ、せめてお茶くらいは従者として淹れさせてくれ」
「よろしい。───そういえば、ヤマトってもし何も起きなかったらあれからどうするつもりだったの?」
「あれって……黒龍か?」
ルルはこくりと頷く。俺は目の前にハーブの並んだ瓶を数えながらあの頃のことを思い出す。
ああ、そうだ。確かあの頃は……
「ルルはあの神殿で『婚約の願いが来た』って言ったよな。あの頃さ、俺はバナークさんとガルマさんから執事としての修行をしてきてはどうかって言われてたんだ」
「修行?」
「うん。他家に出向いて見習いって形で執事の修行をする。伯爵家では俺も居たし、メーネさんたちの手も足りてたからそういう他家からの修行の申し出とかは受けてこなかったらしいんだけどな。でも俺はこれでもバナークさんの弟子って立ち位置だったから対外的には次期の執事として決まってるに等しかったんだ。でも経験が足りないから修行って形で他家にお世話になる予定だった」
「それはどこか聞いてたの?」
「そこまでは決まってなかったな。でも伯爵家からだから同格かそのしたの子爵家辺りじゃないかな。そこまで遠くへは行けないだろうから南部統一域の中だとすると………」
「タドル子爵家とか?」
「多分な。その辺のはずだった。でも黒龍の騒ぎでルルの婚約も俺の修行もたち消えだけど、おかげてこうしてルルと居られるわけだ」
「そうね……。侯爵家に嫁ぐ必要も無くなったんだから」
この国の貴族制度についておさらいしよう。
この国はトップに王が居て、基本的には王が決められる絶対王政になる。しかし議員制と言うほど豪華ではないが、公爵やそれ相応の地位がある人物が口を出せる制度はある。元老院と言っても良いだろう。数代前にかなりの愚王が存在し、それの反省の意味から作られた組織だ。メンバーは学園都市の学長勢や王都ギルドの長などが含まれるな。
次に王家以下の位だが、王家の下には公爵家が存在する。西側が王族の兄弟姉妹の誰かが治める公爵家領。北、東、西側は王家に昔から仕える信頼に値する公爵家が守りを固めている。その四大公爵家が治めるのが各地方の統一域だ。その統一域の中に侯爵家以下の位の貴族がいるわけである。
例えば南部統一域ならば公爵家の領地だが、最も広いのは王家が所有する王家直轄地となる。ここでは主に食料などを生産していて、この直轄地の管理を一部委託されているのが子爵家や男爵家となる。自らの領地を持っているのは侯爵家と伯爵家、辺境伯家だけになるわけだ。ちなみに、男爵家の下に騎士爵と言うものがあるのだけどこれに関しては完全に名誉爵位なので領地も何も無い。ただ、王都に家は貰えたりする。
わかりやすくするとこうなる。
王家→四大統一域及び王家直轄地の総合的な管理。その他国家に関わる運営。
四大公爵家→西側のみ王家の血を引く。残り三方は信頼できる古くから仕える貴族が受け持つ。統一域内の貴族たちの管理などを受け持つ。国の防衛などを受け持つ。家の人間が王家へ補佐を行うことも。
侯爵、伯爵家→領地を持つ。私兵などを持つ貴族もいる。主な産業を持ち、それにより税を納める。例外としてフーレン伯爵家など貿易都市といった重要都市を領地内に持ち、そこには王家より任命された人物が管理するので税などは貿易都市の通行税となる。そこで得られた税金は国へ入るか、伯爵家へ送られ、領地内の整備などに使われる。
子爵、男爵家→領地を持たない。王家直轄地の管理を任される。王家直轄地の中に住まう人々が働く場所の管理などを行う文官が多い。武官の場合は直轄地境界の防衛などを任される。
辺境伯家→立場としては四大公爵家と同等である。四大公爵家が統一域全体の防衛を任されるのに対し、辺境伯家はよりピンポイントな地域の防衛を行う。
例として今俺たちがいるバードダル大森海周辺はクロマス辺境伯家の領地で、この大森海の警戒が任務だ。私兵を持つことが義務付けられていて、騎士爵のなかでも武官の場合はこの辺境伯家の私兵団に所属することもある。
とまあ、貴族の分類はこんな感じか。俺もまだ全部を教えてもらったわけじゃないから税金だとかそこら辺はまだまだ分からないことが多い。
「ただいま〜」
「サンドイッチとかを買ってきました。今からお茶淹れますね」
「おかえり。あ、シャリア。今日は俺がお茶淹れから大丈夫。前から探してたのが手に入ったんだ」
「そうですか……」
シャリアたちが手に紙袋を抱えて帰ってきたな。でもなんでシャリアはそんなしょんぼりしてるんだ?何かあったのだろうか。
「ほら、そんな顔してないで座りなさい。シャリアも、お茶を一度淹れられないくらいでそんな顔しないの」
「はい……」
お茶で?なんでだ?
「えーと、これとこれと……」
俺は必要なものをもって今日泊まる部屋から出て、水場がある部屋に向かう。実は今回泊ってる部屋はベッドがある部屋と居間として使える部屋の二部屋しかない。これでもこの街では中程度のランクなのだから最高だとどれくらいになるのか気になるところだ。話を戻すと、居間として使える部屋には水場が無いので宿屋の一階にある部屋でお茶を淹れる。
この部屋には水瓶と火のついた暖炉の小さいやつが付いていて、宿泊者なら誰でも使えるらしい。今は運良く誰も使ってない。外から煙突が見えたからな。この部屋があるからここに決めたって言っても過言じゃない。
暖炉に水を入れた鍋を置き、一旦部屋を出る。次にピークの前の食堂の一角を借りてお茶を淹れる準備をする。と言ってもさっき買ったハドスの花びらを刻むだけだ。
これも気をつけて、花びらの筋に沿って切らなきゃいけない。それに反して横向きに切れば香りは強くなるけどお茶には適さない。だからこうしてお茶に使うなら筋に沿って幅二〜三ミール程で刻んでいく。
「…………これでよし、お湯も湧いてる頃だろ」
俺は食堂から出てさっきの水場へ向かう。
うん。ちゃんとお湯になってる。
俺は王都で買い揃えた真新しいティーセットのポットにそっとお湯を三分の一ほど注ぐ。ゆっくりとポット自体を温めるようにだ。この後しばらくハーブは入れないからお湯とかの一式を部屋に持ち帰ろう。
「あ、おかえり〜。出来た?」
「まだまだ。これから蒸らしたりしないとな」
「はーい」
ルルはいつの間にか魚の串焼きを持って食べていた。どこで買ったんだ?
少しして、ポットが温まったらそっとハーブを淹れる。ポットが温まるまでの間に小分けしておいたからあとは入れるだけだ。ハドスの花びらだけはまだ入れないで、一旦蓋をする。少しだけ蒸らすんだ。
それが終わったら次に残しておいたお湯を中に注いで、お茶自体の温度を上げる。中身はかなり濃くなってるはずだからお湯の量は少し多めに。お湯を注ぎ終わったら最後に刻んだハドスの花弁を中には散らすように入れる。パッと見ただの香り付けみたいだけどこれだけで大きく味が変わる。
「あとはこれでむらせば完成だ」
懐かしい香りだ。伯爵家の頃を思い出す。ガルマさんはあの場で眠っているけど、バナークさんとメーネさんたちはわからない。馬車が居なくなった跡があったからもしそれで逃げ延びていてくれれば……そう信じたいな。
「お、出来てるできてる」
また少し経って、ようやくお茶が完成した。明らかにハーブティーだけどこの辺りでは紅茶と総称してるからこれは紅茶だ。
「はい、召し上がれ。熱いから気をつけて」
彼女たちのティーカップにお茶を注ぎ、ついでに簡単なお菓子も置く。これは王都から持ってきたやつだ。お菓子の位置とかも気になるけど、あとから思えばやっぱり従者の頃のクセが抜けてないな。
「……………美味しいです」
「不思議な味だね。でもなんか……懐かしい?」
「………………………っ」
三者三葉とはこの事だな。シャリアは自分でも茶葉を調合してるだけあって味を細かく理解しようとするし、マナは直感的だ。ルルは……
「ルルちゃん?どうしたんですか?」
「お姉ちゃん?」
「……………………ごめんね」
彼女は泣いていた。肩を震わせ、声を押し殺していた。
「ルル、無理しなくていい。ここには俺も、シャリアもマナしか居ない。恥ずかしくなってないさ」
「……………ぅっ」
とうとう我慢出来なかったようだ。彼女の目からは涙が溢れ出し、部屋に泣き声が響く。シャリアは事情を知っているからそっと視線を外しているが、マナは困惑するばかりだ。
「マナ、ちょっとルルの過去には色々あってな。これは言わば、思い出の味みたいなやつなんだ。だから……少しだけ、そっとしてやって欲しい」
「うん……いいよ」
シャリアがマナを伴ってベッドのある部屋へと移動した。
それを見計らって俺はルルの隣へ椅子を移動させる。
「ルル、ごめんな。まだ……早かったみたいだな」
「ううん。………嬉しかった」
「そうか?」
「……(こくり)」
「ならいいさ。いつでも、いつまでもこのお茶は飲ませてやる。もう……ルルしか本当の味を知ってる人は居ないからな」
俺はそう言って、彼女のお茶に直接ハドスの花びらを乗せる。
「これで、本当に完成だ」
「……ありがと」
彼女はそっと一口飲み、また涙を流す。さっきマナは不思議な味と言ったけどそれは当たっている。そのままでも十二分に美味しいのだけど、このお茶の本当の味を知っているか、勘が鋭い人だと何か足りない気がするのだ。それがこのハドスの花びら。これを加えることで味に大きく深みが増して、酸味と苦味と甘みが程よく調整されるのだ。実際もっと言いようはあるのだけど、言葉に表すとどうしてもこうなってしまう。バナークさん秘伝の味なんだ。
「二人には、全て終わったら飲ませてあげよう。ガルマさんに紹介もしないといけない。いつか……行かなきゃな」
「うん」
ルルは俺の肩に頭を預ける。
「ねぇ……あの日の約束、覚えてる?」
「もちろん。絶対に───」
俺は彼女の肩を抱きかかえ、泣いて震える身体をそっと抑えながら宣言する。
「───ルル、君の前から俺は居なくならないから」
彼女との約束はこの世にある何よりも何よりも重い。彼女に付き従う従者として……いや、初めて馬車で会ったあの日からずっと
それが俺がこの世界に来てお世話になった人たちへできる最後の恩返しなのだから。
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